研究のすべてのプロセスが楽しい
大学1年生の頃から、現在の研究分野に進むことを決めていた小川さん。やりたいことを貫き、困難にも果敢に挑む姿勢は、どのようにして育まれたのか。過酷な経験も人生の糧とし、人とのつながりを広げながら歩み続けている。
専門は生体医工学、光診断治療システム学。光を用いた新しい診断・治療技術の開発に取り組み、がん・循環器・神経疾患など多領域への応用を推進している。慶應義塾大学ダブルディグリープログラムにより2012年フランスEcole Centrale de Lyon修了、2015年に慶應義塾大学大学院理工学研究科後期博士課程修了、博士(工学) 。2015年から2018 年まで同大学理工学部特任助教、2018年から2023年まで北里大学医療衛生学部医療工学科講師。2024年より慶應義塾大学理工学部電気情報工学科准教授(現職)。
今回登場するのは、光を用いた新しい医療技術を開発し、1人でも多くの患者さんを救うことを目指している小川恵美悠准教授です。
太陽の下で生きる私たちにとって、光はとても身近なものだ。一方、光は心や体に様々な作用をもたらすことから、これまでにない治療・診断技術への応用の可能性を秘めている。学生時代にそうした光の可能性に惹(ひ)かれたという電気情報工学科の小川さんは、光を用いた新しい医療機器の開発を進めている。未来の医療に光はどのように役立つのか、光の魅力と研究の最前線について聞いた。
大学1年生の夏、光を用いた治療技術を研究している物理情報工学科の荒井恒憲先生(現名誉教授)の研究室を訪問した際に、光のもつ可能性に強く惹かれたという小川さん。「光は波長によって生体に様々な作用をもたらします。例えば、波長の短い青い光は目を覚まさせ、波長の長い遠赤外光は体の奥まで届いて温める効果があります。直接触れるわけではないのに、こうした作用をするのは本当に不思議です。荒井研究室では、光の特性を活かして低侵襲に治療や診断を行う技術を開発しており、『まるで魔法みたい』と感銘を受けました」と振り返る。
もともと医学の道を志しており、仮面浪人をして医学部に入り直そうかと考えていたという小川さんだが、「新しい技術は、自分がこの世を離れた後も未来の患者さんたちの命を救う可能性があるんですよ」という荒井先生の言葉に胸を打たれ、「私がやりたいのはこれだ!」と現在の道に進むことを決めた。
以来、荒井研究室や、その後勤務した北里大学において、医師らと連携し、医学と工学を融合した医工連携研究に取り組んできた。医師から臨床での困りごとや課題を聞くたびに「ここにも光が使えるのではないか」と考え、光を活用できる領域を見つけて研究を展開してきた。現在は、がんや循環器疾患、精神疾患など、様々な医療分野で、光技術を活用した新しい治療法や診断技術の提案と具現化を進めている。
図1 光渦を用いたパーキンソン病治療の構想 光渦の回転する力によって凝集体をほぐすとともに、光の刺激で神経細胞を活性化させ、ドパミン産生能を回復させる。実用化の際には、鼻腔から内視鏡を使って光を照射することを想定している。
最近の注目すべき研究成果の1つとして挙げられるのが、特殊な光を用いたパーキンソン病治療への新たなアプローチである。
パーキンソン病はいまだに根本的な治療法が確立されていない難病だ。高齢者に多く、65歳以上では100人に約1人という高い割合で発症し、手足の震えや体が動かしにくいといった症状が現れる。発症の原因は、神経伝達物質であるドパミンの量の減少にある。脳内の黒質という部位に病気の原因となるタンパク質が凝集・蓄積し、それによって黒質の神経細胞が死滅して、ドパミンの産生量が低下するのだ。
小川さんは、「光渦(ひかりうず)」と呼ばれる特殊な光をパーキンソン病の治療に応用できないかと考えた。光渦はらせん状の波面をもつ光で、照射した物体に回転する力を与える性質がある。この力によって原因となる凝集体をほぐし、さらに光の刺激で細胞を活性化させれば、ドパミンを再び産生できる状態に戻せるのではないかと思いついた(図1)。
このアイデアは、学会での雑談の中から生まれた。「光渦の研究をされている千葉大学の宮本克彦先生とお話しをしていた際に、光渦なら生体中に含まれるタンパク質や細胞内小器官に作用して新たな治療に使えるのではないかと思いついたのです。そのアイデアを、パーキンソン病の研究をしている北里大学の川上文貴先生にお話ししたところ、『それは可能性を感じますね。やってみましょう』と背中を押していただき、共同研究が始まりました」。
実際に、パーキンソン病の原因タンパク質を凝集させたモデル細胞を作り、光渦を照射したところ、原因タンパク質が約20%減少した。さらに驚くべきことに、ドパミン前駆物質の産生量が150%に増加した。「生命科学の分野では、10%の変化でも意味のある効果と評価されます。それを踏まえると、150%というのは際立った成果です。川上先生にも『これはすごい』と驚かれました」と小川さん。
光渦を生体組織に対して使用した研究は前例がなく、凝集体をほぐすという物理的作用と、細胞内で起こる化学反応を光で活性化させる生物学的作用を組み合わせたのは、世界初の試みだった。この目を見張るような成果は、新たな研究分野を切り開く可能性を示している。小川さんは光を用いる革新性について「ターゲットとする細胞内小器官のサイズに合わせた周波数と波長の光を用いると、その小器官のみにピンポイントで光を照射できます。従来の薬による化学的な治療とはまったく違うアプローチができます」と説明する。
バルーンの実物を手で持っているところ
すでに実用化が目前に迫っている研究がある。外傷などで大量出血が起きた場合、緊急に止血する必要がある。その処置として近年普及しているのが、血管内でバルーンを膨らませ、血管の中から血流を遮断し止血する方法だ。しかし、バルーンを膨らませすぎると血管が破裂する危険や過度な血流遮断による障害が生じるリスクがあり、逆にバルーンの膨らみが足りないと十分な止血はできない。現状では、医師の感覚に頼ってバルーンの膨らみを調整しており、客観的な基準は存在しない。小川さんはこの課題に光が使えるのではないかと考えた。 「バルーンに光ファイバーを通して光を照射します(図2)。バルーンと血管壁の間に血液がある場合、光は血液に吸収されて戻ってきません。一方、バルーンが血管壁に密着して血液がない場合は、光は吸収されず反射して戻ってきます。戻ってくる光を検出することで、バルーンと血管壁の間の血液層の厚みがわかり、これを基準にバルーンの膨らみを適切に調整できる仕組みです」。また、血流量(m3/秒)も算出でき、血流量をモニターしながら処置を行えば、すでに述べたリスクを抑えることができる。この光を用いた止血バルーンシステムは、北里大学の医師とメーカーと協働して救急医療の現場でも使用を目指しており、間もなく製品化される予定だ。
図2 光を用いた止血バルーンの血流量計測システム
❶〜❹のしくみで血流量をモニターする。
❶ バルーンに通した光ファイバーから光を照射する。それが反射して戻った光の波長を検出して血液層の厚みを計測する。
❷ バルーンの外径を算出する。
❸ ❶と❷の結果から血液断面積を算出する。
❹ 生理食塩水を注入し光強度の時間変化から血流速度(m/秒)を計測する。❸×❹=血流量(m3/秒)
小川さんの光への興味は、幼いころから好きだったというクロード・モネの絵にも通じている。モネは“光の移ろい”を追求し、睡蓮や庭園風景などを描いた。「モネは、傷ついた人々の心を癒やす絵を描きたいと、生涯にわたり創作活動を続けたといわれています。ちょうどその100年後に生きる私たちは、まさにモネの絵に癒やされ、希望をもらっています。私も光技術によって、100年後も人々を癒やしたり命を救ったりできるような医療機器をつくれたらと、モネに思いを重ねています」。
そうした思いを胸に研究に邁進(まいしん)する一方、学生の指導や育成にも力を入れている。「研究競争に勝つことも大事ですが、『世の中をよくしたい』『医療に役立つものをつくりたい』という志をもった学生を育てることも、教育者として非常に重要な価値があると考えています。チームワークの中で互いに協力し合い、みんなでよりよいものを生み出していく。医療に携わる世界中の人が、命を救うことに挑戦する大きな1つのチームだと考えており、その一員として共に学び、共に成長できる学生を育てていきたいと思っています」。
小川恵美悠准教授に聞く
両親とも音楽家で、父はチェロ奏者、母はピアノ講師という家庭で育ちました。私も3歳からチェロを弾いていて、今でも趣味で続けています。たまに「朝食の時にクラシック音楽を流しているのでは?」と言われますが、実際は反対で、両親にとって音楽は仕事なので、家ではあまり音楽を聞きません。家族みんな野球が好きなので、野球の中継をテレビで流していることが多かったですね。
あまりよく覚えていないのですが、小学校の卒業文集を見たら、10年後の自分について「大学で医学の研究をしている」と書いてありました。その頃から生物や人体への純粋な興味があったのだと思います。両親が好きなことを仕事にしている姿が小さい頃から強く印象にあったので、自分も好きなことを追求する姿勢が自然と身についていた気がします。
化学と生物は好きでしたが、物理はそれほど得意ではありませんでした。大学1年のときに荒井恒憲先生の研究室に行きたいと思い、2年次の学科配属では物理情報工学科を選びましたが、周りからは「物理が苦手なのに大丈夫?」と心配されました。でも、「これがやりたい!」という気持ちが強かったので、迷いはありませんでした。自分がやりたいことをする姿勢は、今もずっと貫いていますね。
妹はシステムデザイン工学科で、健康で安全な生活を支援する建築システムの研究をしています。分野はかなり異なりますが、将来、日用品や家具などに光技術を組み込んだ「健康ハウス」を作りたいと、2人でよく話しています。
2年生の冬休みに父とパリに旅行に行った際に、ベルサイユ宮殿の美しさに感動して「フランスに住むことを人生の目標にしよう」と心に決めたのですが、そんな矢先、慶應義塾大学構内でフランスとのダブルディグリープログラムの募集の貼り紙を見つけました。「フランスに住む夢がもう叶う!挑戦してみよう!」という気持ちで応募したのがきっかけです。
学部3~4年の2年間、フランスのリヨンにあるグランゼコール(専門性の高い教育を行う高等教育機関)に留学しました。そこでは、現地の学生と同じ授業をすべてフランス語で受けます。8時から18時まで1コマ2時間の授業が4コマと長めの昼休みがあり、数学から制御工学、物性物理学などの理系科目のほか、心理学や経営学まで幅広く学びます。膨大な量の勉強をしなくてはならないので、要領よく勉強するすべが身につきました。
※1 慶應義塾大学と協定校の合意のもとで準備された一連のカリキュラムを修了すると、両校から同時に学位を取得できる仕組み。https://www.st.keio.ac.jp/students/ic/dd/
最初は授業で何を言っているのか全くわかりませんでした。それが3か月くらい経った頃、フランス語で夢を見るようになり、授業もだんだんわかるようになってきました。日本人は私だけだったので、フランス語で話すしかない環境がよかったのだと思いますね。留学経験を通じて、何事にもチャレンジできる精神的な成長ができました。
また、世界中からの留学生がみな同じ過酷な経験をするので、仲間意識が強くなります。言葉の壁があるため、感情をストレートに表現してしまうのですが、そのおかげで何でも話せる友人関係ができ、かけがえのない大親友もできました。
留学は大変なこともありますが、苦しんだり頑張ったりした経験は自分を支える柱になります。人生の財産となるような経験をし、一生の友人もできるので、学生さんには留学の機会があったらぜひチャレンジしてほしいと思います。
とにかく毎日が楽しかったです。私は実験のプロトコルにこだわりがあり、ミスなく無駄なく、効率よく進められるように計画を考え、朝から晩までの実験スケジュールをエクセルで組みます。まず、その計画を熟考すること自体も楽しいですし、計画通りにいくことも楽しい。特に好きな瞬間は、実験データからグラフが描けたときです。なので、実験が終わると待ちきれなくて、帰りの電車の中で座れると、「やった!データ整理ができる」と思って膝の上にパソコンを開き、エクセルファイルのデータを解析していました。縦軸と横軸を設定してグラフが表示された瞬間が自分の中ではいちばん盛り上がります。早く荒井先生に見せたいと、ニヤニヤしながらプレゼンのパワーポイントを作っていました。
そうですね。私は昔、料理があまり得意ではなく、家族にも「料理、苦手だよね」と言われていました。それが悔しくて、「もしフレンチのフルコースを1人で作れたら、もう苦手とは言われないだろう」と思って挑戦してみました。家族全員分のフルコースを作り、なおかつ自分も食べられるように、この料理をここで仕込み、食べている間にこれを加熱して…といった具合に段取りをエクセルで作って実行しました。その結果、無事成功。それ以来、毎年クリスマスは私がフレンチのフルコースを作って家族に振る舞うのが恒例になっています。
少し変わっているかもしれませんが、とにかく「健康第一」ということですね。体調を崩すと良い研究も楽しい学生生活もできないので、心身ともに健康に過ごしてほしいと強く願っています。生活面の悩みなどはなかなか気づきにくいので、研究のミーティングとは別に、半年に1回程度、個人面談の機会を設けています。今の生活をどう感じているか、今後どう成長していきたいかなど、1人ひとりと向き合いながらサポートしていきたいと思っています。
また、大学院や4年生の研究生活は、社会に出る前の最後の教育の場なので、指導者として重要な役割を担っていると考えています。研究に取り組むだけでなく、自分の適性や強みを見つけて、世の中で活躍できる人間になってほしいと思っています。研究活動を通して、文章を書く力やプレゼンテーション能力、スケジュール管理能力など、社会で役立つスキルを身につけてほしいですね。
卒業してから特に感じるのは、“慶應の仲間”というつながりの強さですね。もちろん他大学にも同窓のつながりはあると思いますが、慶應義塾大学はとりわけ結びつきが強いと感じます。人と人との関わりは、どんな仕事においても根底にあるものですし、様々な技術やAIが進化しても失われないものです。その意味で、このネットワークは大きな強みだと思います。
同窓会組織である「三田会」は、日本各地だけでなく、世界各地にあり、心強い存在です。友人がパリに留学中、インターンシップの受け入れ先が見つからなくて困っていたときに、パリの三田会に相談したところ、紹介してもらえたと言っていました。
ダブルディグリープログラムや国際的な活動を奨励する「藤原奨学基金」や「藤原賞」のつながりでも、同窓会や懇親会が定期的に行われています。私も藤原賞の受賞と藤原奨学基金で奨学金を頂いたことがあり、懇親会では世代を超えた交流をしています。そうした交流は大きな励みとなり、「自分も頑張ろう」と前向きな気持ちにさせてくれます。
どうもありがとうございました。
◎ちょっと一言◎
学生さんから
●小川先生の研究室を選んだのは、独自性のある研究に取り組んでおられることに惹かれたからです。卒業後は大学院に進学する予定です。就職か進学かで迷っていた際、先生に相談したところ、私の性格も踏まえた的確なアドバイスを頂きました。そのおかげで、社会で活躍するために自分に必要なことが明確になり、進学を選ぶ決め手になりました。(学部4年生)
●私は、ワクチンの免疫反応を高めるために光を用いる方法を研究しています。研究室は10時から15時までがコアタイムとなっており、集中しやすい環境が整っているので、オンとオフの切り替えがしやすいです。研究の合間には、小川恵美悠研究室・小川愛実研究室合同でチームを組んで理工学部のソフトボール大会に参加するなど、体を動かして息抜きもしつつ研究に取り組んでいます(修士2年生)。
(取材・構成 秦千里)
動画版も併せてぜひご覧ください!
