子どものころから、本が大好きでした。読んでいたのは、初めはもちろん絵本や児童書。でも中学生になり、大人向けの文学を読むようになっても、児童書好きは変わりませんでした。おさるのジョージにスプーンおばさん、だれも知らない小さな国やぽっぺん先生といった、ちょっとふしぎで楽しいお話は、今も変わらずに私の心の友です。

安野光雅氏の美しく遊び心いっぱいの絵に出会って、安野氏の数学の絵本みたいな科学の絵本を作りたいと思ったのは、高校生のときでした。そこで進路は、迷わず理系を選択しました。今思えば、なんて単純なのでしょう。

同じ流れで、大学では児童文化研究会に入りました。童話を作る会に参加するつもりでしたが、生で見せられた人形劇の迫力に圧倒されて、文化系サークルの中の体育会系と言われた文化財というパートに飛びこみました。児童館や各地の小学校で人形劇の公演をしてまわるのは、スタミナのない私には、今思い出しただけでもめまいを感じてしまうほど、本当に大変でしたけれど、とても充実した日々でもありました。

先生と4年生ゼミの最中です。

三年で物理学科を選択した理由も、とてもかんたんです。実験でホログラフィを作らせてもらえる、という話にひかれたのです。近角研(今の宮島研)に入った理由も、かんたん。近角先生のお人柄にあこがれたのと、宮島先生が「かめばかむほど味の出るするめのよう」だとたとえられた電磁気学について、もう少し知ってみたくなったから。

卒論の研究テーマは、当時世の中で大さわぎになっていた高温超伝導でした。イットリウムとバリウム、銅を混ぜる割合によって性質がどう変わるかを調べるというもので、たしか百六十五種類の割合について、それぞれすり鉢で五千回(だいたい一時間かかります)すりあわせ、プレスして仮焼成したあと、またつぶして一時間すって焼き直すというのをやりました。試料作りには仲間がいましたので、私一人が三百三十時間、すり鉢と仲よくしたわけではありませんけれど、これがなかなかの重労働。でもおかげで、趣味のお菓子作りでのバター練りや、生クリーム、卵の泡立ては、ハンドミキサーなしでも楽々できるようになりました。

ただぼーっとすりつづけるのはひどく時間がもったいない気がした私は、ゴリゴリすりながら本を読んでいました。物理の本ではなく、ファンタジーばかり(先生ごめんなさい)。一種の現実逃避だったかもしれませんが、文庫で手に入るものをかたっぱしから読んでいくと決めると、すり鉢タイムが苦でなくなりました。このときファンタジーを読みあさったことが、今の仕事にもつながっているのですから、人生何が役に立つかわからないものです。

今までに訳した児童書を並べてみました。どれも愛着のある本です。左上に見える洋書は現在翻訳中の本です。

科学の絵本を作る夢はひとまず保留して、卒業後はソニー(株)に勤めました。たくさんのすばらしく優秀な方々に出会うことができて、幸せでした。でも家で仕事ができるようになりたいと思うようになったとき、頭に浮かんだのが、小さいころに過ごした海外の楽しい絵本や児童書です。早速、翻訳の勉強をはじめたところ、あっというまにその魅力の虜になってしまいました。

勉強すればするほど、翻訳って奥が深い! と感じます。英語の読解力はもちろん大切ですけれど、それにもまして、情報収集力と、文に描かれた状況の把握力、そして把握した内容を適切な日本語の文脈に直す力が必要になってきます。翻訳学校の師、坂崎麻子先生にご紹介頂いて、徳間書店の児童書編集部の方々と仕事ができるようになったのは、本当にありがたいことでした。とりわけうれしかったのは、ダイアナ・ウィン・ジョーンズという、心底好きなファンタジー作家の作品を訳せたことです。だってこんなにおもしろい本を、知らずにいるなんてもったいない! もうぜひとも読んでください! と叫びたくなるような物語ばかりなんですもの。

今年はまたべつの英国の作家による、ファンタジーのシリーズに取り組んでいます。こちらも読み出すとぐいぐい引きこまれるお話で、訳していて楽しくてたまりません。原書の豊かなイメージや感動が、どうか翻訳でもできるだけ近い形で伝わりますように、と願いながら、精進に努める毎日。物理の研究もそうですけれど、翻訳もまた、「一生勉強」だと思っています。

昨春、お嬢さんの入学式のときの写真です。

プロフィール

田中 薫子(たなか かおるこ)
(雙葉学園雙葉高等学校 出身)

1988年3月
慶應義塾大学理工学部物理学科 卒業

1988年4月
ソニー株式会社 入社
技術研究所

1993年7月
同社 退社

1993~4年
「力と運動」「エネルギー」「エレクトロニクス」(ザ・サイエンス・ヴィジュアルシリーズ、東京書籍)翻訳を担当

1997年7月
翻訳絵本「おしゃべりなニンジン」(徳間書店)出版。
以降、児童書の翻訳に携わって現在に至る

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