磁気を発生する物質中に含まれる電子は、太陽の周りを回る地球のように、原子核の周りを自転しながら公転しています。「スピン」と呼ばれるこの電子の自転運動は、永久磁石のN極とS極の源であり、世界で最も小さな磁石です。さて、方位磁針に永久磁石を近づけると、北の方向を向いていたN極が永久磁石のS極に引き付けられるように回転し、磁石の周りの磁力線と針の方向が一致することは皆さんご存知でしょう。これは小学校の理科で勉強したお馴染みの現象です。では、電子スピンに磁石を近づけると同じように磁力線の方向に回転するのでしょうか?実は、方位磁針とは異なる動きをします。机の上にコマを立ててから支えていた手を離すと、コマは重力によってすぐに倒れます。しかし、コマを回転させて角運動量を与えると、すぐには倒れずゆっくりと首を振りながら徐々に倒れていきます。電子もスピンと呼ばれる角運動量を持っているために、コマと同様に首を振りながら徐々に磁力線の方向に倒れこんでいくのです(図1)。

図1:電子スピンはミクロな世界の磁石: 電子スピンには上向きと下向きの2 種類あり、この向きによってN極とS 極が決まる。

ただし電子スピンは、コマとは異なり永久に自転を続けるので、その方向を変えようとすると必ず首振り運動が発生します。この首振り運動は「歳差運動」と呼ばれ、これを手懐けることが磁石のN極、S極の向きを自在にコントロールするために重要です。ところで磁石の中の電子スピンの歳差運動は、磁石を近づけてから10億分の1秒(1ナノ秒)程度の極めて短い時間しか観察されません。歳差運動は、摩擦によって熱エネルギーに変換された後、1ナノ秒程度で磁力線の方向に向きます。従来の磁気デバイス(磁石を使って機能を持たせた装置・部品)は、動作時間が1ナノ秒よりも長かったため、磁化(N極、S極の向き)は常に磁場の方向(磁力線の方向)を向いていると考えて問題ありませんでした。しかし、最近の電子機器の高速化ニーズに伴い、歳差運動が出現する時間内で機能動作を完了させる必要がでてきました。歳差運動を自在に操るためには、スピン角運動量に直交する4つの力のモーメント(トルク)を制御しなければなりません(図1)。従来は磁場により歳差運動の制御を行っていましたが、最近になって電場や熱、光、マイクロ波、スピン流(電子スピンが揃った流れ)、機械的振動などにより4つのトルクを制御できることがわかってきました。ただし、それぞれのトルク発生効率と物質の関係には未解明な点が多く、これらを解明する研究が盛んに行われています。さらに、磁気を生む物質中には多数の電子スピンが存在し、それぞれのスピンがお互いに影響を及ぼしながら運動しています。そのため、電子スピン1個では現れなかった多種多様な運動モード(スピン波)が出現します。スピンに作用する4つのトルクを使ってスピン波の励起を制御することが出来れば、3次元磁気記録(図2)や高速・省電力論理演算回路などの高性能な次世代磁気デバイスを実現できると期待されています。

図2:マイクロ波を使った3次元磁気記録: 周波数の異なるマイクロ波を使って、任意の記録層の磁気ビットを反転させる。ハードディスクの記録密度の飛躍的な向上が期待される。

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