従来、物理学は実験物理学、理論物理学という二つの分野に分かれて研究が行われていました。近年、計算機の著しい進歩によって、計算機を使って物理学の研究を行う計算物理学という分野が第三の物理学の分野として認められるようになりました。

計算物理学の重要な方法として計算機シミュレーションがあります。これは、計算機上で模擬実験を行うものです。例えば、私達のグループでは、水中のタンパク質のシミュレーションを行っています。具体的には、原子を結合させて分子を作り、原子間にどのような力が働くかを仮定して、ニュートンの運動方程式を解いて、短い時間刻み(フェムト秒程度)毎に水分子、タンパク質分子がどのような位置でどのような構造を取っているかを決めていきます。このような方法は分子動力学シミュレーションと呼ばれ、タンパク質の研究でよく使われています。現在、研究室で購入できるGPGPUを搭載した計算機でも、原子数が10万程度の系のマイクロ秒程度のシミュレーションが可能ですが、タンパク質系のための専用計算機では、ミリ秒程度のシミュレーションが可能になっています。

通常のタンパク質は水中で特定の安定した立体構造をとります。タンパク質は種類毎に生体内で特定の機能を発揮しますが、その機能はタンパク質の安定した平均的構造のみならず、その周りの構造の揺らぎと関連があることが知られています。特に、ゆっくりとした(時間変化の遅い)構造の揺らぎが重要と考えられています。タンパク質の構造の揺らぎをシミュレーションで調べることを考えてみます。シミュレーションからは各瞬間のタンパク質の構造(タンパク質を構成する原子の位置座標)が、ある時間刻み毎に順番に記録されていきます。近年計算の規模が大きくなっていますから、記録されるデータの量も莫大になります。この莫大なデータから構造揺らぎを調べる方法として、従来は主成分分析と呼ばれる方法が用いられていました。これは、構造の揺らぎをある方向に射影したときに、射影された構造の揺らぎが最大となる方向を次々に探していく方法です。この方法の結果は、調べる構造がどのような順序で記録されたかによりません。つまり、時間軸の情報を使っていません。これに対し、私達のグループでは、時間軸の情報を使った緩和モード解析の方法を提案しました。この方法では、射影された構造の揺らぎが最も遅くなる方向を次々に探していきます。「大きい」順ではなく「遅い」順に揺らぎを系統的に取り出す方法です。

応用例を見てみます。次の図の(c)は、あるタンパク質分子1つと別のタンパク質分子2つが集まった複合体のシミュレーションから緩和モード解析で取り出した、最も遅い揺らぎの方向を示しています。図の(a)の右側は、その方向に射影した揺らぎの値の時間変化を示しています。シミュレーションの中で小さい値から大きい値へ1回だけ変化していることがわかります。緩和モード解析の方法により、このような「稀な出来事」を取り出すことができます。図の(b)は、タンパク質のどの部分がこの揺らぎに寄与しているかを示していて、特定の位置が大きく寄与していることがわかります。

緩和モード解析の方法は、シミュレーションから得られる膨大な時間順データを解析する汎用的な方法で、タンパク質系以外にも様々な系に応用できます。

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