この度は塾員来往への寄稿という大変貴重な機会を与えていただきありがとうございます。

慶應義塾理工学部に在籍していた時期は4年と短くはありましたが、今振り返っても、確実に内容が濃く、私の人生において大きなターニングポイントとなったと言っても過言ではありません。
今年で40歳になり、人生も(ほぼ?)折り返し地点を迎えたわけですが、慶應で過ごした10代後半から20代前半は多感で、周りからの刺激、自分の内面での葛藤と将来への希望に満ち溢れていた時期でした。あの頃に戻りたいとは露ほども思いませんが、振り返ってみようと思います。

理工学部に進学した理由としては、高校生時代、浪人生時代と経て、まだ、将来何を勉強したいのかは決まっておらず、まずは1年目に学門で学べる分野を選べることが最大の決め手でした。案の定、入学してからしばらく経つと、1年目に入った学門(生物・化学系)からは違う物理系、特に半導体物理に興味を持ってしまいました。こう書きますと、後悔しているかのようですが、半導体物理を学ぼうと思ったおかげで伊藤公平先生と出会い、小学生の頃からふつふつと考えていた海外留学が実現したので、私にとっては夢のようなパッセージとなりました。

ここでもっと遡って、小学生の頃になぜ海外留学をしたかったかお話したいと思います。私の両親は航空会社に勤務しており、私が産まれてからは父の転勤に合わせて色々な国、地域に住む事ができました。両親が転勤族というと一緒に引越しをする子供はなかなか固定の友人ができづらく、大変ではないかとは言われる事も多々ありましたが、2年〜3年のスパンで熊本、イタリア、千葉、ボストン、大阪と転々としたため、自然と人付き合いの工夫を自分で行うようになりました。もちろん言語の習得も短期間で行えるように強制的に訓練させられました。中でもボストンで過ごした小学生低学年の頃は鮮明に覚えており、当時のボストンでは、まだアジア人も少ない中、多様性の重要性をひしひしと感じていました。この時、父は社費留学でビジネススクールに在籍していたため、ケンブリッジというザ・アカデミックの街に行く機会にも恵まれ、子供心ながら自分も将来はこういうところで学びたいという憧れを持つ様になりました。日本に帰国してからは英語力をなるべく落とさないためにラジオ英会話で毎日ディクテーション(口述される文章を口述者が話しているうちに筆記する勉強法)を行ない小学生でもできる範囲の努力をしました。(それでも、やはり英語の衰えは激しく、大学院1年目の授業で、立板に水のようにしゃべる教授の半導体プロセスの授業では渡米後たった数ヶ月ながら心が折れそうになりました。)

大学生時代物理情報工学科の友人達と食事
右端、執筆者

その後、進学した中学高校は自由な校風で伸び伸びと過ごせましたが、やはり日本社会で生活していると多様性が認められない暗黙のルール的なものを感じてしまい、アメリカで学び生活したいという想いが強くなりました。慶應義塾大学進学後は伊藤先生に留学をしたいと主張し、研究室に入れていただき、大学院の学位留学を見据えなが行動しました。伊藤先生ご自身もですが、伊藤研からはすでに大学院留学をされている先輩方も多数いらっしゃったため、アドバイスをいただいたり、また実際にアメリカの大学院に突撃訪問させていただいたりしながら、万全の環境の中、準備をする事ができました。晴れて希望していた大学院からの合格をいただけた時は、口が裂けても自分の力だけで合格しましたとは言えないほど周りの方々のご協力や手助けをいただき、ご厚意に甘えて勝ち得た合格通知でした。また、大学在学中は大学院留学しか見えていないので、サークルはサボりがち、学科の友人との集まりも欠席しがちで、相当いけすかないやつであったに違いない私を見捨てずに未だに連絡をとってくれる大学時代の友人達には感謝の気持ちしかありません。

2012年スタンフォード大学卒業式にて

スタンフォード大学院の材料工学科に進学後は、流石に自力でなんとかしなくてはならず、先に話した英語の洗礼も受けましたが、世界中のトップ成績の学生達と学力でも競わなくてはならない中で、言葉通り寝る間も惜しんで勉強しました。幸い日本の教育で培った数学力と根気よく計画的に物事を進める能力でなんとか乗り切り、5年半後にはPhDをとることが出来ました。

卒業後はサンディスクというフラッシュメモリの会社に就職し、途中別の産業に興味を持ち転職もしましたが、今はまたサンディスク(買収後ウェスタン・ディジタル)に戻って半導体プロセスエンジニアとして働いています。シリコンバレーと呼ばれるこの地域ですが、実際に半導体製品を製造している工場は今やほとんどなく、サンディスクもキオクシア(前・東芝)の持っている四日市工場で製造を行っています。こちらではプログラムマネージメント、R&Dの仕事が中心ですが、微力でも日本の半導体産業に貢献できる仕事につけていることは、もう一つの夢であった「日本と世界の架け橋になる」という大きな目標の一部を実現させてくれています。

娘の学校でのハロウィンパーティー。
行事を学校で行ってくれ、親も参加できるのが嬉しいです。

日常生活では大学院時代に出会った夫と結婚し、娘も産まれ、かれこれカリフォルニアでの生活も17年目になります。まだまだ公私共に悩みつまづくことも多く、いつになったら本当の不惑の歳になるのかという感じですが、今後出てくる困難も楽しんで乗り越えていけたらと考えています。また、各年齢のステージで見えてくる世界の違いも楽しんでいます。猪突猛進できた20代、自分の器の容量を少しずつ認められる様になってきた30代、間違いや挫折も多くあったし、人様に多大なご迷惑もかけてきましたが、全てをひっくるめて40代に突入し、これから先どういう世界が待っているのか?またの機会がありましたら数十年後にでも皆様にご報告できたら幸いです。

娘のチアリーディング大会
ラスベガス、サンタクララにて。

習い事も大会もすべて親が付いて行くので
親子ともどもシーズン中は忙しいです。

最後になりましたが、これをお読みになっている受験生、大学生の方々のご参考になっているのかは全くわかりませんが、こういう人生を送っている卒業生もいるのだ程度に受け止めていただけたらと思います。ただ老婆心ながらお伝えしたいのは、10代、20代のころは「自分で自分の壁を作らない」ことです。壁とは「周りの他人との壁」「自分の可能性」「困難の壁」何とでも解釈できるとは思いますが、何か自分で自分の枷をはめてしまうと、とても勿体ない気がします。もちろん、自分を過信し過ぎて失敗することはあるかもしれないですが、それも人生の一興だと思える日がくるのではないでしょうか。ですので、今は壁は取っ払おうの精神で皆様には邁進していただけたらと思います。

プロフィール

米岡 まり香(旧姓:郡司)(よねおか まりか(旧姓:ぐんじ))
(女子学院高等学校 出身)

2006年3月
慶應義塾大学理工学部物理情報工学科 卒業

2008年9月
Stanford University, Materials Science and Engineering, Master of Engineering修了

2012年3月
Stanford University, Materials Science and Engineering, PhD修了

2012年4月
SanDisk Co., Process Integration Engineer, Sr. Process Engineer, Staff Engineer

2017年9月
Apple Inc., Sr. Panel Process Engineer

2018年5月
Western Digital Co., Process Integration Engineer, Principal Engineer, Technologist

現在に至る

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