理系の学生生活は4年生から

2009年、私は晴れて大学生となった。大阪大学で分子生物学の研究をしていた6歳上の兄は、私にこんな助言をくれた。 「理系の学生生活は研究室に入る4回生からや」 関西ではなぜか「〇年生」のことを「〇回生」と呼ぶ。2年生を3回しているあの先輩は何回生なんだろうなどとくだらないことを考えながらも、アドバイスに従い3年生まではごく普通の大学生生活を楽しんだ。
そして2011年の夏。ついに迫り来る研究室生活を間近に控え、期待と不安で胸が膨む。期待の源は、慶應義塾大学医学部・坪田先生の名著『理系のための研究生活ガイド』(講談社)を読み、研究というロマン溢れる世界を知ったから。不安の原因は、牧歌的で平凡な大学生生活を過ごしてきた私が、世界の第一線で活躍する教授達のもとで求められる成果を出せるかが心配だったためである。
そんな中で選んだのは機械工学科の三木研究室。周りの志望者の志望理由が「楽しそう」、「雰囲気がいい」、といったものが大半を占める中、私は三木研の専門分野であるMEMS(メムス)の可能性に魅せられた。
今や10 nmオーダーで作製される半導体の加工技術を用いて、新たな機構・システムを生み出す今もホットな領域で、AIやIoT、ロボットが産業の主流となる今後、ますます市場は拡大するだろう。そんな人気分野の三木研では、定員8名に対し12人の志望者。集団面接の末、無事に三木研に合格した私は、正式に研究をスタートする4月を待たずして、2月の春休みから研究室に入り浸った。
研究テーマをもらうため、三木教授に尋ねたところ、「ひゅーって水の中泳ぐ微生物っているじゃん?それをちっちゃいモノにくっつけて、ぴょこぴょこ動くロボットできたら面白くない?」
こうして私の研究テーマは決まった。

初めての国際学会

初の国際学会MEMS2013にて 発表会場

論文を読み漁り、夜通し実験にふけり、徒歩10分の自宅に帰るのも億劫なため、研究室の椅子を並べて寝るという生活を続けること約半年。その年は台湾で開催される国際学会MEMSに投稿した論文要旨が採択され、参加が決定した。しかも口頭発表。日本語でもろくにプレゼンテーションをした経験もない中、業界の重鎮を含む約700人の聴衆が鎮座する前で、英語によるプレゼン。さらに私を縮み上がらせたのは会場の大きさだ。もはや奥の人が誰だか分からない。
発表資料も直前まで夜通し作り直し、意識が朦朧とする中、全く原稿が頭に入らない。発表直前の練習もグダグダで、私は正直、「終わった。」と思った。
発表まであと5分。私は用もないのにトイレの個室にこもり、便器の上で震えていた。体の毛穴は全て開き、脂汗が噴き出す。

発表壇上の筆者

しかし無情にも自分の番となり、観念して壇上に上がった瞬間、奇跡は起きた。まるで原稿を丸読みするかのごとく、一字一句正確に喋る自分がいた。軽快なジョークを飛ばし、観衆の反応を楽しむ余裕もあった。脳がいつもの10倍は早く回転し、15分の発表時間ぴったり収まるようスピードを調節しながら、抑揚をつけつつ発表を終えた。柔道家のヤワラちゃん曰く、試合中の極限の集中状態では、幽体離脱したように外の自分が試合中の自分を観察しているような感覚になると語っていたが、まさしくこの時の自分はそんな感じだった。発表が終わり席に戻ると、研究室の先輩から、「ジョブズだった。」と発表を讃えられた。しかし、毎度こんな思いはしたくないので、それ以降はちゃんとしっかり事前準備をするようになってしまった。私の中のジョブズとはこれっきり会っていない。

三木研メンバーにて

起業

初の国際学会での発表も乗り切ったあとは、様々な研究者と交流し、最先端の知見に触れる中で、研究という世界にますます魅力を感じ、のめり込んでいった。博士課程を終えるまでで学術論文6本、国際学会5回、博士学生の登竜門的位置付けである、学術振興会特別研究員(DC1)への採択。結果を残していく中で、もっと直接役に立ちたいという思いが次第に募っていった。

新しい減塩食品「ソルトチップ」

そこで、修士からひっそりと進めていたプロジェクトで起業することにした。これは、塩をほとんど摂ることなく塩味を感じさせる技術で、腎臓病の患者さんのように塩分制限が必要な方が、楽に減塩をできるようにするためのものである。具体的には、歯にソルトチップを貼り付け、これをなめながら食事をすることで、塩をかけていない料理でも、塩味が効いた形で料理を楽しむことができる。実際に技術が形となった2017年に慶應義塾医学部主催の「健康医療ベンチャー大賞」に出場し、優勝を果たした。100万円の賞金もさることながら、祝賀会にてあの坪田先生に会えた(だけでなく、ちゃっかり本にサインも頂いた!)ことが望外の喜びだった。

健康医療ベンチャー大賞にて三木教授と

健康医療ベンチャー大賞にて坪田教授と

現在、私は三木教授とともにこの賞金で会社をつくり、そこの社長をしている。自分の研究が商品となり、塩分制限で苦しむ方々から直接感謝の言葉を頂くようになった。坪田先生の言葉は正しかった。やはり研究はロマンに溢れている。

プロフィール

東 和彦(ひがし かずひこ)
(滋賀県立膳所高等学校 出身)

2013年3月
慶應義塾大学理工学部機械工学科 卒業

2015年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻前期博士課程 修了

2015年4月
日本学術振興会特別研究員(DC1)(会社設立のため、2017年に途中辞退)

2017年5月
株式会社LTaste代表取締役社長 就任

2018年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻後期博士課程 修了

現在に至る

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