「おはようございます」「おはよう」生徒との朝は、挨拶で始まる。東京の中心の一つ、渋谷にある本校は、ラッシュアワーの少し前が、登校のピーク時となる。全校生徒1200名余、学年200名余の小さな学校であるが、この時間帯は、渋谷駅からの歩道が、制服姿の生徒で一杯になる。大学に入学したのが昭和60年、卒業して教員の世界へ踏み出したのがちょうど平成元年。学生時代が、バブル最盛期と重なり、その影響を大きく受けた世代である。今の学生諸君と較べると隔世の感があるかもしれない。

そもそも理工学部を選択したのも、自分の将来についてしっかりとした目標があったわけでもなく、自分の可能性を試したいという漠然とした思いしかなかった。数学の先生、中高の先生もいいなあという夢があった程度で、これから将来について考えればいいやという学生であった。入学最初の思い出は、入学式での塾歌の音程の低さである。高校までずっと女子校であったので、大変なところへ入学したと、びっくりしたことを覚えている。大学時代は、テニスサークルに所属し、テニスコートに立つ方が熱心だったのではないかと揶揄されつつも、無事に卒業。優等生にはほど遠かったが、多くの友人や先生に助けていただいた。学科の女子全員での旅行やドライブは、今でも良い思い出だ。勉強面では、4年次のゼミの指導教官であった伊藤雄二名誉教授には、大変に暖かいご指導をいただいた。試合だといって、ゼミに時間ぎりぎりかけこむことがあっても、にこにこ笑顔で迎えてくださった。今思い返すと冷や汗ものである。

テニスサークルの仲間と(夏合宿中です。)

卒業式にて(学科の友人と)

卒業後、最初母校に7年勤め、その後、共学中高一貫の開校にあわせて、現在の勤務校に移った。実際、教える側に立ってみて、学生時代ご指導いただいたお一人お一人の教員方が、学ぶことに喜びを感じ、学問の楽しさを知っておられたと思う。学ぶとは、真似るから派生した言葉だといわれている。教える側が学ぶことを楽しんでこそ、教わる側も学ぶ意味を見い出すのだろう。言葉にあらわさなくとも、その思いが、多くの学生の学びへの真摯な態度を育んだのだろう。現在、教育現場は、未曾有の混乱期にある。PISA(OECDによる生徒の学習到達度調査)からも、学ぶ意味を実感できず、好奇心を持てない子供の姿がうかぶ。少子化がすすみ、厳しい就職状況の中で、それでも教員を目指そうとする学生と三田教育会などで、出会うと、その生き生きとした姿から、エネルギーが感じられ、非常に頼もしく思う。教育の現場でその熱意を子供達へ伝えてもらいたいと願っている。

職場にて

理工学部を選んだものも、教員になれたのも、多くの友人に巡り合ったもの、ご縁があったからだなあと思うことがある。在籍していたのは、四年という短い期間であったが、卒業後も続く友人、先輩との交流を考えると、学生時代の出会いが自分の世界を一挙に広げ、その後の人生を豊かにしてくれたのだと思う。

プロフィール

高際 伊都子(旧姓 田村)(たかぎわ いつこ)
(東洋英和女学院高等部 出身)

1989年3月
慶應義塾大学理工学部数理科学科 卒業

1989年4月
東洋英和女学院中学部・高等部 勤務(数学 専任教諭)

1996年4月
渋谷教育学園渋谷中学高等学校 副校長  

現在に至る

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