はじめまして。冨永と申します。このたび、ご縁があってこのコーナーの執筆をさせていただくことになりました。楽しかった6年間の大学生活に想いを馳せつつ、ありのままを書いてみようと思います。少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。

理工学部への志望動機

まず、私には「TVゲームを作りたい!」という、小学生のときからの夢がありました。ファミコンなどが大好きで、「自分でもゲームを作ってみたい!」という、単純と言えば単純な理由です。

夢をかなえるにはどうしたらよいだろう?と考えたとき、大きく分けるとデザイナーかプログラマーという2つの道を思い浮かべました。私の場合、理数系の科目が得意だったので、自然とプログラマーを目指すことになりました。そこで、高校も理数科へ進み、大学も理工学部、それもプログラムについて学ぶことができそうな学科へ進むことに決めたのです。

そして、私が大学受験するちょうどその年に、慶應義塾大学に「情報工学科」という新しい学科が設立されました。幸いにもこの学科の1期生になることができたのですが、このタイミングで「情報工学科」が設立されたのも、何かしらのご縁があったのかもしれません。

大学生活、サークル

大学の良さは、入ってからすぐに気づきました。とにかく、暗いところがまるでないような、自由でのびのびとした校風。初めての一人暮らし、ということもあって、とにかく楽しかったという印象しか残っていません。

そんな楽しい大学生活にはかかせないサークルですが、私は「共済部」という、名前を聞いただけではピンとこないような部に入っていました。何をしていたかというと、塾生に下宿先やアルバイトをボランティアで斡旋するというサークルです。私も、下宿先はそこで見つけました。

と言っても、ボランティアしかやっていないわけではなく、夏は合宿と称して海辺の宿でスポーツしたり飲み明かしたり、冬は毎年スキーに行ったり、早慶戦は必ず応援に行ったりしていました。野球が好きなら早慶戦はお勧めですよ。神宮球場で「若き血」を熱唱したら、「慶應入って良かった」と間違いなく実感できます(笑)。

サークルの同期たちと。このときは、同期の実家(お寺)でクリスマスパーティを開いていました。

志望動機から選んだ研究室

大学生活の中で、1つの転機となるのが研究室選びです。私は「ゲームを作りたい!」という夢があるわけなので、「その夢に一歩でも近づけそうな研究をしているところはないか?」と探してみたのですが、これまた運の良いことに、VR(バーチャルリアリティ)の研究をしている研究室がありました。その名も「松下・岡田・重野研究室」です。(現在、松下先生はすでにご退職されていますが、 岡田研究室、重野研究室はそれぞれ健在です)

この研究室では、簡単に言うと「コンピュータで作り出された仮想空間において、より臨場感を感じてもらうにはどうしたらよいか?」ということを研究していました。特に着目していたのが「におい」です。

私が研究室を見学したときには、PCモニターの中に森林の世界が広がっていて、PCの横にある怪しげな機械からプシューッと森林の香りがする空気が吐き出され、「ほら、本当に森林の中にいるような気分でしょう?」と言われたのをよく覚えています。「なんて怪しげなことをやっているのだろう」と(笑)。

ですが、当時の私は「コンピュータで作られる仮想空間とは、まさしくゲームのことだ!」と勝手に思い込んで、迷わずこの研究室を選びました。そして私もにおいとVRの研究をすることになったのですが、実験のたびに研究室中にいろいろな香りが充満し、まるで化学系の研究室でした。研究室の仲間からもよく迷惑がられていましたが、何とか無事修了までこぎつけました。

矢上の研究室にて。写真では分かりませんがいろいろな匂いが立ち込めていました(笑)。

研究室の同期たちと。これは、修了旅行として私の実家に遊びに来たときの写真です。山口までわざわざ車で来てくれました。

無事就職、現在に至る

そして、いよいよ就職活動です。研究室の同期はほとんど、学校推薦で次々と就職先を決めていく中、普通に就職活動をしていたので、一人だけなかなか就職先が決まらない私。周囲からも心配されてしまいましたが、なぜか私は根拠のない自信だけあって、むしろ就職活動を楽しんでいました。

その甲斐あってか、現在勤めている任天堂から内定がもらえました。ファミコンからずーっとお世話になってきたメーカーだったので、ものすごく憧れていたのと、どうせやるなら、業界の第一線でやれるようなところに行きたい、という思いから、喜び勇んで入社しました。

最初、理工系技術者として採用されたのですが、実は入社してから一行もプログラムは書いていません(笑)。情報開発本部というソフト開発部門に配属されたのですが、部署での新入社員研修が終わってからすぐに、企画担当として配属されました。企画担当とは、平たく言うと「ゲームの内容を考える」仕事で、実を言うと、私が一番やってみたかった仕事なのです。もちろん、ゲームソフト開発に携わるうえで、プログラミングの理解は必要ですし、プログラマーとコミュニケーションをとるうえでも活かせています。

私は昔から、とにかく何かをいろいろと考えるのが好きだったように思います。小さいころにも、ファミコンの「ゼルダの伝説」を遊んでそれに触発され、スケッチブックに自分で勝手に考えたゲーム画面やアイテムを描いたりして遊んでいました。

だから「企画をしてみたい」と思っていましたし、実際今の仕事も、もちろん辛いことがないわけではないのですが、基本楽しくて仕方がない、といった感じです。よく、「好きなことは仕事にしないほうがいい」と言われるみたいですが、あれは嘘ですね。逆に今の仕事は、「好きじゃなかったらまずできない」と思います。好きなことを仕事にさせてもらえている今は、本当に幸せです。

余談ですが、入社してから「ゼルダの伝説」シリーズの4作品(風のタクト、4つの剣+、トワイライトプリンセス、スカイウォードソード)に携わりました。小さいころにいろいろ想像して遊んだソフトのシリーズで、まさか本当にゲームの内容などを考えることになるとは思ってもいませんでした(笑)。

もう1つ、今の仕事の醍醐味は、世界中の多くのお客様に、自分が携わったゲームを遊んでいただける、という点です。私が携わったゲームの中には、「WiiFitPlus」や「マリオカートWii」というソフトもあるのですが、「WiiFitPlus」は1800万本以上、「マリオカートWii」は2700万本以上、全世界で売られています。もはや数としては実感が沸かないくらいですが、それだけ多くのお客様に遊んでいただけることは、幸せであることはもちろん、常に全世界のお客様を意識して仕事をしなければならない、といういい意味での緊張感があります。

大学、特に研究室でのVRの知識は、仕事においても役に立っています。「コンピュータで作り出される仮想空間とは、まさしくゲームのこと」と書いたりしましたが、ゲームにおいても臨場感というものは大切で、思っていた以上に、VRの知識がゲーム作りと結びつくことが多々ありました。さすがに、まだゲーム機から森林の香りとかは出てこないですが(笑)。

最後に

改めて振り返ってみても、慶應での6年間がなかったら、今の私はなかっただろうなぁ、と断言できます。私みたいなのでも夢を叶えられる大学、というとちょっと大げさかもしれませんが、こうして今も幸せに仕事をしている人間がいることは確かなので、皆様にも「ぜひ」とお勧めさせていただきます。

プロフィール

冨永 健太郎(とみなが けんたろう)
(山口県立徳山高等学校理数科 出身)

2000年3月
慶應義塾大学理工学部情報工学科 卒業

2002年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻修士課程 修了

2002年4月
任天堂株式会社 入社

現在に至る

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