“磁石” と聞いて皆さんは何を想像されるでしょうか?棒磁石あるいはホワイトボードの磁石を思い浮かべるかもしれません。人類と磁石の出会いは非常に古く、南北を知るために磁石を使ったという記録は紀元前までさかのぼるようです。磁性体は最も早くから知られていた機能材料といえるでしょう。身近にある磁性体は、鉄、コバルト、ニッケルや希土類元素あるいは金属酸化物で必ず金属イオンを含んでいます。このような無機物質に基づく原子磁性に対し、1980年代より錯体、有機ラジカル分子から構成される分子磁性に関する研究が展開されてきました。分子磁性は分子性の特徴を活かして、電子・光物性など他の機能との複合化も容易な自由度の高い磁性と考えられています。磁気測定をはじめ、単結晶構造解析、分子軌道計算などの解析手段も急速に進歩し、物質合成、分子構造解析さらに電子構造解析を並行して行うことも可能になりました。
私たちの研究室では、結晶工学的な発想で不対電子を有する分子の配列を制御し、磁性分子集合体を構築しています。分子が集合化する際の分子軌道間の相互作用で分子間の磁気モーメントの向きが大きく変化します。有機ラジカルと遷移金属錯体の研究を並行して進めていくと同じ分子でも様々な違いが見えてきます。 \( \pi\) 軌道上のラジカル不対電子は、分子全体に広がりやすいということです。不対電子の広がりは、電子スピン共鳴(ESR)スペクトルから測定できますが、ESRでは検出できないようなわずかなスピン密度の広がりを分子軌道計算で“見える化”すると結晶全体の磁気特性に大きく影響していることが明らかになりました(図1)。
電子物性の世界では、相互作用の次元性が重要で一次元に分子を並べただけでは磁気的な転移は起こりません。相互作用の次元性を考慮しながらスピンを持った “分子の積み木” を積み上げていく必要があります。ひとつの “分子の積み木” 中に多数の不対電子を配置すれば、理論的にはより強い磁気特性を発現できますが、不対電子の数を増やすと化学的安定性が低下します。同一分子内で不対電子の磁気モーメントの向きを揃える理論は、これまで \( \pi\) 共役分子のみが対象とされてきました。最近私たちの研究室では、 \( \pi\) 共役系を介さない不対電子間にもかなり強い相互作用が存在することを見出しています。今後、より多くの物質で実験的に検証していくことで、化学的安定性を維持しながら大きな磁気モーメントを有する “分子の積み木” を設計し、分子結晶で磁石を創る研究を深化させていきたいと考えています。
図1 水素結合でつながった有機ラジカルの鎖(a)と結晶構造(b)。分子軌道計算で“見える化”した不対電子の広がり(c)とスピン密度の分布(d)。