【はじめに】

東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)の高安英子と申します。

このたびは、塾員来往への寄稿の機会を頂けたこと、大変感謝申し上げます。振り返ると、慶應義塾の自由な校風において、本当に自分がやりたいことに没頭できた学生生活を送りました。現在、JR東日本にて勤務をしていますが、仕事を遂行する上での基礎的な知識、忍耐力、仕事への向き合い方など、慶應義塾大学で経験したことがベースとなっていると感じることが多々あります。私の経験をお伝えすることが、慶應義塾大学理工学部への進学をご検討されている皆さまにお役立て頂ければ幸いです。

【管理工学科への進学理由】

父が慶應義塾大学理工学部にて教鞭をとっていたため、父の研究室の学生やOBの方々が家に遊びに来てくださることが多々あり、幼い頃から理工学部の学生・OBと話をする機会が多い環境で育ちました。様々な進路に進んだ卒業生たちが一堂に会し、仕事や研究の面白さや大変さについてお話をされていて、男女年代関係なく、皆さんが仕事や研究に誇りと自信をもってキラキラしている姿に憧れを感じていました。そんなOBの方々や学生の皆さんに影響を受け、私も理工学部で専門的な学問を学び、社会貢献が出来る仕事に就きたいという思いを高校時代から抱いていました。父からは、幅広い分野の科目を学び社会問題の解決を行う学門を勧められ、学門2(現在の学門C)より管理工学科に進学しました。

【大学・大学院時代】

得たもの:友人との絆・諦めない精神、体力

ホッケー部の同期たち(右端、執筆者)

大学と大学院で過ごした6年間は、部活に勉学に遊びに、やりたいことに没頭しました。自宅が慶應体育会下田グラウンドの目の前で、幼い頃から女子ホッケー部の試合を見る機会があり、ユニフォームがかわいい上に面白そうな競技だなと興味を持っていました。偶然にも、入学式の日に体育会ホッケー部のユニフォームを着た部員に勧誘を受け、私もユニフォームを着てみたいなという、軽い気持ちで入部をしました。ホッケー未経験で体育会に入部して大丈夫?と不安はありましたが、他に入部した同期は全員ホッケー未経験。厳しい練習でも、お互いに冗談を言い合い、辛さを楽しさに変えて、笑いの絶えない時間を過ごしました。 ホッケーからは、ボールが白線の外に出るまで全力で走り続けることの大切さを教えられ、「何があっても諦めない」という精神を学びました。この精神は、現在の仕事への向き合い方にも生かされていると思います。

勉学面では、友人に助けられた思い出がたくさんあります。一を聞いて十を知るような友人が多い中、私はなかなか理解が追い付かず、授業終了後は図書館にて友人から授業内容の解説をしてもらうことが多くありました。高校時代の試験の際には、教科書の範囲が決められていましたが、大学では講義で教わった内容が基本で、試験ではその応用や自らの考えが求められるという環境に代わり、記憶だけでは試験を乗り切れないという点で、友人との議論の大切さを実感しました。試験前になると、みんなで乗り越えようという雰囲気があり、図書館や教室で和気あいあいと勉強をしました。大学で出会った友人とは今でも食事会などをして、近況報告をしています。

管理工学科では、統計学、プログラミング、金融工学、人間工学、実験など、幅広い科目を学びました。特に、統計学と人間工学に興味を持ち、学部4年生からはヒューマンファクターズ(人間工学)を専門とする岡田研究室に所属しました。学部4年時と大学院2年間は、ヒューマンエラーに焦点を当て、医療ミスのマネジメントや人の性格によりどのような作業特性があるかについての研究を行いました。大学院の修士論文は、なかなか研究を進められず、岡田先生に大丈夫かと心配されながら、締め切り直前の必死の追い込みで提出したことが印象に残っています。

管理工学科の友人たちとのランチ会(右手前、執筆者)

大学院修了式にて岡田先生、研究室同期たちと
(左端、執筆者)

【社会人】

山手線の運転士時代

卒業後は、JR東日本に就職しました。岡田研究室にて研究したヒューマンエラーと作業特性に関する知識を仕事でも生かしたいと思っていたことと、管理工学科で学んだ統計学を活用して効率的な列車ダイヤを設定したいと希望したことが入社の動機です。

現在入社18年目となりますが、これまで現業の仕事から企画部門の仕事まで様々な仕事に携わってきました。入社から5年間は、山手線車両のメンテナンス、中央総武緩行線の車掌、山手線の運転士、首都圏指令室の指令員と、主に現場の仕事を経験しました。その後は、約10年間にわたり、運転士や車掌の育成や、ヒューマンエラーに起因する事象・事故が発生した際のマネジメント業務に携わりました。

鉄道は保安装置によって守られている部分が多いシステムですが、それでもシステムを取り扱うのがヒトである以上は、大小を問わずヒューマンエラーは発生します。事象発生時は、エラーを起こした個人を責めても根本的な解決にはならず、組織体制や環境などに着目し、潜在的に潜む原因を明らかにして対策を立てていきます。潜在要因に着目をして解決をしていくというプロセスは、岡田研究室で培った考え方が生かされています。更に、データ分析をする際は、学生時代に学んだ知識を活用する機会が多く、管理工学科の学問は、社会に出てから非常に役立つと実感をしています。

また、鉄道は24時間の仕事で、事故や事象が発生した際は昼夜を問わず対応をする必要があります。いつ何時でも対応するための気力・体力・諦めない精神は、ホッケー部で培ったものが生かされています。

【SFC留学】

2013年度に1年間、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの清木研究室に留学する機会に恵まれました。清木研究室では、センサーにて取得したデータをはじめ、駅や鉄道を利用したお客さまのデータを分析し、新たなサービスや付加価値を提案するといった内容の研究を行いました。大学院を修了してから8年ぶりの学生生活でしたので、はじめは学生に受け入れてもらえるか不安でいっぱいでしたが、研究室の学生たちはフランクに受け入れてくれて、20代前半に戻ったような気持ちでキャンパスライフを過ごしました。1年間という限られた時間で、テーマ検討、データ収集、データ分析・実装、論文執筆までできたのは、管理工学科で学んだプログラミング言語や統計学の知識がベースとしてあったからだと実感しています。

また、留学期間中にはインドネシアで開催された国際会議での発表も経験しました。多くの先生や学生たちから多角的なアドバイスを頂き、初めて臨んだ国際会議での発表は英語力のなさに落ち込んだものの、他国の研究者たちの研究内容も学ぶことが出来て、非常に勉強になりました。
湘南藤沢キャンパスへの留学がきっかけとなり、現在は、イノベーション戦略本部という部署に所属しています。外部の企業や研究機関などと連携し、JR東日本の駅などをフィールドとした実証実験を行い、新たな技術やサービスを検証しています。現在の仕事においても、システム構築、データ分析、ユーザーインターフェースの検証などの点で、管理工学科で学んだ知識が生かされています。

インドネシアでの国際会議で参加者の皆さんと
(右から4番目、執筆者)

慶應義塾大学SFC研究所主催のOpen Research Forumにて
上司と(左側、執筆者)

【現在】

私生活では、小学生と保育園児の2人の子供の子育てに奮闘しています。仕事で気持ちに余裕がなくなってしまった時も、子供達の無邪気な笑顔を見ると疲れも吹き飛び、癒されています。家事・育児・仕事の両立には時間が足りない!と思うことがしばしばありますが、夫や実家の両親の協力を得ながら、子供の成長を楽しんでいます。

銀杏が色づく日吉キャンパスにて家族写真

【最後に】

学生時代は、勉強に部活に遊びに、全力で楽しみました。今回の塾員来往への寄稿の機会に振り返ると、
慶應義塾大学は学生のやりたいという思いを受け止めて、自由に挑戦をさせてくれる学校だと、改めて実感しました。そして、失敗も懐深く受け止めてくれる校風でもあります。失敗したからこそ学べることはたくさんあります。このコラムをご覧くださった学生の皆さまも、自分がやりたいという気持ちを大切に、失敗を恐れずに挑戦をして頂きたいと思います。

プロフィール

高安 英子(たかやす えいこ)(旧姓:木村)
(慶應義塾女子高等学校 出身)

2003年3月
慶應義塾大学理工学部管理工学科 卒業

2005年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻修士課程 修了

2005年4月
東日本旅客鉄道株式会社 入社

現在に至る

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