私が応用化学を専攻したのは、福澤先生の教えであり、祖父(北里柴三郎)の教えでもある実学の精神を継承し、医薬品を通して社会へ貢献したいと考えていたからです。従って、大学の卒論研究は、ストレプトマイシンに関する研究で著名な梅澤純夫先生に師事し、抗生物質を製造する過程の実験を行い、その結果をもとに卒業論文をまとめました。

ラグビー部所属当時の北里氏

就職先としては、当時ペニシリンやストレプトマイシンを製造販売し、また新しい抗生物質の開発も計画していた明治製菓を選びました。明治製菓は1916年創立の製菓会社で、「食品文化の向上」と「栄養保健の増進」を企業理念とし社会貢献していましたが、創業30年後の1946年、薬品事業にも参入し、食薬複合企業として発展して参りました。

1955年明治製菓に入社し、私の希望した薬品製造工場に配属され、抗生物質の培養液から有効成分を抽出精製する工程の現場で多くの従業員と共に働きました。大学時代に修得した知識・技術が役に立ったことは勿論ですが、工学部ラグビー部に所属し、団体競技を通じて身に付けた「和による力」も大いに役立ちました。

入社して丁度10年経過した1965年、私は何か目に見えぬ壁を感じました。自分の希望した仕事が与えられ、物をつくる喜びを味わいながら社会へ貢献出来るわけですが、アメリカで同じ環境にいる人々の考えを肌で感じたく、有給休暇を取って自費による渡米を試みました。しかし英会話の習得を初めとする準備費用も全部自腹ですから足りず、米国における薬品製造技術に関する50頁に亘るレポートを、会社に10万円で買い取って貰ったりもしました。

この1カ月に及ぶ米国への脱出は、人生を大きく変えることに繋がりました。1966年には海外出張を命ぜられ、翌1967年には本社の開発部に転勤し、その後新薬の導出入等、国際的に忙しく活動するようになりました。その働き振りが認められ、1985年取締役に選ばれ、10年後の1995年には社長に就任しました。

企業は理念を常に意識し、その価値を高めるための企業姿勢を明らかにすることが大切です。明治製菓のお菓子は人の心を癒すことが出来、薬は身体を癒すことが出来ます。そして消費者の安心・安全の期待に常に応えて行く所存です。

2003年には4期8年の社長職を務め上げ会長に就任しましたが、自分の歩む道は自らが切り開くことが大切です。このホームページを開いた若人が一人でも多く慶應義塾大学理工学部に来られることを大いに期待します。

プロフィール

北里 一郎(きたざと いちろう)

1955年
本塾大学工学部応用化学科卒業

1955年
明治製菓(株)入社

1995年
同社 社長

2003年
同社 会長

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