この度、私のような若輩者に執筆する機会を与えてくださった関係者の方々に深く御礼申し上げます。私は小さい頃から算数や理科の実験に熱中する反面、文学・歴史には全く興味を示さない典型的な理系人間でした。そんな偏った小・中・高校時代を過ごす中で、「モノ創り」への興味が高まり、「将来は何かを創り出す仕事がしたい」との思いから、慶應義塾大学理工学部機械工学科へ入学しました。

入学前は、「大学を4年間で卒業→社会人→結婚」という平々凡々な人生設計をしていた私ですが、大学4年生の卒業研究を通して「研究」することに魅了され、気付けば修士課程、さらに博士課程まで進み、9年間慶應義塾大学にお世話になることになりました。博士課程修了後は研究者としての道を選びましたが、今でも大学4年時配属された清水・小茂鳥研究室(清水真佐男先生・小茂鳥潤先生)で取り組んだ「破壊力学」「金属疲労」が私の研究活動の根幹となっています。モノを創ることに憧れていたはずなのに、結局今はモノを壊してばかりの日々ですが・・・

私は後期博士課程修了後、慶應義塾大学を含め今日まで3つの大学を経験しました。また仕事柄、他大学の先生や学生の方々と接する機会も多いため様々な情報を見聞きするのですが、その度に慶應義塾大学が学生に求めている「自主性・独創性・多様性」のレベルの高さを強く感じます。ちょうど10年前になりますが、今でも大学4年生の春、清水・小茂鳥研究室に配属された初日に清水先生が我々におっしゃった言葉を鮮明に覚えています。

「君たちは今日から研究者です。だから、君達にこれをしなさい、あれをしなさい、とは決して言いません。君達が自ら考え、必要だと思ったことを積極的にやってください。でももし研究に行き詰った時はいつでも相談に来てください。先輩研究者として全力でサポートします」

研究室に配属され、これから自分が取り組まなければならない「研究」という形の見えないものに大きな不安を持っていた私は、この言葉を聞いて身が引き締まる思いでした。今から思えば、これが慶應義塾大学の誇るべき学風なのだと思います。

清水・小茂鳥研究室の学生のみんなと(博士課程2年生時)

清水・小茂鳥研究室の後輩と参加した国際会議中立ち寄ったモンテカルロにて(博士課程3年生時)

現在、まがいなりにも自分が大学教員として学生を指導する立場になって痛感することですが、学生の自由を尊重することは、様々なリスクを伴います。また学生に「あれをしなさい、次はこれをしなさい」と細かく指示して研究を進めていくことが我々教員サイドにとっても、また学生サイドにとっても最も楽なことです。しかしそれでは若い学生の持つ豊かな発想力、独創性を育てることはできず、良い意味で我々教員の知識・経験を逸脱するような画期的な研究成果は期待できません。

清水真佐男退官記念講演にて研究室OBの方々と(博士課程3年生時)

10年前清水先生が我々におっしゃった通り、清水・小茂鳥研究室に在籍した6年間、本当に「自由に」研究をさせていただきました。だからこそ、研究の楽しさ、厳しさ、奥深さを実感し、研究者としての道を選びました。また研究室の同輩、先輩・後輩の存在も今の私がある大きな要因だと思っています。先輩・後輩の分け隔てなく、本当によく遊びました。でもその分、いやそれ以上に必死で研究し、研究の楽しさ・苦しさを共有しました。

「遊ぶときはとことん遊ぶ。やる時はとことんやる」

慶應義塾大学を卒業した今でもこのスタイルは変わっていません。こんな私を様々な面からサポートしていただき、自由に研究することができる環境を作ってくださった清水先生、小茂鳥先生に深く感謝しております。

私も学生が自由な発想で研究ができるような指導を日々心がけているつもりですが、気付けば事細かく学生に指示している自分がいます。教育者としての未熟さを痛感する日々ですが、これからも学生と一緒に少しずつ私自身もレベルアップできるよう、教育・研究に精進していきたいと思っております。

広島大学 材料強度学研究室のみんなと(現在)

プロフィール

曙 紘之(あけぼの ひろゆき)
(岡山県立岡山操山高等学校 出身)

2000年3月
慶應義塾大学理工学部機械工学科 卒業

2002年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻修士課程 修了

2005年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻博士課程 修了

2005年4月
茨城大学工学部 産学官連携研究員

2007年4月
広島大学大学院工学研究科機械システム工学専攻 助教

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