生まれ育った神奈川県湘南地方、海岸沿いの国道134号線を静岡県側から東に上ると相模川を越えた辺りで右前方沖合に風変わりな姿の岩が目に入ってきます。烏帽子に似た形の姥島(通称:烏帽子岩)は、対岸の変わりゆく街並みとは対照的に私が子供の頃と全く同じ姿で迎えてくれます。戦後は駐留米軍による演習の標的にされていたと言われている、そのたくましくかつユニークな風貌は、今日のような厳しい時代こそ、国、組織、個人にとってのアイデンティティーが重要であることを私たちに教えてくれているような気がします。

さて、私が慶應義塾大学理工学部に入学したのは、地元の高校を卒業して1年間御茶ノ水での予備校生活を終えてからの1983年です。自宅から通学できるメリットもありこの大学を選びました。日吉キャンパスでの教養課程(学部1~2年)では、予備校時代の学習の蓄えのようなものがあったためか、勉強よりもむしろ趣味に熱中。似合わない長髪を振り乱しながら、バンド仲間たちとライブハウスでエレキギターを演奏していたのもこの時期です。

そんな私が、真面目に将来のことを考え始めたのは、3年の専門課程に入ってからでしょうか。授業で矢上キャンパスに行く機会も増え、ディスカッションしながら学内を闊歩する白衣の先輩方の姿を見て気持ちが引き締まったことを記憶しています。またこの時期に始まった専門科目は高度かつ実学的であり、板書を透かした先にこれから向かわんとする未来が広がっているようでした。

その後、応用化学科に進んだ4年次には木下光博先生の研究室、また大学院修士課程では大塚保治先生の研究室でお世話になりました。木下研時代は当時博士課程大学院生でいらした戸嶋一敦先生に直接ご指導いただき、有機化学の楽しさと厳しさを教えていただきました。また大塚研時代には川口春馬先生のご指導の下、当時東大医科研の半田宏先生との共同研究プロジェクトに参画し、高分子ミクロスフィアを用いた新規DNAアフィニティクロマト法の開発に成功しました。今で言うところのナノテクノロジーやケミカルバイオロジーに相当する領域であり、当時としては斬新な研究テーマでした。恩師の先生方の熱心な指導下で、しかもこれら最先端の研究に携われたことは、予期せずしてその後も研究を続ける大きなきっかけになったと思います。

入社2年目(1990年3月@東京研究所)

1989年修士課程修了後、当時の協和発酵工業株式会社(現協和発酵キリン)に入社し、町田市にある東京研究所に配属になりました。入社後最初に参画した抗がん剤プロジェクトが3年ほどで実を結び、新規抗がん剤KW-2189が臨床試験に進みました。その結果このプロジェクトの中で特に私が主体的に取り組んできた作用機序解析に関して多数の論文を発表することができました。週末に作成した原稿をJACSやCancer Res.などの一流誌に投稿し、アクセプトの知らせ(当時は電子メールではなく手紙でした)を受け取った時の喜びは今でも鮮明に心に残っています。

学位授与式(1997年3月@慶應義塾大学三田キャンパス)

これらの研究成果を基に博士論文「DNA結合性抗腫瘍性抗生物質に関する研究」としてまとめることができ、後の1996年度、応用化学科教授・松村秀一先生主査の下で理工学研究科応用化学科専攻から博士学位を授与していただきました。学位授与式のため久しぶりに訪れた三田キャンパスは、実は学生時代には数えるほどしか来ていなかったのですが、あらためて知の創造と発信の地としての大学の伝統を実感しました。また、更なる自己研鑚と未知への挑戦を、静かに心に誓った日でもありました。

Vogt教授とラボメンバー(2002年4月@米国スクリプス研究所)

その後も引き続き会社では新規抗がん剤の探索研究に従事することができました。いろいろな抗がん剤テーマを手がける過程で、1995年には当時テロメラーゼ研究で一躍有名になった米国のベンチャー企業Geron社(現在では幹細胞療法分野で有名)への派遣、2001年にはがん遺伝子やシグナル伝達の研究で著名な米国スクリプス研究所Peter K. Vogt教授のラボへの留学を経験しました。基礎研究と新薬開発(臨床試験を含む)とが両輪となり効率的に進められている米国の創薬・育薬スタイルを目の当たりにして、アカデミアとファルマの連携が不十分な日本はこのままでは取り残されてしまうのではというという危機感を覚えました。また自分の得意とするライフサイエンスの分野で日本の将来のために何ができるのだろうか、そんなことを考えた時期でもありました。

その後、縁あって2004年に静岡県立大学大学院薬学研究科に移籍。大学ではこれまでの企業における経験を活かしつつ、また国内製薬企業と連携しながら、新しい独創的な抗がん剤の創出を目指した研究を進めています。もちろん大学では研究だけでなく、実践的な創薬研究を通して将来を担う創薬研究者を育成していくことも重要なミッションです。卒業生はまだわずかですが、卒業後も企業の研究職をはじめとして多方面で活躍してくれています。(最近の研究内容やラボの情報等に関しては 研究室ホームページ を参照してください。)

謝恩会にて卒業生らと(2009年3月@静岡市内)

大学院修士課程修了時には現在の私の姿は全く想像できませんでした。しかし、時代、場所、立場、手法が変化しても、そこには常に変わらない自分自身の理念やスタイルが存在します。少なくとも私の場合、このアイデンティティーは慶應義塾大学理工学部教育で培われたと確信しています。資源の乏しい日本が国際社会で生き残るためには、画期的新薬など世界に通用する高付加価値製品を生み出していくことが必要であり、理工部出身者の果たすべき役割は極めて重要になってきています。後輩の皆さんには、この恵まれた伝統ある教育環境の中で、良き師から学び良き友と語り合い、自己研鑚に励むことにより、俯瞰力と独創力を備えたリーダーとして科学技術立国日本の発展に大いに貢献していただきたいと切に願います。

プロフィール

浅井 章良(あさい あきら)
(神奈川県立湘南高等学校 出身)

1987年3月
慶應義塾大学理工学部応用化学科 卒業

1989年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科応用化学専攻修士課程 修了

1989年4月
協和発酵工業株式会社(現協和発酵キリン) 入社

2004年4月
静岡県立大学大学院薬学研究科 教授

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