「競争率なんて、100倍でも1000倍でも関係ありませんよ」そう言って、学校推薦をもらい入社した念願のソニー。その時は、将来アップルでiPodをリードして、WALKMANで携帯音楽プレーヤー市場を席巻していたソニーから主導権を奪うことになるとは思ってもいませんでした。
大学院修士課程を修了するときに、なぜソニーを選んだのかというと、前身である東京通信工業株式会社の設立趣意書にある強烈な一文に魅了されたから。その一文とは「他社ノ追随ヲ絶対許サザル境地ニ独自ナル製品化ヲ行フ」。書いたのは、創業者の一人である井深大氏。その意志を持ち続け、どんどん新しい価値を創造するソニーにどうしても入りたかったのです。
しかし、簡単ではありませんでした。学校推薦をもらうのが大変だったのです。管理工学科でソニーの学校推薦枠は、学士3名と修士2名の計5名。革新的なソニーは大人気で、この修士2名の枠に20人以上が学校推薦を希望。教室に集まった希望者は、就職担当の先生から個別面談により調整すると説明を受けました。やる気満々の友人たちが「調整しきれなかった場合は、どうするんですか?」と先生に質問。「最後は、成績で決める」という回答を聞くと、そこにいた全員が僕の方を見て「前刀、残念だね」という始末。成績は僕が一番悪かったのは事実。ただし、何事もやってみなければわかりません。
「ソニーは全国から選りすぐりの優秀な学生が集まって、出世競争も大変厳しい。だから、人気ランキングがもう少し低い会社で出世したほうがいいのでは」という先生の説得で、「確かにそうですね」と納得し、志望企業を変えた友人たち。それに対して、僕が先生に言ったのは「競争率なんて、100倍でも1000倍でも関係ありませんよ、偉くなるやつは偉くなりますから」。その結果、成績優秀者の2人に加えて、なんと僕もソニーの学校推薦をもらうことができたのです。しかも、学士1名の枠を使って。強い意志が評価されてのことだとは思いますが、学士には申し訳ないことをしました。
学校推薦をもらって、ソニーから内定が出たのはよかったのですが、入社までにさらなる難関がありました。就職が決まっていても、落とされることがあると言われていた修士論文です。研究室の継続テーマではなく、全く新しいテーマを選んだ僕は、例に漏れず進捗が遅れていました。一発勝負の修論発表での審査が極めて重要でしたから、友人たちは発表前日までに何度もプレゼンテーションの練習をして準備万端。
僕はというと、論文は書き上がっておらず、発表の準備も終わっていませんでした。リハーサルを待ってくれていた先生も「もう帰る。明日はぶっつけ本番でやれ」と言い残して、去ってしまいました。さらに発表本番では、質疑応答用に準備しておいたOHPシートをばら撒いてしまい、「もう時間がないからいい」と打ち切られ、ばっちり回答できるスライドも見せられませんでした。研究室に戻り、「あ〜やってしまった」と落胆していると、なんと先生から審査を通ったとの報告がありました。「なんで通ったのか、よくわからん」そう言う先生に、「テーマの先進性と独自性がよかったんですよ」と得意げに話したのをよく覚えています。
全く優等生ではなく、人の真似をするのが嫌いな僕を受け入れ、指導していただいたのは、福川忠昭先生です。印象に残る教え子の一人であることには自信があります。そんな教え子を面白がる、福川先生の許容範囲の広さに感謝しています。後に慶應義塾幼稚舎長をお務めになったことも納得できます。
お陰様で、社会人になっても人と違うことが好きで、ネタに事欠かない「リセット&リスタート」の人生。新しいことに挑戦し、納得ができる結果を出し、達成感を得たら、また新しいことに挑戦する。その繰り返しが、自分を成長させてくれました。
ソニーから始まり、ベイン&カンパニー、ウォルト・ディズニー、AOL(アメリカ・オンライン)、ライブドア、そしてアップル。スティーブ・ジョブズから日本市場を託され、危機的であったアップルを復活させることもできました。現在は、設立したリアルディアで、新たな価値観の創造とセルフ・イノベーション事業に取り組んでいます。
塾生時代から育んできた学び続ける力「ラーニング・インテリジェンス」を発揮して、これからもまだまだ自己革新と挑戦を続けていきます。「明日の自分には無限の可能性がある」そう信じて。
前刀 禎明(さきとう よしあき)
1981年3月
慶應義塾大学工学部管理工学科 卒業(1981年 工学部を理工学部に改組)
1983年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科管理工学専攻修士課程 修了
1983年4月
ソニー株式会社 入社
1989年
ベイン・アンド・カンパニー 入社
1991年
ウォルト・ディズニー・エンタプライズ株式会社(現ウォルト・ディズニー・ジャパン) 入社
1996年
AOLジャパン株式会社 入社
ゼネラルマネージャー
1999年
株式会社ライブドア 設立
代表取締役社長
2004年
アップルコンピュータ株式会社(現アップルジャパン) 入社
代表取締役 兼 アップル米国本社 副社長
2007年
株式会社リアルディア 設立
代表取締役社長
現在に至る