こんにちは、善積と申します。ソニーでユニークな商品をユニークなプロセスで商品化し、その縁あってか今回執筆させていただくことになりました。
その貴重な経験を通して、学生の皆様にその何か少しでも感じていただけるものがあれば幸いです。
私の慶應義塾での生活、塾高(慶應義塾高校)入学から修士卒業までの9年間を振り返ると、自分らしい生き様のヒントを見つけた時代だったのかもしれません。 昔、三高(高身長・高学歴・高収入)という言葉がありましたが、私は自分流の三”コウ”「好奇心、行動力、向上心」を大事にして、夢を形にしていこうと決意したころでした。
日本代表時代1(代表のパス)
公立の中学から塾高に入学すると、
・球技が好きだった
・今(高校)から始めても遅くない
・単純に面白そうだと感じた
ことよりラクロス部に入部しました。
マイナースポーツでさらに高校からやっているアドバンテージもあるため、大学一年のときに19歳以下日本代表に選ばれワールドカップに出場。
そこでは部活漬けの毎日、練習で最高のパフォーマンスを出すためには、練習時間以外も体調管理からパフォーマンス向上に対して日頃の食生活、姿勢、歩き方などから常に気にかけていなくてはいけない。「ベストを尽くす」とは如何なるものかを学びました。
日本代表時代2(試合会場の様子)
学生のうちに色々なことをやってみたいと思い、大学一年の終わりで部活を辞めました。
まずは勉強、せっかく大学に通っているのだから、授業を真面目に聞いて理解して教養を高めようと必死で勉強しました。塾高生というのは既にハンデを負っているのですが(笑)、どんな時間軸上の信号も色々な周波数の波の足し合わせであるというフーリエ級数とか、物質は粒であり波であるという禅門のような量子力学、目から鱗が出るような話で、世の中の不思議が一つ一つ自分の中で解明していって、やっぱり理工学は楽しいと実感しました。
楽しいと感じたらこっちのもの、これ以上ない成績となり、卒業式には文武両道に結果を残したということで藤原賞という賞をいただきました。
大学四年生のときにシステムLSIで最先端の研究をしている黒田研究室に入りました。
理由は、
・世界最先端の研究
・市場のニーズにあった学問
・魅力的な先生
・「夢を形に、世界へ発信」という研究室のコピー
だったのですが、産業の米と呼ばれる半導体の分野においてオリンピックと言われる権威ある学会ISSCCに過去5年で採択数がMITに継ぎ世界二位の研究室となり、言葉の通りアイデアを形にしていって世界に発信していくということを体感しました。
ここで学んだ知識や研究の進め方が後々の仕事に大変役立ちました。
部活を辞めた後は、世界中の興味ある土地を放浪しました。知り合いの旅行会社のベンチャーのお手伝いで、新宿からモンゴルまで飛行機を使わずバスと船と電車で学生75人を引率したり、何もないを味わいたくミクロネシア連邦の無人島に滞在したり、カンボジアで小学校建設のボランティアをしたり、オーロラ、皆既日食、チベット、ギアナ高地、ウユニ塩湖、キューバ、ブータン、思うがままに計40カ国以上訪れました。
私にとって旅とは「未知との遭遇」で想像するだけでドキドキが止まりません。感性が鍛えられるだけでなく、適応力、トラブル対応力、コミュニケーション力、判断力など、ビジネスに必要な力の多くは旅が教えてくれました。そして秘境へ行けば行くほど、その景色がどんなに素晴らしかったか、人にしっかりと伝えたいと思い、写真を本気で勉強し始めました。
モンゴルへ学生75名を引率したとき
旅先で見たオーロラ
世界で一番感動した地ウユニ塩湖
旅がきっかけで写真が好きになったためにソニーのカメラ部門に配属されました。そして新人研修で好きなカメラを作って良いと言われたんです。わくわくしました。
そんなある日、公園を散歩していて一組の親子が撮影している光景に出会いました。「こっち向け」とお子さんに言って必死に撮る父親。撮影を終えてお子さんと遊び始めると、お子さんはイキイキとした表情をしていて、幸せ溢れる親子の光景が広がりました。「ああ、この光景を撮れたらいいな」って私は思ったのです。
当たり前のことですが、カメラを持てばお子さんと遊べないし、お子さんと遊べば写真は撮れない。記録よりも記憶を残したい、だからカメラをカメラマンにしたいと思いました。
そこでカメラの画像処理の結果を用いてパン・チルトして自動で構図を合わせて自動で撮影する、カメラ+電子雲台を作成しました。研修自体はよくできましたで終わり、私はその後カメラ向けのLSIの開発という実務を行うのですが、やっぱりその研修で作ったカメラが欲しいと熱望しました。本業とは関係ないので、これを頑張っても私には全くメリットは無いのですが、ただ欲しかったので、机の下で日々改良を重ね、社内で勝手にプレゼンをしていきました。
そのうちに協力者はどんどん増えていき、試作機も進化していき、3年くらいしてついにはトップマネジメントにも認めてもらうことができました。プロジェクト化し、もう一人のエンジニアと強力に推し進めていって、最終的に「Party-shot」というユニークな商品を出すまでに至りました。
世界中のマスコミに取り上げてもらえました。
そして何よりも嬉しかったのが、買ってくれた友人から色々な写真が送られてきて、「その場の空気感が撮れてとても嬉しい。作ってくれてありがとう」と言われたことでした。
「夢を形に、世界へ発信」って最高に幸せなことだと感じました。
Party-shot
Party-shotで撮った写真1(買ってくれた友人と一緒に)
Party-shotで撮った写真2(様々なシーン)
※Party-shot - 開発秘話
旅を続けているうちに、途上国のために何かできないかという想いが沸いてきて、現在も仕事とは関係なく仲間で集まり、休みを利用して電気のない村の現地を調査し、ユニークな小型発電機を試作して、実際に現地で使ってみてもらったりしてものづくりを楽しんでいます。
「夢を形にする」自分流スタイルを大学で学んだのかもしれません。何かに興味を持って、とりあえず試してみて、理想と現実の差を考えて修正していく、その繰り返し。それが私流のスタイル、三”コウ”「好奇心、行動力、向上心」でした。
皆様も是非「夢を形にする自分流のスタイル」を大学で探してみてください。
電気のない村での調査中の光景
善積 真吾(よしづみ しんご)
(慶應義塾高等学校 出身)
2003年3月
慶應義塾大学理工学部電子工学科 卒業
2005年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻修士課程 修了
2005年4月
ソニー株式会社 入社
現在に至る