現在 キッセイ薬品中央研究所 創薬書室にて

大学に戻ってきませんか、と竜田邦明教授からご連絡をいただいたのは、キッセイ薬品工業株式会社に入社して2年目の秋でした。長野県松本市に本社を構える当社は、中堅の製薬会社でありながらも当時から医薬品業界で特色ある独自のポジションを担っております。私の実家が長野県にあることから就職活動の対象としたのは確かですが、大手製薬企業とは異なる視点から大手企業ではできない新薬創製に挑戦してみたいと考え抜いた選択でした。希望通り創薬研究部門の配属であり、恵まれた環境で新規抗アレルギー薬研究に携わりました。その一方、木下光博教授のもと習得した有機合成技術に大きな自信を持っていた当時の自分は、創薬研究者として医学・薬学の知識を獲得するより合成研究者としてのスキルアップを最優先に考えていました。研究テーマが一区切りついたタイミングでもあり、先生からのお誘いに飛びつきました。幸いにも会社のご理解をいただくことができ、休職という形で会社に席を残して後期博士課程に進学しました。

修士課程同様、博士課程でも竜田先生の厳しいご指導のもと、朝から深夜まで、休みを取ることも忘れ一心不乱に抗生物質の新規全合成研究に取り組みました。ところが青天の霹靂のごとく、2年の夏に竜田先生が慶應義塾を突如として離れられることになり、博士課程在籍の動機付けにしばし苦しみました。新薬創製研究を熱望して入社したはずの会社を休職してまで大学に戻ってきた意味を、改めて自身に深く問い直す時間が必要でした。この課程の3年間のみで学位取得には至りませんでしたが、木下光博名誉教授、研究室を引き継がれた中田雅也教授、さらに只野金一教授や戸嶋一敦教授をはじめとする多くの方々に支えていただき、単なる技術や知識の習得に留まらず、研究者や企業人、社会人としてあるべき姿など大きな糧を得ることができました。本稿執筆のご推薦をいただいた高尾賢一准教授ほか、さらに多くの皆様と出会えたことも、今日の自分につながっております。

1994年9月 キッセイ薬品中央研究所 化学実験室にて

1993年春、長野県穂高町(現、安曇野市)に新設されたキッセイ薬品中央研究所に復職し、アドレナリン受容体研究に従事しました。自身の創薬研究者としての基盤を懸命に固めるとともに、その研究テーマや同僚、さらに外部医療機関との連携にも恵まれ、泌尿生殖器領域の新薬創製に成功することができました。現在、臨床開発の後期段階にあるそれら創製品は、少しでも早く患者さんのお手元にお届けすべく全社一丸となって開発研究を進めております。

企画部門へ異動したのは2004年春でした。迷いもありましたが、創薬研究以外の製薬企業活動に視野を広げるべく、尊敬する上司の勧めに感謝して新たな世界へ飛び込みました。折しも当社の存在価値を高める新たな医薬品原薬製造研究施設の建設計画が持ち上がり、そのマネジメントにかかわることとなりました。当社のホームグラウンドである長野県から一歩離れた新潟県上越市で現地行政機関との対応や調整に始まり、設計会社やエンジニアリング会社、建設会社など外部の方々と一緒に仕事をするという、研究所にいては立ち向かうことのない貴重な経験を積みました。社内外の多様性に富むリソースをまとめ上げ活用して新研究所稼働という唯一の目標に向かっていく中で、いわゆるプロジェクトマネジメントをようやく意識しました。

2006年10月 新潟県上越市の新研究所建設現場にて

新研究所の稼働を見届けた2007年春、創薬研究部門に管理職として復帰しました。3年間のブランク故に不安でいっぱいでしたが、プロジェクトマネジメントの活用と、加えて人財育成への挑戦を意識して着任しました。研究者一人一人が世界に対する視野を広げ、資質を向上し、真に望まれる医薬品の創出に到達し、病気に苦しむ患者さんに貢献できる、さらに社会人として地域に貢献できる、人材をそのような貴重な人財へと育てあげるために熟考し尽力する日々を過ごしております。

私の出身地など田舎の零細な自治体では高齢化と人材流出に拍車がかかっています。日本の経済発展の中心は東京をはじめとする都会であっても、その基盤たる国土を支えているのは地方です。例えば、通信インフラや交通網、電力網あるいは水道資源などは線で保持すれば済むのではなく、治山治水のように面で保全する必要があります。それらを担っているのは地方です。地方が埋没したら日本は成り立ちません。笑顔に満ち溢れた魅力ある企業と人財を育て、地域を元気にして次世代に渡すのが私どもの役割と認識しております。

キッセイ薬品中央研究所と北アルプス常念岳

詳しくは触れませんが、学部時代は慶應義塾ワグネルソサィエティ男声合唱団に所属しました。全学部にわたる仲間と楽しく、時に苦しく切磋琢磨しつつハーモニーを奏でたと想いを馳せます。今も時に連絡を取り合っては慶應義塾の懐の深さに感謝いたしております。

1985年6月 東西四大学合唱連盟演奏会とそのリハーサル風景、最前列右端が玉井です

わずかでもこの拙文が慶應義塾を志望される方と現役の皆様のお心に残れば幸いです。

プロフィール

玉井 哲郎(たまい てつろう)
(長野県立松本深志高等学校 出身)

1986年3月
慶應義塾大学理工学部応用化学科 卒業(木下光博教授)

1988年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科応用化学専攻修士課程 修了(木下光博教授)

1988年4月
キッセイ薬品工業株式会社 入社

1990年4月
キッセイ薬品工業株式会社 休職

慶應義塾大学大学院理工学研究科応用化学専攻後期博士課程 入学(竜田邦明教授)

1993年3月
後期博士課程卒業単位取得退学(木下光博名誉教授)

1993年4月
キッセイ薬品工業株式会社 復職

1994年9月
慶應義塾大学大学院理工学研究科応用化学専攻博士(工学)号 取得(中田雅也教授)

現在
キッセイ薬品工業株式会社 創薬研究部創薬第一研究所長

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