はじめに

慶應の大学院生時代と、慶應、東工大、筑波大学の都合38年の教員生活を振り返ります。

大学院生時代

学部の最終学年を迎え、もっと勉強したいという思いから大学院進学を決め、管理工学科を受験しました。筆記試験結果の発表が午前中に、筆記試験合格者の面接が同じ日の午後に設定されていた当日、私は朝寝坊して髭を剃ることも忘れて矢上台まで急ぎ、自分の受験番号を見つけ、午後の面接に臨みました。私の答案について河田龍夫先生からコメントを戴いたことや司会役の林喜男先生の優しい笑顔を今でも覚えております。


入学後、関根智明先生の研究室に入れていただくことになり、研究室の先輩からキューン・タッカーって知ってるとか、不動点って知ってるとか聞かれても何のことやらという状態からの出発でした。授業よりも多い研究室のゼミでは内容が分からないと聞いているのが苦痛になってきます。そこで今後はすべてのゼミを理解してやろうと野心を起こし、夏休みに友人と2人で長野の山奥の温泉宿にこもって基礎的な数学の勉強をし直し、秋からのゼミに臨みました。そのとき食べた鯉の洗いの味が未だに忘れられません。
パイプの芳しい香りに導かれるかのようにして教室に姿を見せられる河田龍夫先生の「証明というのは当たり前のことを書き並べること」とのお言葉、当時親しみを込めて「おじいちゃん」と呼ばれていた山内二郎先生の手書きの数字がいっぱい詰まった講義資料、それに関根智明先生の「あんた何言ってるのか全然わかんないよ」という叱責、その一つ一つについて、このような機会を持てた幸運に感謝しています。

博士課程に進学後は手探りの日々が続きました。電力中央研究所で開かれる研究会に参加しては、周囲の方々の新しい研究成果に目を奪われ、振り返って自分には何もないことを痛感して落ち込む毎日でした。それでも関根先生の部屋をわが部屋のごとく思って毎日矢上の坂を登りました。

慶應から東工大へ

昨今ではありえないことですが、学位取得前に管理工学科の助手に採用されるという幸運に恵まれ、博士論文の執筆と授業の準備に忙殺される日々が訪れました。程なく東工大から声をかけていただき、大学院生として5年間、助手として1年3ヶ月、都合6年余り登り降りした矢上台の坂を振り返りつつ後にしました。


東工大では、慶應の先輩の小島政和先生の下で不動点アルゴリズムの研究のお手伝いをさせていただき、海外の研究者から次々と送られてくる論文を読み、それを凌駕する結果を出そうと努力する毎日でした。このアルゴリズムはその収束性が関数の局所的な性質に依存しないという好ましい特徴を持っていますが、計算速度の改善が望まれており、幾種類ものアルゴリズムが提案されていました。私達は、それらのアルゴリズムを統一的に理解できる基礎的な構造の構築を目指しました。研究に没頭できた幸せな日々でした。

そして筑波へ

数ヶ月ほど経った頃、筑波大学のある先生から講師として来る気はないかとのお話をいただき、日を置いてキャンパスを見学し、その広大さに圧倒され帰宅しましたが、そのときの私には筑波に移って自力で研究を続ける自信がありませんでした。もう少し今の環境で研究を続けたいという思いと、筑波の地で新しい生活を始めてみようという思いとの間で一月悩み続けましたが、学生時代にお世話になった関根先生のお勧めもあって、筑波大学に移ることになりました。こうして1980年の秋、大岡山の生活に別れを告げました。

当時の筑波は、広大な松林に現れた人工都市、上野からの常磐線が唯一の公共交通手段であるフロンティアでした。地理的な辺境であるとともに、そこに住まう人々は若く、この国の科学技術研究の最前線を担っているという意気込みに溢れていました。着任した筑波大学社会工学系は巨大な組織でしたが、最適化研究を志す仲間とそれぞれの研究分野について気軽に話し合える数理工学研究室を立ち上げ、私は東工大時代からの不動点アルゴリズムの研究を続けるとともに、非分割財のある経済の競争均衡の存在証明とその計算に取り掛かりました。このような研究ができたのも社会工学系という学際的研究を目指す組織に職を得たおかげです。

振り返れば

その後フンボルト財団の援助を得て、当時の西ドイツのボン大学に滞在し、シュペルナーの補題の一般化や変分不等式の研究をすることができました。都合2年の研修を認めてくれた筑波大学社会工学系に感謝するとともに、当時の大学人の恵まれた環境を懐かしく思い出します。


この非才の私が38年間教壇に立ち、研究を続けることができたのは、尊敬すべき恩師、信頼できる研究仲間、それに優秀な学生諸君のおかげだと感謝しています。

プロフィール

山本 芳嗣(やまもと よしつぐ)
(大阪府立天王寺高等学校 出身)

1973年3月
名古屋工業大学工学部 卒業

1975年3月
慶應義塾大学大学院工学研究科管理工学専攻修士課程 修了

1978年3月
慶應義塾大学大学院工学研究科管理工学専攻博士課程 単位取得退学

1978年4月
慶應義塾大学工学部管理工学科 助手

1978年9月
工学博士(慶應義塾大学)

1979年7月
東京工業大学理学部情報科学科 助手

1980年10月
筑波大学社会工学系 講師

1984年6月
筑波大学社会工学系 助教授

1991年4月
筑波大学社会工学系 教授

2015年4月
静岡大学 客員教授

2016年4月
筑波大学 名誉教授

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