【理工学部入学までの経緯】

私の祖父は生前、自宅で家電用精密部品を作る小さな町工場を経営していました。プレスや旋盤、フライス盤の音、そして金属粉と油の匂いに囲まれて、私は幼少期を過ごしました。工場は基本的には立入り禁止でしたが、稼働中でない時によく潜入して、工具や計器類をおもちゃにして遊んでいた憶えがあります。

また、いろいろな材料や塗料を買ってきては車や飛行機のモデル、釣りのルアーなど、とにかくモノを作るのが大好きでした。なので、自然と高校では理系、大学では理工学部の機械工学科を選びました。

【学問】

機械工学科の授業で一番印象に残っているのは、万力の自作です。設計 ⇒ 砂鋳型製作 ⇒ 鋳造 ⇒ 機械加工 ⇒ 塗装というプロセスを全て自分で体験することができ、いろいろと失敗をしましたが、元来、人の話しをじっと聞くのが苦手で、何か体を動かすことが大好きな性分の私には、"とても楽しく学んだ"と実感が持てた授業の一つです。実はこの時の経験も現在の仕事で非常に役に立つ貴重な経験でした。

その後、修士課程まで進み、所属した研究室はよく「ネジ研」と呼ばれていた中込研究室でした。ネジの疲労強度に関する基礎実験が殆どで、特に学生の自由と自主性を重んじる雰囲気が強く、様々な性格の同僚がいて、彼らはその後、テレビ業界、銀行、自動車メーカー、医者、商社、学術研究などの道に進んでいます。

【大学時代の生活】

機械好きで入った大学ですが、大学時代に情熱を注いだ学問の一つがテニスでした。理工学部体育会の硬式テニス部に所属し、学部2年生時には関東理工科系リーグの1部優勝を経験し、3年生時には主将を務めました。日々の練習を通して自分のスキルが上達していく過程が楽しく、また、周りのメンバーのサポートもあり、4年間(以上)充実した日々を過ごしました。

更に理工学部体育会で良かったなと思う事の一つに、様々な大学間の対抗試合、交流試合、公式試合を通じて、学外との交流が深まった事です。今でもテニスの大会に出ると、当時の対戦相手にばったり再会したりして、昔話で盛り上がることもあります。

理工学部体育会テニス部合宿にて

【就職】

就職活動では自分の将来の方向性が定まっていない部分がありましたが、活動を始めてから、ミネベアがネジを作っているというのを知り、何かの縁かと感じ入社しました。入社後、航空機用ネジを作る工場の製造や技術部門を経験しながら、ネジの疲労強度改善プロジェクトでひとつの成果を得る事ができ、非破壊検査レベル3という資格取得の話を頂きました。関連性はあるものの、今までと全く違う専門分野でのチャレンジに不安と期待を抱きつつ、資格取得を主な目的としてアメリカのニューハンプシャー州ピーターボロー町というところにあるミネベアグループ会社の工場へ3年半ほど海外駐在をする事となります。

私自身これまで、自ら違った環境に飛び込んで学ぶという経験が少なかったこともあり、また、家族での駐在、異国の地での第一子出産/子育てという事情も重なり、駐在生活では言語、習慣(仕事/生活両方とも)、人間関係などで苦労が絶えませんでしたが、その分、充実した時間を過ごせました。

学生時代に没頭していたテニスですが、アメリカでも社会的スポーツとして人気があり、ピーターボロー町の大会をはじめ、様々な地域の試合に出場し、様々な交流と体験を得る事ができました。そして、今はシニアテニスの世界選手権に出場することを目標として、自らのチャレンジを楽しんでいます。

ニューハンプシャー州ピーターボローの町並

ニューハンプシャー州ピーターボロー町開催のテニス大会にて

【非破壊検査】

現在、私が専門としている非破壊検査の仕事についても、簡単に紹介したいと思います。現在の社会では、様々な分野で欠陥検出の為の非破壊検査が利用されていますが、人の手/頭による作業や判断が非常に重要な要素を占める為、特に航空宇宙機器や原子力機器分野などでは、検査員のスキル管理やその認定制度の運営手順が事細かに規定されています。

レベル3の業務を簡単に説明しますと、まず、非破壊検査の検査作業から合否判断までを個人の力量で行う事ができるのがレベル2資格者ですが、その人達を認定する立場にあたるのがレベル3です。検査員への教育・訓練を始め、客先仕様書の解釈・反映、検査手順書の発行・承認業務を含め、非破壊検査の技術責任者ということになります。

私は2005年12月にASNT(アメリカ非破壊検査協会)の磁粉探傷検査レベル3、2007年1月に同浸透探傷検査のレベル3資格を取得し、現在その職責を務めています。所属している事業部では、より世界市場を見据えたプロジェクトを積極的に進めており、私もその一員として資格を生かしながら、様々なチャレンジを楽しんでいます。

非破壊検査トレーニングセミナーのメンバー

【最後に】

こうやって振り返りますと、子供の頃の体験・学生時代の経験・現在の仕事/生活という、過去と今の現実が様々な連鎖で繋がっているのだなという事を改めて実感します。今回、執筆の機会を下さった関係者の方々に、深く御礼申し上げます。

プロフィール

田渕 健次郎(たぶち けんじろう)
(神奈川県立新城高等学校 出身)

1993年3月
慶應義塾大学理工学部機械工学科 卒業

1996年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程 修了

1996年4月
ミネベア株式会社 入社
旧藤沢製作所(現ロッドエンド・ファスナー事業部 藤沢工場)にて勤務後

2003年3月
NEW HAMPSHIRE BALL BEARINGS Inc.(ミネベアグループ会社)出向

2006年10月
ミネベア株式会社ファスナー事業部
(現ロッドエンド・ファスナー事業部 藤沢工場)配属

現在
同品質保証課 技師

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