慶應義塾を卒業して15年ほどが経ちました。

学部時代は、入学式後のサークル勧誘で初めて知った「クリケット」という英国国技に熱中し、学生日本代表になったことがきっかけで、日本クリケット協会の事務局長として、普及活動、会費や国際団体や企業後援による資金調達、自治体など地域関係者との専用グラウンド設置折衝、英・豪・南アなど在日大使館との協働活動、男女の日本代表強化、国際大会誘致などなど、様々に奔走しました。

さらに、日吉キャンパスでは理系勉強サークル「智勇会(TUK)」を立ち上げて、他学科の同年代と勉強や研究機関視察などをして見聞を広げていたことがきっかけで、東京大学ヒトゲノム解析センターにアルバイト兼研究生として通い、それまで学んだことがなかった生理学系の論文を沢山読みました。

矢上キャンパスでは、中嶋敦先生の研究室で、クラスター化学の実験研究に従事しました。いま振り返るとクリケットに熱中していたこともあり、汗顔ものの研究態度でしたが…、「クラスター」という物質領域を切り拓くために、その物質・物性を同定し計測する科学技術を粘り強く生み出す、そのために競合とも言える海外の研究機関とも積極的に切磋琢磨する、そういう世界レベルで物事に真剣に向き合う先輩たちに囲まれたことは、後々の様々なシーンで道標になったと思います。卒業時に、クリケットと勉学を両立したということで、藤原賞をいただいたことは良い思い出です。

一方、実験系ならではの技術習得と、クリケットとのバランスが取りづらかったこともあり…、大学院は東京大学医科学研究所で宮野悟先生、中井謙太先生、井元清哉先生、長崎正朗先生などのご指導のもと、遺伝子医学に取り組みました。「複雑な事象」を単純化せず、未確定な部分はモデルを成長させ、複雑なネットワークそのものを再現する。そのシミュレータの開発・特定生体反応のモデリングなどに取り組みました。

そんな大学院1年生のとき、Apple社からiPhoneが発表されました。

「人類がiPhoneを通じてインターネットとつながる」そういう未来が見えました。その時、医学研究でもiPhoneを通して被験者とつながり、同意取得し、継続的に情報収集し、患者起点の主観的な状況を把握し、変わっていく遺伝子情報や臨床予後の情報を得られるようになる、という未来が見えました。それまでの医学研究の「数の次元」が大きく転換する、ゲームチェンジが起こることを意味しました。

一方、研究を大きく花開かせるためには、資金調達や事業を生み育てる力が必要であり、若いうちに「事業家としての実現力」を培った方が、後々大きな仕事ができるのではないか?という気持ちが強くなっていきました。

その結果、今後「価値の源泉」になるであろうiPhoneの近くに行こうと決めて、Apple社の日本法人に「商いの基本」からと営業職で新卒応募し入社しました。その後、期せずして入社早々、本社のグローバルiPhoneチームに招聘され、日本の法人市場立ち上げを任されました。スピード感を持って権限を与える、結果で評価するグローバル企業のやり方を体感しました。

その後、大量のモバイルが一般化する時代を見据え、福岡のITベンチャー「 アイキューブドシステムズ 」に移り、第2創業者のような位置付けで企業向けモバイル管理サービスを大きく育てました(同社はマザーズへ上場)。

時を同じくして、学部時代のケンブリッジ大学夏季留学プログラムで一緒だった同窓が、老舗の家業を継いで社長に就任したことを機に、ベンチや公園遊具やサインなどの公共什器メーカー「 コトブキ 」の役員として公共事業ものづくりから、パブリックスペースカンパニーへの変革・新規事業に取り組みました。

成長猛々しいITベンチャーと、老舗製造業の経営は、課題がまったく異なりましたが、両者いずれでも危機管理は常に私の役割で、常に会社を代表して事に当たることが癖になっていました。

ただ、会社経営をしながらも、医療をITで変革することの重要性が高まってきたため、慈恵医大の博士課程に進み デジタルヘルス研究 に従事し、臨床現場に必要な多数のアプリ研究開発に取り組み、超高齢社会に必要な「医療と金融」をつなげる基盤づくりのために「 あなたの医療 」という財団法人を立ち上げ、奔走しています。

一方、直近1年半は、神奈川県顧問であったことがきっかけで、神奈川県の医療危機対策統括官として、コロナ対策に奔走しており、黒岩祐治知事と阿南英明医師(医療危機対策統括官)とともに、緊急医療体制「神奈川モデル」をゼロから構築し、政府とともに全国に横展開していきました。 https://www.pref.kanagawa.jp/docs/ga4/covid19/ms/policy.htm

特に、2020年3月末から政府が構築した全国の病院稼働状況・病床・医療物資状況を把握する政府の医療機関等情報支援システム(G-MIS)の原型を神奈川で作った( 新型コロナ対策、神奈川の秘話 )ことがきっかけで、2020年6月からは厚生労働省参与に招聘されました。神奈川県と兼務しながら、厚労省のコロナ対策とその情報戦略を橋本岳副大臣や福島医務技監の補佐として、主にコロナ対策のために生まれた複数の政府システムを、戦略的な観点で、横串で運営管理する立場です。加えて、 厚労省・入国者健康確認センター の総責任者補佐として、水際防疫のデジタル基盤整備なども進めています。

以上、振り返ってみると、ゲノム・iPhone・モバイル管理・パブリックスペース・医療ICT・民間保険・危機管理・デジタルガバメントと、バラバラなことをバラバラな場所でやっているように見えて、「バラバラな物事の変化を捉える技術」と、時代の変化が起こる「価値が生まれる現場」の「当事者として立つ」という軸はあったように思います。

そして、医師ではない私自身の強みは、危機管理とデータ戦略であり、構想をまとめ、実務へ落とし込み、その実務のためのデジタル基盤整備をする力を身につけました。

いま大学時代を振り返ると、他のことは殆ど忘れてしまいましたが、恩師の中嶋敦先生に「君は(自分を厳しく見つめる)もう一人の自分がいるかい?」と聞かれたことをよく覚えています。当時の自分は、心の奥底を覗かれたというか、ゾッとしたというか、自信がなかったというか、そういう存在がいなかった気がします。

時は流れ、その後は事業家として、またコロナ対策の統括者として、全身全霊で命をかけて戦っている中で、自らの知力・能力では乗り越えられないことが多々ありました。

その時は、福澤先生や後藤新平翁、本田宗一郎翁など、いまは亡き多くの時代時代を創ってきた先輩たちについて学び、対話を重ねていました。それぞれの時代で、葛藤とともに「当事者」として時代を創り、言葉や事業を生み出した先輩たちについて、深く知り、彼らが生きた時代に自らを重ねることで、私自身の枠を超えた構想が生まれ、その中で相対的に私自身の程度「己の輪郭」がはっきりしていきました。さまざまな苦境を経て、いまは「己の能力」や「己の弱さ」を手触り感を持って掴むことができるようになりました。そして、この手触り感のある「己」をもって、今後「成すべきこと」とその「時期」が徐々に近づいてきている、そんな予感もしています。

これが「もう一人の自分がいる」ことになるのかどうかは、いつか中嶋先生に伺いたい気もしますが…、引き続き、「当事者」として現場を背負って、頑張っていきたいと思います。

学生時代の写真
(慶應クリケットクラブの学生選手権優勝時の記念撮影です)

プロフィール

畑中 洋亮(はたなか ようすけ)
(桐蔭学園高等学校理数科、米Phillips Academy Andover 出身)

2006年3月
慶應義塾大学理工学部化学科 卒業

2008年9月
東京大学大学院新領域創生科学研究科メディカル・ゲノム専攻(生命科学) 修士課程 修了

2008年10月
株式会社アップルジャパン 入社
(〜2010年12月)

2011年1月
株式会社アイキューブドシステムズ 入社
取締役 就任
(〜2018年9月)

2013年10月
株式会社コトブキ 入社
取締役 就任
(〜2020年9月)

2016年4月
東京慈恵会医科大学後期博士課程(医学) 入学

2019年5月
一般財団法人あなたの医療 設立
代表理事 就任

2019年8月
神奈川県政策局顧問(未来創生担当) 就任

2020年4月
神奈川県医療危機対策統括官 就任
(〜2020年6月、2020年12月〜)

2020年6月
厚生労働省健康局参与(コロナ対策・情報戦略担当) 就任

2021年1月
World Health Organization Advisor(Smart Vaccination Certificate WG) 就任

現在に至る

ナビゲーションの始まり