私の専門は中華圏の通俗文学や伝統芸能です。中でも、宗教信仰と関わりの深い作品を研究テーマにしています。

先日、友人たちと一緒に『封神演義』の日本語訳を出版しました(勉誠出版、全4冊、2017年~2018年)。これは、紀元前11世紀の殷王朝の滅亡を背景に、たくさんの仙人たちが二つの勢力に分かれ、神通力で対決するという小説です。「文学的価値」という点から見れば、中国の同時代の作品である『三国志演義』や『西遊記』より劣りますし、まして西洋の教養小説のような読み方は不可能です。そんな作品に研究の価値などあるものか、もっと「役に立つ」研究をしろ、と思うかも知れません。しかしそうではないのです。

まず1つは、作品と宗教の関係です。この小説は、作品が成立した明代の中華圏の宗教信仰と密接な関係があり、登場する仙人の多くが実際にお寺や廟などで祀られていました。そしてそれを、敢えて「普通」のイメージから変えることで「面白み」も出しています。明代の読者にとっては、出てくる仙人は「よく知っている」存在で、それが「少し変わっている」ことも含め、読んで普通に楽しめるものでした。現代の中国人には、少し解らなくなっている所もありますが、基本的には同じです。しかし、外国の読者には解りません。だから、作品を読み解くには、明代から現在に至る、中華圏の宗教の状況を調べる必要があります。逆に言えば、そうした作業を通して、「宗教」という、どの民族の文化でも一番重要な部分が解るわけです。

2つ目は、大衆娯楽としての要素です。『封神演義』は中華圏で大衆的な人気があり、演劇や人形劇にも改編されて広く流通しています。日本でマンガやアニメになっていることともパラレルな状況と言えます。そこでは明らかに「文学的価値」とは違うところが評価されています。大衆娯楽には大衆娯楽のロジックがあり、そうした視点から作品を分析する必要があります。例えば、美食の観点からファーストフードを「低級なもの」と言って切り捨てるのは簡単でしょう。しかし、ではなぜ人々はファーストフードを食べるのか、ということは考えなければいけません。こうした視点は、現代の日本のサブカルチャーを検討する際にも通用しますし、もし「実用性」ということを言うのであれば、「人々はどのようなものを好むのか」を考えるマーケティング戦略でも、ダイレクトに役立つことになります。

学生の皆さんの中には、「文系」の研究などつまらない、役に立たないと思う方もいるかも知れません。しかしそうではありません。大衆娯楽について、中華圏の文化について、一緒に考えて行きましょう。

『封神演義』日本語訳

影絵人形劇の『封神演義』

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