管理工学科出身の経理マン

私の出身地は富山県の山奥で、写真にあるJR高山線猪谷(いのたに)駅前の郵便局の家に生まれました。旧姓を村杉といったのですが親戚筋の猪谷姓を継ぎ出身地と同じ名前になっています。

猪谷駅(富山県富山市 岐阜県との県境にある山間の駅)

華々しい経歴はないので書く話題に困っていますが、工学部出身の経理マンが少ないと聞きましたので、その観点での雑感をと思って筆をとりました。大学入学は1965年なのですが、大して勉強した記憶はありません。ただ、管理工学科にあったIE研究会というクラブで先輩の方々との活動や、企業での実習教育をよく体験いたしました。授業にはあんまり集中して無かったのですが、IE研の顧問をされていた千住先生の経済性工学だけはまじめに勉強しました。実際に企業のケーススタディを通じて会社の方々や、先輩の方たちと議論できたことは卒業後から現在に至るまで大変役に立ったと思っています。現在では「正味現在価値」や「キャッシュフロー」という言葉がM&Aのときなどに普通に使われていますが当時はまだそんな言葉は経済界であまり使われてなかったと思います。IE研究会の先輩で小津さん(1966年卒)がおられた日本シールオール(現在のイーグル工業)という会社に工場実習に行かせて頂いた関係で卒業後拾っていただき、現在に至っています。

ありし日の千住先生の写真

IE研同窓会の写真

2009年10月3日にIE研同窓会が30数年ぶりに開催されました。久しぶりに諸先輩にお会いできました。千住先生の卒論のミーティングではいつも順番が最後で、琥珀色の液体のグラスを片手にご指導いただいたものでした。千住先生は今ではお子さんたちが有名人ですが、当時から「バイオリニスト千住真理子さんのお父様の千住先生」という紹介のされ方には強く反発されていましたが。

東京オリンピックの翌年に大学入学、大阪万博の年に入社、で社会にでました。まさに日本が戦後期からエコノミックアニマルと言われるようになるまで(1990年頃ですか)と、バブルがはじけてから現在に至るまでの長い調整期を経て今に至っているのですが、ずっと経理部門で仕事をしていました。そんな訳で、経理部門から見た日本経済の動き、のようなことを雑感も交えながら書いてみたいと思います。もちろん内容は独断と偏見に満ちていますので違うご意見のかたもいらっしゃると思いますがご容赦ください。

バブル時の思い出

1987年にワラント債というのを発行しました。下の株価推移グラフでもわかりますがバブル絶頂期でした。金利ゼロの新株引受権付社債を発行し借金したのですが、5年後借金返済時の為替予約を確定しておくことで5年後に借金を返すと利益が出てしまうというものでした。実際に満期の時(1992年)に借金を返したらおつりが来てしまったのですが、いったい誰が払っているんだろう、と不思議でなりませんでした。その後のバブル崩壊から1990年代の重厚長大産業の構造不況期に掛けて日本国(世界?)全体でその時のつけを払うことになったのではないかと思っています。今にして思うと、金融機関を例にさせていただくと当時都市銀行というの14,5行あったのですが、現在ではメガバンク3行になっています。少し飛躍しますが、米国の産業が空洞化してしまっている現状なのに消費型経済を転換しない限り、表現を変えれば、米国がドル印刷の輪転機を止めない限りバブルを繰り返すのではないでしょうか。

当時はあんまり知恵が回らなかったものですから、新株引受権の行使をしていただいた方からの取得資金(社債でお借りした資金)を、手堅く借金返済や定期預金で運用していたので社債償還(借金返済)時には助かりました。株、土地に使っていたら大変でした。(株関係に興味のない方には意味がよくわかりませんね。失礼しました。)

85年ころから現在までの日経平均株価の推移グラフ

現在の日経平均株価は10000円以下ですが、1989年には40000円近い時がありました。先を争って借金をして株・土地を買った人が多く、株価は永遠に上がり続けるとみんな思っていました。損した人ばかりではなくしっかりと儲けて貯金した人も沢山います。

コンプライアンスについて

1970年代後半だったと思うのですが、米国監査法人の方と話をしていたときのことを思い出します。「米国では税金をごまかすという発想はありません。みんなでお金を出し合って保安官を雇い安全を手に入れてきた歴史がありますから。」と話されたのをいまだに覚えています。当時から経理・税務を担当していたのですが、日本では税金は「お上に年貢をめしあげられる」ものであってなんとか少なく済ませようと悪知恵を絞った歴史ではないでしょうか。このお話をお聞きしたときは妙に感心した記憶があります。

私自身1980年代後半頃から特に気をつけ始めた記憶があるのですが、何事にも順法精神で業務を行うように心がけるようにしています。下手に隠したり、ごまかしたりすることにパワーを掛けるくらいなら、前向きな業務にパワーを払った方がよっぽど会社の将来のためになると思って行動をするように変化してきました。

いまでも世界のあちこちで不祥事が絶えませんが今まで以上に「何事にも法令順守、コンプライアンス」の維持向上に努めていきたいと思っています。

プロフィール

猪谷 哲也(旧姓:村杉)(いのたに てつや)(旧姓:むらすぎ)
(富山県立富山中部高等学校 出身)

1970年3月
慶應義塾大学工学部管理工学科 卒業

1970年4月
イーグル工業株式会社 入社

現在

同社専務取締役

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