この度は、本欄への執筆の機会を頂き、化学科中嶋敦教授を始め、関係各位の方々に深謝いたします。

私は、1984年4月、慶應義塾大学理工学部Ⅲ系(当時)へ入学しました。2年生の段階で応用化学科か化学科を選択するしくみになっており、設立後間もない少人数制(40人/学年)の化学科(4期生)を漠然と志望していましたが、決定打は後に研究室でお世話になる茅幸二先生(現:理化学研究所次世代計算科学研究開発プログラムディレクター)の講義でした。「分子構造と物性」は、眠くなる時間帯の木曜4限だったと記憶しております。当時の将棋研究会の仲間4名で一緒に受講した科目はこれだけでしたが、見事に成績が「A」~「D」に1名ずつ分かれたのが運命的でした。私の成績は申し上げるまでもなく。。。

化学科では、著名な先生方による学部に開放した特別講義が主に土曜日の午後にありました。私は低学年の頃からしばしば出席し、後ろの方の席で睡眠をとっておりましたが、茅先生が台湾からご招待されたYuan-Tee-Lee先生の講義は印象に残っています。将来のノーベル賞候補であるとのご紹介があったところ、直後に本当に受賞されたのには驚きと感慨を憶えました。Lee先生の論文は、茅先生の研究室で修士課程の研究の直接の参考材料にもさせて頂き、今から思えばレベルの高い挑戦をしていたのだなあと思います。また、現在は理化学研究所理事長として茅先生ともご一緒されている野依良治先生の特別講義もあり、やはり後にノーベル賞を受賞されました。ノーベル賞との縁は就職してからも続き、茅先生からのご紹介により滞在したカナダの国立研究所(NRC)では、OB研究員が受賞(炭素材料フラーレンの研究)というトピックで大いに沸きました。

1996年ノーベル化学賞のクロト教授を囲んで、1971年ノーベル化学賞のヘルツベルグ教授(当時94歳)と共にNRC(カナダ国立研究所)にて

化学科は、少人数で同級生とは講義や実験がいつも一緒になるということもあってか、お互いがほとんど顔見知りになる、いわばアットホームな雰囲気があります。工場見学旅行、卒論/修論の発表会、卒業パーティなどの写真はよく残っていますし、同窓会も多いように思います。私の世代では、まとめ上手な幹事役や大学に残っているスタッフがいたりして、数年前に卒業後20周年記念パーティが実現しました。所属の物理化学研究室では、夏の暑い日に茅先生の辻堂の別宅で毎年開かれたガーデンパーティが大きな楽しみでした。OB、OGご家族など一堂に会したバーベキュ-、買い出しから後片付けに至るまでが良き思い出です。アットホームと言えば、赴任されて間もない中嶋敦先生(当時は助手)の新婚家庭にもお邪魔させて頂きました。ビーフストロガノフご馳走様でした。

修士論文発表会(1990年2月)

辻堂の茅先生別宅にてガーデンパーティ(1989年5月)

中嶋敦先生(当時助手)の新婚家庭にお邪魔して

研究室で茅先生が研究費獲得のために奔走されている姿を目にするに付け、研究の評価や研究費の配分に関わってみたいと考えるようになり、修士1年の終わり頃から公務員国家一種試験がターゲットになりました。研究室で実験のローテーションに当たっているときは体育会系のごとく、また、研究の合間には麻雀や将棋、パソコンのゲームで英気を養うといった生活ぶりで、脳みそのスタミナこそ一番自信のある分野でしたが、幸いにも好成績で合格することができました。結局たまたま最初に訪問した特許庁に入らせていただくこととなり、意に反して(?)大学時の専門とは全く関係のないミシンの特許審査担当を命じられました。特許庁では5年ほど前に採用担当を任されたのですが、往時の自分と同様、誰もが志望動機として「学生時代の専門性を活かして社会に貢献したい」と表明します。敢えてコメントするならば、志望と異なった配属になっても、長い目で見ればそれなりの経験ができることはきっとある、と割り切ったら良いと思います。私の場合、ミシンの担当は1年程度で交替となり、紆余曲折あって入庁から20年以上を経過した昨年、蒸着の担当技術分野において、ようやく研究室時代に見慣れた装置の特許審査に関わることとなりました。すぐに9ヶ月で異動となりましたが。

研究の合間に英気を養う

大学の研究室は基礎研究で、当初はずっと特許とは無縁と思っていました。通産省の産業政策局に出向したときに、産学連携、大学TLOの立ち上げに関与し、当時の慶應義塾大学知的資産センターのスタートにも少しだけ貢献できましたが、この頃、研究室の中嶋敦先生が特許出願をされるようになったと伺いました。(社)発明協会へ休職出向したときは、特許技術を事業に結びつけ社会に役立てるしくみ作りに携わっておりましたが、公益法人改革で「仕分け」を経験しました。奇しくも同じ時期に茅先生はスパコンを実用的に社会に役立てるしくみ作りで仕分けと向き合っておられたのでした。ノーベル賞のような基礎からスタートして、いつの間にか最も現実的な話に関わることになるとは不思議な感じですが、この秋には、茅先生の喜寿をお祝いする会が計画されているとのことで、再会が楽しみです。

特許庁三田会?

就職後も様々な場で、慶應義塾の友人、先輩後輩のネットワークに触れる機会がありました。私が特許庁へ入ったときは、大先輩で応用化学科卒の田中宏弁理士先生が「特許三田会」という官民特許関係者の集まりを続けておられました。数年前、直属の部下が慶應の後輩、慶應から採用した2名の新人が幹事に適役で、職場の同じフロアにいた女性らも集まり、化学・バイオ系の特許審査第三部に将来有望な慶應義塾OB、OGが揃いました。特許庁三部三田会(?)は、後輩に繋がるネットワークに必ずや育つものと確信しています。

プロフィール

菊地 則義 (きくち のりよし)
(桐蔭学園高等学校 出身)

1988年3月
慶應義塾大学理工学部化学科 卒業

1990年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科化学専攻修士課程 修了

1990年4月
特許庁 入庁(審査第四部繊維)

1994年4月
特許庁審査官に昇任(審査第三部繊維加工)

1996年7月
カナダ国立研究機関(NRC) 客員研究員(~1997年6月)

1997年11月
通産省産業政策局 課長補佐(~1999年10月)

2009年8月
公益社団法人発明協会へ休職出向
特許流通促進グループ部長など(~2011年6月)

2011年7月
特許庁特許審査第三部無機化学(蒸着・単結晶成長) 室長(~2012年3月)

2012年4月
特許庁特許審査第三部プラスチック工学(繊維・積層) 室長 

現在に至る

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