「コンピュータと生命」と聞くと縁遠いものの組み合わせのように聞こえるかもしれません。私も博士課程の学生までは生物学とは無縁で、コンピュータアーキテクチャの研究をしていました。当時の研究内容は超並列計算機(スーパーコンピュータ)のネットワーク上を流れるデータをうまく制御することでコンピュータの性能を限界まで引き出そう、というものでした。この研究は簡単に言えば高速道路や一般道を走る車が渋滞を起こさないような交通整理のアルゴリズムを考える、という内容でした。私はこの研究テーマをとても気に入っていました。なぜなら、複数のコンピュータをネットワークでつなげることで更に高速なコンピュータを作るという発想が当時とても斬新だったのと、ネットワーク上を流れるデータが時には複雑怪奇な挙動を示し、自分が想定していたものとまったく異なる結果を示すことがとても興味深かったからです。ネットワーク全体の動きを捉えるには近視眼的な考え方ではたどりつけないことを知りました。

一方で、2000年代初頭は生物学に大きな転機がおとずれていました。ヒトゲノムの全塩基配列の解析が完了し、ヒトの体を構成するすべての部品(タンパク質・遺伝子)が明らかになったのです。すべての部品が明らかとなったのならば、それらがどのように相互作用するかを知ることが生物学の次の問いとなり、相互作用を考えるのであればネットワークとして描き表せるのではないかと考えました。そこで私は計算機科学からシステム生物学と呼ばれる、当時立ち上がったばかりの研究分野に身を移しました。

システム生物学でのネットワークは分子(タンパク質や遺伝子)間の相互作用を表します。相互作用は生化学反応であり、個々の反応は速度を持ちます。すべての生化学反応が明らかになれば生物はネットワークとして表現することができます。ネットワーク中のすべての生化学反応に正しい反応速度式を与えることができれば、ネットワークとなった生物は更には連立微分方程式に形を変えます。これを私達は数理モデルと呼びます。数理モデルとなった生物はコンピュータ上で数値積分を行うことでシミュレーションすることができます(図1)。生命現象を数理モデルとして記述することで、現象を支配する機構、仕組みを明らかにすることが出来ます。

図1: 生化学ネットワークエディタであるCellDesigner。細胞内の生化学反応をネットワークとして記述し、シミュレーションすることが可能。2002年から開発を続けています。

私の研究室では大きく分けて「数理モデルによる生命現象のシミュレーション」、「画像解析による細胞内環境の3次元構築(図2)」、「細胞の運命を操作する技術」の研究を行っています。今やすべての研究テーマにおいてコンピュータは必要不可欠となっています。シミュレーションや画像解析はコンピュータの得意分野なので当然ですが、最近では生物学実験にもコンピュータを活用して正確な実験の制御、実験の自動化を進めています。高精度な実験は実験データの定量化という視点から今後非常に重要な技術となります。

図2: 特殊なレンズを顕微鏡に組み込み、高速・高精度に細胞内の分子を蛍光顕微鏡で撮影し、3次元構築した画像。細胞内空間を精密に再現することで高精度なシミュレーションが可能となります。

「ネットワーク」というキーワードから生物学の世界に入り、10年以上が経過しました。生物学の世界は驚くほど進歩が速く、日々新しい技術、新しい知見が得られていてとても刺激的な世界です。コンピュータと生物学に興味がある学生と一緒に、これからも”What is life?”の答えを探していきたいと思っています。

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