私は現在、生まれ育った兵庫県で大学教員として職に就いています。大学入学からつい最近まで人生の約半分を、慶應を中心とした関東地方で過ごして参りました。大学院を修了し、関東地方を離れ、強く感じることは、やはり母校に対する愛校心の大きさです。研究者としての人格形成に影響を与えた学生時代を中心に紹介させていただきます。

理工学部を志す

薬学系大学出身の両親が学生時代に使っていたと思われる化学辞典が実家にあり、内容は分からないなりにも高校で習う以上の化学に触れ合っていました。また、高校時代の恩師にも恵まれ、自然と化学が好きになり、理工学部学門3に入学しました。最初にショックを受けたのは理工学部1年必修科目の化学A(茅幸二先生ご担当)でした。化学Aは化学物質の単位である原子の構造を、量子力学の考え方を用いて解釈する講義であり、シュレディンガー方程式をはじめとした数式の数々に圧倒されました。物理が嫌だから化学を選んだのに…と思いつつも、高校化学では習わない(省略されている)化学の原点に触れる気がして妙に興奮した覚えがあります。

サークルは高校時代まで吹奏楽部に在籍していたこともあり、バンドサークルに在籍しました。しかし、コピーバンドで人が作った曲を演奏することに限界を感じ(オリジナルを超えることは絶対にできない)、同期何人かとサークルをやめ、オリジナル曲を演奏するバンドを始め、ライブハウスでライブ活動をするようになりました。結局、バンド活動はドクターをとるまで、研究と両立しながら続けました。周囲の関係者には大変迷惑を掛けたかと思います。

ドラムを叩いていますが、実際はベースを弾いていました

化学を専攻する学生として

その後、化学科を選択し、卒業研究からは山元公寿先生の研究室でお世話になりました。山元先生は当時早稲田大学から移ってこられたばかりで、新しいケミストリーを切り拓くべく、デンドリマーという新しい分子の機能開拓を立ち上げられていました。そして、学科紹介のパンフレットに載せられていたデンドリマーの構造の美しさに魅せられました。その後、博士課程を修了するまで、デンドリマーの研究に携わることができました。幸い博士課程に進学した化学科の同期が多く、研究以外の部分でも楽しく過ごすことができました。特に博士課程2年の時には、他の研究室でやっていることも当然知っておかなくてはいかん、ということで自主的に同期の勉強会を立ち上げて各々の研究について議論を重ねました。

山元邸にて、研究室メンバーと共に

美しい?デンドリマーの構造

化学を専攻した博士として

博士取得後、民間企業、ポスドク、大学教員、独立行政法人の研究員を経て、現在のポストに縁があり収まっています。まさに漂流するように渡り歩きました。時には研究を諦めざるを得ない状況に追い込まれたこともありましたが、福沢先生の「進歩しないものはすたれ、退かず努力するものは必ず前進する」を心に留め、精進して参りました。このような回り道(”特異なキャリア”とよく言われます)をしたからこそ、現在の私があると思っています。産学官すべてのポストを経験した大学教員なんて、そうはいないのでしょうから。

化学を伝える側として

現在では甲南大学理工学部機能分子化学科の教員として学生たちの教育にあたっています。実は慶應義塾大学理工学部化学科と共通点があります。それは私立大学でありながら学科の定員が少なく、学生との距離が近い点です。学生時代に化学科の少人数制が化学科志望の一つの要因であったことから考えると、少人数を教える現状の立場は奇妙な縁としか言いようがありません。これからも、化学科在籍時に感じ取った少人数教育の魅力を伝えていくことができればと思っています。

研究室の集合写真

プロフィール

木本 篤志(きもと あつし)
(白陵高校 出身)

2000年3月
慶應義塾大学理工学部化学科 卒業

2002年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻修士課程 修了

2005年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻博士課程 修了

2005年4月
大日本印刷株式会社 入社
技術開発センター材料開発研究所 配属

2006年4月
科学技術振興機構 ERATO-SORST相田ナノ空間プロジェクト研究員

2007年10月
青山学院大学理工学部化学・生命科学科 助手(のちに助教)

2010年8月
理化学研究所 社会知創成事業イノベーション推進センター 研究員

2012年7月
東京工業大学 資源化学研究所産学官連携研究員

2012年9月
甲南大学理工学部機能分子化学科 講師

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