人は疑問を持つ。それが学問の始まりです。これはなんだ?が最も素直な疑問。人はそうやって、ひとつずつ概念を獲得していきます。とある生き物をみてネコを理解し、イヌをわかった気になります。ただし、その違いを言葉で説明するのは困難です。ところが説明できるかどうかは、必ずしもわかることにおいて必須ではありません。逆に説明できたからわかったかというとそうでもないのです。説明とわかるは別物です。

なぜ、これはこうなのか?と考えるのが次の段階です。”これ”がわからないとなぜこうなのかという疑問は沸き起こりません。なぜイヌとネコは違うのか?人と猿は何が違うのか?なぜボールを投げると飛んで行くのか?なぜ電球に電流を流すと光るのか?なぜ物は燃えるのか?なぜ夜は暗いのか?人はたくさんのなぜから様々なことを学んできました。そして説明出来るようにしてきました。説明を聞いた人は、またそのことを学んでいきます。説明には言葉が使われますが、説明に使うものは言葉以外にも式が使われたり図が使われたりします。考えるには道具が必要です。言葉、式、図の3つが思考の道具です。

人は欲張りなもので、つい楽をしたがります。重たいものを運ぶのはつかれるから楽したい。計算するのが面倒だから機械にやらせたい。そう考えます。そうやってたくさんの便利なものを作り出してきました。おかげで技術が発展していきます。楽したいが技術の原動力になります。人は楽したいし楽しいことが好きなのです。

人が何に喜びを感じるかは色々あるでしょうが、まずは知る喜びを感じます。次にわかる喜び、そして発見する喜びがあります。学びとはこの喜びがあるから続けていけるものです。答えが自明な与えられた問題を解いても正直喜びはあまり大きくありません。わからない問題を解いてこそ喜びが大きくなります。そんな喜びを感じる人が研究者になっていきます。

人と機械をつなげたら面白いだろうなと思って研究をしています。つなげ方は色々あると思います。脳の神経細胞を電気的にとらえれば、考えただけで動く機械ができます。そのうち人が何を考えたかがわかるような機械ができるでしょうか?

図1 神経信号取得用16ch集積回路

図2 回路から神経細胞に刺激を入れたときの応答

ナビゲーションの始まり