1.計算○○学


「計算工学」はもとより、「計算物理学」や「計算化学」に代表される自然科学の副分野、「計算論理学」や「計算言語学」のようなコンピュータサイエンスとの融合領域、コンピュータグラフィックスとの関連では「計算幾何学」等、「計算○○学(Computational ~)」という名称は枚挙にいとまがない。総じて、コンピュータを用いた計算に活路を見い出そうとする共通の性質が見てとれるが、そのメリットを、ただ単に大量のデータが扱え、高速な近似計算が実行できることに限定するのは寂しすぎはしないか。
筆者はそこに本質的な意義を二点指摘したい。一つは新たに創り出される仮想の世界のなかで、物理的な制約を超え,元来の分野に固有の方法論を理想化できることである。例えば、「計算写真学」“Computational Photography”では、複数枚の写真から、実際に撮影できなかった理想的な構図や撮影条件が如何様にも復元できる。もう一つは、人間ならではの複雑な思考や行動へのリスペクトである。皆さんは“to compute”と“to consider”が本来同義だということをご存じだろうか?すんでのところで、コンピュータはコンシダレータと呼ばれていたかもしれないのである。

2.計算報道学の特長

この点を念頭におきながら、本稿では「計算報道学(Computational Journalism: CJ)」とよばれる萌芽的学術分野に注目し、旧来メディアの呪縛から利用者を解き放ち、報道の理想を追究しようとする同分野の特長の一端をご紹介しよう。
実際CJでは、ICTの発達により加速度的に増加・複雑化する種々の理工学や人文社会学データから、必要な情報を確実に獲得するために研究開発されてきたコンピュータ可視化(computer visualization)技術をベースとして、説明責任(accountability)を負った事実伝達の方法論の確立を目指している(1)
以下、筆者が関わった近年の研究事例を通じて、CJならではの特長を4点ほど明らかにしてみたい。

1)超実時間性:図1は、かつて世界最速の性能を誇ったスパコンである地球シミュレータによって計算された地震波エネルギー伝播の様子である(2)。このクラスの計算性能があれば、震源が特定された直後からシミュレーションを開始しても、実際の地震波の到着より早く、その伝播の様子を描くことができる。被害予想地域に緊急通報と同時に、揺れの程度や特徴を視覚的に事前通達できる可能性を示した。
この超実時間性は現実報道の時間制約を凌駕する。

図1 地震波伝播の超実時間予測シミュレーション

2)時空間網羅性:図2は、時系列3次元データから特徴的な微分位相構造をもつ部分時空間を悉く特定できる多様体学習ユーザインタフェースを利用して、陽子—水素原子衝突に伴う電荷密度分布の時間変化を追跡した例である(3)。
従来の試行錯誤的な時系列解析では保証し得なかった時空間網羅性は、レポータの能力によって伝達できる範囲が変化してしまう現実報道の問題点を解消し、CJが可能にする代表的な説明責任のとり方を与えている。

図2 多次元近似位相骨格抽出に基づく陽子-水素原子衝突現象の網羅的解析

3)オーディエンス主導型報道:対話的可視化において、視認と入力指定のシームレスな連動は、利用者の心理的負担を軽減し、より複雑な解析タスクに専念させられる。図3は,羊の心臓を表すボリュームデータが解剖学的に分解された後、利用者が注視したい部位を特定すると、それを覆い隠す外側の領域が自動的に取り除かれ、しかも情報エントロピー(図中の各円グラフが解剖中の心臓を囲む南北半球上の値分布を表示)の意味で、幾何学的特徴が最も顕著な方向からの視点位置にナビゲートされるプレビューの実行例を示している(4)。このツールの計算機支援外科手術における効用は説明するまでもないだろう。
送信/受信者間の双方向通信により、報道内容を即時に調整し、オーディエンスの「第一人称的視点」を優先するオーディエンス主導型報道は、CJ特有の柔軟性を示している。

図3 観察者の注視特定情報に基づく視点位置の適応的変更

4)知覚的許容デフォルメ:図4では、線遠近的手がかり(梁や欄檻、板目)からの離れ具合に応じて実況対象の各サイズを適切に制御し、画面全体に対してオーディエンスに気づかれない程度にデフォルメが施されている(5)。実際、十分な臨場感で芝居小屋の賑わいを伝えながらも、前方に傾斜した舞台上の様子が伝わりやすくなる、浮繪(遠近法をもつ浮世絵)の巧みな構図が自然に得られている。
知覚的許容度を考慮した非透視投影図法は、人間回帰というCJの重要な別側面を示していると同時に、生理・心理測定に基づく「情動ベース報道」への拡張可能性も示唆している。

図4 ヒトの知覚的許容度を考慮した非透視投影による実況画像

3. 情「報」への「道」

本稿では、近年の可視化研究に見られる計算報道学(CJ)固有の代表的な特長を紹介した。超実時間性と時空間網羅性は、先端的な情報通信メディアや数理的知見を利活用することから生まれる報道の理想化を例証している。これらに加え、可視化の出自(provenance)(6)を管理することで、報道の手順と内容の記録・追跡・再利用が実現できれば、説明責任を負ったCJの処理基盤を確立することが可能となる。一方、オーディエンス主導と知覚的許容デフォルメの2点は、CJのフィールドにも人間が必ず介在することを意識した特長に他ならない。
上例ではどれも個対個の事実伝達に限定されていたが、実社会とリンクしたCJにおいては、パンデミック発生時の情報開示やコンセンサス形成に至る効果的な報道手順等、大衆を前提とした多対多の事実伝達の枠組みを確立することが求められている。
福澤諭吉先生は,著書『 民情一新 』(1879年)のなかで、「インフヲルメーション」(情報)の価値を論じておられる。義塾の一員として、「報道学」を,情「報」に通じる「道」を極める「学」問と読んでみたい.そして、「計算」こそ、それを加速してくれる現代の「利器」と信じてやまない。

参考文献
(1) Cohen, S., Hamilton, J.T., and Turner, F.: “Computational Journalism,” Communications of the ACM, 54(10):66-71 (2011).
(2) 藤代一成,陳莉,竹島由里子:「大規模並列可視化」,並列有限要素解析[Ⅰ] クラスタコンピューティング(奥田洋司,中島研吾 編),培風館,第6章 (2004年)
(3) Takahashi, S., Fujishiro, I., and Okada, M.: “Applying manifold learning to plotting approximate contour trees,” IEEE Transactions on Visualization and Computer Graphics, 15(6):1185-1192 (2009).
(4) Takahashi, S., Fujishiro, I., Takeshima, Y., and Chongke Bi: “Previewing volume decomposition through optimal viewpoints,” Scientific Visualization: Interactions, Features, Metaphors (Hagen, H. ed.), Dagstuhl Follow-Ups (ISSN 1868-8977), Volume 2, Chapter 23, Dagstuhl Publishing (2011).
(5) Yoshida, K., Takahashi, S., Ono, H., Fujishiro, I., and Okada, M.: “Perceptually-guided design of non-perspectives through pictorial depth cues,” Proc. CGiV2010, pp.173-178 (2010).
(6) 藤代一成:「協調的可視化」,フルードインフォマティクス 「流体力学」と「情報科学」の融合,日本機械学会編,技報堂出版,第4章 (2010年)

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