私は現在ニュージーランドのクライストチャーチで大学の教員をしています。慶應義塾には15年間という長い期間にお世話になりましたが、特に私の今につながる出来事を中心にご紹介したいと思います。

中高時代

中等部に入学して慶應義塾に飛び込んだ私が最初に自分の意思で選んだのはクラブ活動でした。文化系と運動系の両方のクラブ活動が推奨されていた中等部で、私は数学研究会と山岳部を選びました。後ほどご紹介するように、この選択は実は現在の私の仕事と趣味に大きくつながっています。月一回の日帰り登山を楽しむ一方、学年が上がるにつれて数学が楽しいと感じるなど、中学生のころから自分は理系に進みたいと強く意識していました。一方で中学2年の時に父の転勤でロンドンに1年間住むという経験をしました。インターネットはおろかFAXさえ普及する以前の時代、友達と離れて異国へ行くことは不本意で辛いこともありましたが、この経験が英語力を含めてその後の私に大きな影響を与えたことは間違いありません。志木高に進学してからは一層理系の教科に興味を持つ一方、クラブ活動ではマンドリンクラブに所属して音楽にどっぷり浸かりました。

学部時代

私が入学した1996年は理工学部の学科再編が行われた年で、新カリキュラム一期生として学生も先生方と一緒に新しい学科を作り上げていくという雰囲気がありました。高校時代から情報通信に関心があったので入学時には学門5を選択しましたが、21世紀のエンジニアには専門のほかに幅広い工学分野の知識も求められると聞き、学科選択時には電気、機械、情報の各分野を複合的に学べるシステムデザイン工学科(以下SD工学科)へ進学しました。

課外活動では引き続きマンドリンクラブに所属して、クラブ主催の年数回の演奏会のほか、NHKが後援していた若手向けオーケストラや、小規模アンサンブルによる出張演奏など様々な演奏会に参加しました。一方、義塾付属校をはじめ複数の中高のマンドリンクラブでコーチを務め、後進の指導をしたことも大学時代に得た大きな経験の一つです。

課外活動では音楽一色の生活を送っていた私が、SD工学科の科目の中で特に興味を持ったのが信号処理でした。信号処理は音や画像をはじめ工学の様々な分野で得られるデータに対し、数学を道具として使うことで必要な情報を取り出すことを可能にする技術です。中高時代から数学を使って身の回りの問題を解くことが楽しいと感じ、また趣味では「音」の世界に浸かっていた私にとって、信号処理は専門とするのにぴったりの分野でした。4年生の研究室選択では、信号処理の授業を担当されていた浜田教授(現在は退職されて名誉教授)の研究室を選択し、卒業研究では音の分離をテーマとした研究を行いました。

学部4年生卒業前のマンドリンクラブの定期演奏会(正面右が本人)

大学院時代

学部時代から将来はエンジニアになることを希望していたことに加え、学びたい専門分野が見つかったため修士課程へは迷うことなく進学しました。修士の2年間では国際会議での論文発表や後輩の研究指導など、研究者として第一歩を踏み出しました。研究を通して新しい技術を生み出すことの面白さを感じる一方、授業や実験のTA(Teaching Assistant)を経験し教育にも関心を持つようになりました。多くの同級生が修士課程を修了して就職するなか進路にはずいぶんと悩みましたが、確たる専門分野を持ちたいという思いと、将来大学教育に携わる機会を残したいという考えから博士課程に進学しました。博士まで一貫して音の信号処理を専門に研究し、国内外での学会発表や授業のTA、そして学内の研究プロジェクトへの参加など、修士の時に比べてより幅広く研究者として必要な経験を積みました。無事に3年間で博士論文の審査に合格し、就職するまでのわずかな期間に、同級生に数年遅れて一人で卒業旅行に出かけたニュージーランドで、のちに教職に就くことになるとはその時は想像すらしませんでした。

群馬県片品村にて修士2年の研究室夏合宿

一人で卒業旅行に出かけたニュージーランド

博士学位授与式
浜田先生、防衛省から留学されていた福江さんと

卒業後

博士修了後、同級生の多くは教職を目指しましたが、当時の私にはまだ先生と呼ばれる自信はなく、また世の中で使われる技術を生み出す研究がしてみたいと考え、音響信号処理では国内トップレベルのNTT研究所に就職しました。一流大学を卒業した優秀な同僚に囲まれ、自分の実力不足にもどかしい思いをすることもありましたが、専門の音響信号処理の知識を生かした仕事をする機会に恵まれ、多くの技術を学び自分の手で生み出した研究成果を製品に実装して売り出すという貴重な経験もしました。

就職後7年近く経ったころ、そろそろ自分の経験や知識を還元したいと思うようになり、卒業旅行以来様々な形で訪問、滞在する機会のあったニュージーランドに偶然現在の職を見つけて今に至ります。ニュージーランドへの移住を決断した背景には、世界中の人が集まる英語圏での仕事にチャレンジしてみたいと思ったことはもちろんですが、自然豊かな環境でハイキングが手軽にできるなど趣味に適した土地であったことも大きく影響しています。クライストチャーチは2011年に大地震があったことで記憶にある方も多いかと思いますが、復興も徐々に進み新しい街づくりが進んでいます。これまで学んできたことを活かして、この地の教育と技術発展に貢献したいと思っています。

NTT時代の研究成果は商用製品にも使われ、テレビ東京の番組「ワールドビジネスサテライト」で取り上げられました

現在勤めるUniversity of Canterbury

週末には市内周辺でハイキング

おわりに

本コーナーは理工学部の受験を考えている中高生の皆さんへ向けてとのこと、海外経験や付属校からの大学進学など、私の経歴は必ずしも皆さんのケースには当てはまらないかと思います。しかし慶應義塾を卒業して10年近く経ったいま振り返ると、10代から20代前半にかけて興味を持ったこと、力を注いだことは、私自身のその後のキャリア選択に大きな影響を与え、同時に強い武器になっていると感じます。皆さんが進路を考える際にも、今の皆さん自身を見つめてみることで答えが見つけやすくなるのではと祈りつつ、筆を置かせていただきます。

プロフィール

日岡 裕輔(ひおか ゆうすけ)
(慶應義塾志木高等学校 出身)

2000年3月
慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科 卒業

2002年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻修士課程 修了

2005年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻博士課程 修了

2005年4月
日本電信電話株式会社NTTサイバースペース研究所 研究員(~2012年12月)

2010年6月
Victoria University of Wellington 
Visiting Researcher(~2011年7月)

2013年1月~
University of Canterbury
Lecturer

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