私が高校生のころはそこまでインターネットは普及しておらず、大学OB・OGのナマの声を聞ける機会はほとんどありませんでした。現在では様々な情報をタイムリーに入手することができるようになっており、便利な世の中になったものだと思います。今回私が執筆しました内容は十年以上も昔の、もはや熟成されてしまった情報です。ざっくばらんな内容ですので、温かい目で読み流していただけますと幸いです。
高校時代は数学と物理のみが得意な典型的な理系学生でした。工作やロボットといった世間一般でいわれる「機械」というものが好きだったので機械工学科へ迷わず進学しました。「思っていたのと違う」と思ったのは大学2年生のころでした。機械力学・材料力学・流体力学・熱力学といった機械工学の基礎となる4力学を学び、「機械」とは私の好きだった「Machine」ではなく「Mechanics」であったということに気づきました。とはいえ、これらの専門知識の積重ねによって車や航空機が設計・製造されていることを知り、これらの分野の学問を少しでも極めたいという気持ちが芽生えました。
固体力学という当時あまり聞きなれない分野の研究室、志澤一之教授(当時助教授)の研究室のドアをたたいたのは、材料力学が得意だったという学科の志望動機とよく似た理由でした。また、機械工学科では珍しい実験をしない研究室というのも魅力のひとつでした。実験は嫌いではないのですが、理論とコンピュータを駆使して未解決の問題に挑むというアプローチの仕方が当時の自分にあっていたのだと思います。学部四年生で配属された当時の研究内容は「転位場の微分幾何学的表現を用いた結晶塑性モデルとその大変形FEM解析」でした。始めはなんのことかわからない研究でしたが、15年たった現在でも同じ分野の研究をしています。
特に規則はなく比較的自由な研究室だったため、私にとって研究室とは「部室」のようなものでした。研究室に顔を出せばそこには友達や先輩・後輩がいて、ご飯を食べる、昨日の飲み会の話をする、フットサルをする、時々は先生と話をする、研究に勤しむ・・・と、楽しい思い出ばかりです。こんな楽しい生活はやめられないと博士課程に進学しました(もちろんそれだけではないですが・・・)。
博士課程では修士課程とは異なり、研究者として独り立ちするための厳しい修行が始まりました。学会に参加する機会も増えれば、国内はもちろん海外各地に出向くようになります。それまで海外旅行もしたことなく、もちろんろくに英語も話せない私が国際会議で発表するとなれば、それはとても緊張しましたし逃亡も考えましたが、志澤教授の手厚いサポートのおかげでなんとか発表することができました。今でも感謝しています。そんな私でも数をこなすごとに慣れてきて海外出張を楽しめるようになりました。初めての土地で、初めて出会う人と、初めてのことを体験することの楽しさはこれまでの人生にはないものでした。徹夜で研究をするなど大変なこともありましたが、総じてとてもいい経験をさせていいただきました。
博士課程終了後は紆余曲折ありましたが、現在は東北大学大学院 工学研究科 ナノメカニクス専攻の准教授として教壇に立って授業をし、研究室では学生を指導する立場になりました。我々の日常生活に必要不可欠な鉄、鋼、アルミニウムといった金属材料やプラスチック、繊維、ゴムといった高分子材料は日々進化を続けています。このような最先端材料の複雑な振舞いを解明するために、実験によって得られたデータと計算シミュレーションとを融合させ、新しい知見を生み出す研究を行っています。これまでの経験を活かし、明るく楽しく研究ができる環境をつくっていければと思っています。
青柳 吉輝(あおやぎ よしてる)
(桐朋高等学校 出身)
2001年3月
慶應義塾大学理工学部機械工学科 卒業
2003年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻修士課程 修了
2005年10月
神戸大学工学部機械工学科 学術推進研究員
2006年4月
慶應義塾大学理工学部機械工学科 助手(のちに助教)
2006年9月
慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻博士課程 修了
2009年4月
日本原子力研究開発機構原子力基礎工学研究部門 研究員
2009年4月
早稲田大学創造理工学部総合機械工学科 非常勤講師
2012年2月
東北大学大学院工学研究科ナノメカニクス専攻 准教授
現在に至る