創作ミュージカルに打ち込んだ経験が美術史の研究・教育に生きています

理工学部に所属しながら、日吉・矢上・三田キャンパスで西洋美術史の授業を担当する荒木さん。「ダリア・ボルゲーゼ賞」受賞の快挙を成し遂げた研究や他分野の理工学部生にも人気の講義など、独自の世界を切り開いてきた。その源泉は、ミュージカル創作にあるという。

Profile

荒木 文果 / Fumika, Araki

外国語・総合教育教室

専門はイタリア・ルネサンス美術史。九州大学文学部美学美術史専攻、同大学院人文科学府藝術学修士課程を経て、2012年ローマ第一大学ラ・サピエンツァ美術史学科にてPh. D (Storia dellʼarte)を取得。2013年から日本学術振興会特別研究員(PD)として東京大学に在籍。2015年より慶應義塾大学理工学部専任講師(外国語・総合教育教室)、2022年より現職。鹿島美術財団「財団賞」(2013年)、「ダリア・ボルゲーゼ賞」(2022年)受賞。

研究紹介

今回登場するのは、独自の発想力でイタリア美術史界に新風を巻き起こしている荒木文果准教授です。

「作品ファースト」の観察力と直観であらゆる角度から美術作品を読み解く

世界が認めるイタリア・ルネサンス美術史研究

新しい価値観が生み出され、社会が大きく変革したルネサンス期の美術史は、伝統ある花形の分野であり、当のイタリアはもちろん、欧米にも膨大な先行研究がある。荒木さんがローマ第一大学に提出した博士論文をはじめとする研究成果は、新たな知見として高く評価されている。荒木さんが「作品ファースト」と表現するその研究方法について聞いた。

著書が高く評価され「ダリア・ボルゲーゼ賞」を受賞

2022年2月、まだ新型コロナ感染症が収まらないある朝のこと、眠気まなこで開いたメールボックスにイタリアから1通の知らせが届いていた。「……Award」。ジャンクメールの類いと思って危うく削除しかけたところ、「あなたの著作がダリア・ボルゲーゼ賞にノミネートされました。受賞した場合、5月にローマで開催される授賞式に参加できますか」という文面だった。
1965年に始まったダリア・ボルゲーゼ賞は、ローマ研究に対する権威ある国際賞だ。きら星のごとき研究者たちが名を連ねるなか、荒木さんは若手で、かつアジア圏から初の受賞という快挙だった。
受賞の対象となった著書『Le cappelleBufalini e Carafa 』は、荒木さんのローマ第一大学における博士論文の内容を含め、それまでの研究成果をまとめて2019年にイタリアのカンピサーノ社から刊行されたものだ。いまだに誰が賞に推薦してくれたかは分からないが、本書が世界各国の著名な大学や研究所などに所蔵されていることも受賞への道へとつないでくれたようだ。

図1 ダリア・ボルゲーゼ賞授賞式 2022年5月、ボルゲーゼ宮殿(ローマ)にて、指導していただいた教授や友人の臨席のもと挙行された。

15 世紀の礼拝堂壁画が語る真実

研究のためにローマをはじめイタリアじゅうの礼拝堂壁画を観に通ったという荒木さん。日常から一線を画した空間で壁画に向き合い続けていると、作品が語りかけてくるかのように感じられるという。前述の著書に収められている研究成果の一部の概略を紹介しよう。

【1】 15世紀のシスティーナ礼拝堂壁画装飾事業
ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂といえば、16世紀に天才芸術家ミケランジェロが描いた《創世記》を中心とする天井画と祭壇壁面の《最後の審判》のある場所として、あまりにも有名である。一方で、礼拝堂左右の側壁に、15世紀末に当時もっとも影響力をもった4名の画家たちによるフレスコ画〈モーセ伝〉と〈キリスト伝〉が残っていることはあまり知られていない。時の教皇がローマに招聘した画家のなかには、日本にも愛好家の多いボッティチェッリもいた。4名の親方たちはひとつの空間で共同制作するにあたり、描き方に関する様々な「取り決め」をし、各工房の弟子たちを率いて分担して仕上げた、というのが従来の見解だった。
これに対して荒木さんはまず、制作順序について、親方を中心とする同じメンバーが、各画面を順に仕上げていったとする定説ではなく、親方たちの〈キリスト伝〉と弟子たちの〈モーセ伝〉の制作が部分的に同時並行で進められていた可能性を提示。そのうえで、ボッティチェッリが担当した画面は、親方衆の一人、ペルジーノの様式に対するアンチテーゼとして、激しいポーズを取った人物像が躍動するダイナミックな画風を採用するなど、親方どうしの「取り決め」のなかでいかに画家の個性を出すかが課題であった点も指摘した。15世紀のシスティーナ礼拝堂壁画事業について、画家どうしの競合意識を画面上に読み取る試みはこれまでにほとんどなく、この点が大きく評価された。

【2】 ブファリーニ礼拝堂壁画とカラファ礼拝堂壁画
これらはシスティーナ礼拝堂壁画装飾事業の直後にローマで制作され、ペルジーノの弟子ピントリッキオがブファリーニ礼拝堂壁画を、その後にボッティチェッリの弟子フィリッピーノがカラファ礼拝堂壁画を描いた。荒木さんは、両壁画がなぜかよく似ている点に疑問を持ち、2つの礼拝堂壁画を徹底的に比較して、フィリッピーノがブファリーニ礼拝堂壁画を全面的に参照してカラファ礼拝堂壁画を描いたことを指摘した。さらに、この視覚的な類似性の背景には、フランチェスコ会とドメニコ会という、当時のイタリアで勢力を二分していた托鉢修道会どうしの競合意識があったことも解明した。このような両礼拝堂の関係を指摘したのは荒木さんが初めてで、高い評価を得た。

作品が発するメッセージに耳を傾ける「作品ファースト」の姿勢

荒木さんの研究は作品と向き合うことから始まる。研究の主役は作品であり、それが語っていることを大切にして、できるだけ先入観を排除して観察し続ける。
そこから様式分析(どのように描かれているか)、図像学・図像解釈学的検討(作品の意味内容)、壁画の描かれた場所が有していたコンテクストの調査(当時の社会における存在意義)といった観点について、それぞれの作品に合った方法論を用いて考察を深めていく。そうすると、ルネサンス期の光り輝くような壁画を、当時の人々がどのような思いで受け止めたのか、そのイメージが見えてくる。
カラファ礼拝堂の少し変わった受胎告知図(図2)については、注文主の葬儀の際、まさにこの礼拝堂で読まれた弔辞に、研究の核心となる情報を発見した。500年以上も前の個人的な情報を読み解いていく過程は、時空を超えて旅をするようであり、また「推理小説のようでわくわくします」。
美術史学には、古典的名著や定説とされる先行研究など膨大な積み重ねがあり、欧米の研究者にとっても新しい説を提唱するのは至難の業だ。荒木さんは既成概念に捉われずに、これまで盲点として見過ごされてきた部分に光を当て、次々に新たな事実を導き出してきた。「文化的背景が異なる日本人であることが、逆にメリットになっている部分もあるのでは……」と語る。

図2 カラファ礼拝堂(左)の祭壇画《受胎告知》(右)
聖母マリア(画面中央)から注文主(赤いマントを着てひざまずく男性)が祝福を受けている様子が描かれている。荒木さんは、当時、カラファ礼拝堂があるミネルヴァ聖堂で育まれていた、受胎告知の聖母に対する特別な信仰体系を指摘し、その特異な図像について説明した。下の講義ビデオで詳しく解説している。

アカデミック・スキルズ10 分講義ビデオ「美術史を学ぶ」

アーティスティックな思考法を共有したい

美術作品は、それぞれに異なった光を放つ。荒木さんは、「作品の魅力を広める伝道者でありたい」と言う。近年では、原稿依頼や共同研究が増え、複数の研究テーマを抱えて大忙しだ。同時に、日本での著書刊行の準備など、精力的に研究活動を続けている。また、「美術作品は裏切らない」と言う荒木さん。一生懸命問いかけると作品が必ず答えを出してくれるからだ。学生にも、人生の折々に美術作品が支えになるだろうことを伝える。
「作品の声に徹底的に耳を傾ける」研究姿勢をはじめ荒木さんの研究方法は、それ自体がアーティスティックな側面をもつ。そんな思考方法を、学生たちと共有したいと考えていたところ、「マーブリング(図3)」というアート技法を使うことを思いついた。マーブリングはやってみるだけで面白く、大学生はもちろんのこと、子どもから大人まで誰もが楽しめる。ワークショップのような形態で、例えば「散歩」や「印象派」など、共通のテーマで制作すると、そのイメージを捉えて、形にしようとするアーティスティックな思考が働き出す。参加者どうしで意見交換をすれば、イメージの広がりを共有できる。
「私は参加者の思いを引き出すのが上手いと思うのです」と笑顔の荒木さん。美術作品を対象に鍛えた観察力で、参加者の心の声を聴き、個性や可能性を引き出そうとしているのかもしれない。

図3 マーブリング作品 せんたく糊と水で作ったマーブリング液の水面に数色の絵の具を垂らし、絵の具が描くマーブル模様を紙に写し取る。絵の具の色や流し方はある程度選択できるが、どのような模様ができるかはお楽しみだ。

(取材・構成 平塚裕子)

インタビュー

荒木文果准教授に聞く

ミュージカルに導かれて

西洋文化に興味をもったきっかけはミュージカルだったと伺いました。

中学生の頃に観た宝塚歌劇に感動しました。天海祐希さんや一路真輝さんのようなスターに魅せられたのはもちろん、娘役のふんわりとしたドレスや美しい世界観に心を奪われ、西洋文化への興味が芽生えました。

高校ではコーラス部で活動し、卒業後、創作ミュージカルを続けたのですね?

高校3年生の文化祭ではコーラス部で『エリザベート』を上演しました。卒業後も活動を続けたいと、OGが創作ミュージカルの活動を始めて、年1回発表会をしていました。慶應義塾大学に就職した頃にその活動は終わってしまったのですが……。

博士課程でローマに留学されていたときも創作ミュージカル活動をされていたのですか?

はい。ミュージカル活動を周りに認めてもらうためにも、研究成果をしっかり出す必要があり、イタリアでは昼夜研究に明け暮れました。ミュージカルの練習時期に合わせて、日本での学会発表などを入れて(!)、研究とミュージカルの活動を両立してきました。

そうなんです。ミュージカルを創作する過程では、お客様を楽しませたいという思いで、細部を作り込んでいきます。この経験は研究で美術作品を観て論文を執筆するときに役立っています。また、ミュージカル制作では、演じるだけではなく、演技やダンスの指導、練習計画の立案など一座を率いるような役割を任されることも多かったため、実力レベルの異なる部員全員が楽しみながらも高みを目指せるように工夫してきました。この経験は、おおいに授業運営に役立っています。

困難を乗り越えて花開いたローマでの研究

イタリア美術史の道に進まれたきっかけを教えてください。

もともと絵画鑑賞や旅行が好きだったのですが、恩師の京谷啓徳(きょうたに・よしのり)先生(当時は九州大学、現在は学習院大学教授)の西洋美術史の授業が本当に楽しかったのが大きいです。京谷先生からの影響を受けて、イタリア・ルネサンス美術史を専門にしました。先生が私の個性を尊重して、のびのびと研究させてくださったおかげで、自由な思考を養うことができたと思います。あまり公表していないのですが、父は西洋哲学、母は心理学、父方の祖父と実姉は東洋哲学を専門とする学者一家です。そのせいか、自然と学者の道を歩んでいましたね。

日本人がイタリア美術史を研究する難しさはあるのでしょうか?

イタリア美術史を研究するためには、英語だけでなく、イタリア語、ラテン語、フランス語、ドイツ語などが必要で苦労しました。言葉の問題以外にも 大変なことばかりでしたが、特に記憶に残るのは、ローマ第一大学に留学して初回の研究発表会で、ある先生から出席者全員の前で「何年イタリアで研究したの?あなたが今話したことは何の意味もなさない」と一蹴されたことです。この発表内容は、のちにダリア・ボルゲーゼ賞を受賞することになる本にも書いたことでした。ルネサンス期のイタリア美術史は相当な研究が既になされています。そこへ日本人がポッと研究しにきたところで、新しい発見ができるわけがないという先入観があったのかもしれません(泣きました)。

そのような偏見を持たれてしまっては、研究が認められませんね。どのようにして今があるのでしょうか?

もうローマ第一大学では指導していただけないと感じて、1年くらい大学に行けずにいました。だからといって帰国するわけにもいかないので、日本の恩師にもアドバイスをいただきながらローマでただひとり研究を進めました。そんなとき、同じ分野の先輩から、ピサ高等師範学校に1年間の奨学金付きの研究環境があることを教えていただきました。場合によっては、ローマ大学はやめてそちらへ行く覚悟で応募しました。そこで美術史学の権威であるサルバトーレ・セッティス先生の指導を受けながら、1年間落ち着いて研究ができました。さらに、ピサでの成果をまとめた論文をセッティス先生が「素晴らしい研究だ」と認めてくださり、続いて、ローマ第一大学で行ったプレゼンでは、(セッティス先生のお墨付きをいただいたこともあって?)担当教官のクルツィ先生も研究を激賞してくださいました。こうして、いったん止まった歯車がやっと動き出し、しだいに博士論文完成への道が開けていったのです。

研究も教育も博愛の精神で

研究では「作品ファースト」で、過去の研究成果や常識にとらわれすぎないようになさっているのですね?

美術史は作品が主役です。自分が持つ先入観を捨て、事実を観察することを大切にしています。観察眼は練習によって磨かれると考えているので、講義では、このような鑑賞法をゲームに落とし込み、みんなで訓練します。「意外と(!?) 面白かった!」「何度もやりたい」と受講生に好評のこのゲームについては、ぜひ慶應に入られて、授業のなかで体験していただきたいです。確実に鑑賞方法が変わりますし、理工学部の学生が実験結果を分析する際の観察眼にも通じるように思います。
この講義を受けた後、多くの受講生が「以前は、美術館に行っても何を見たらよいか分からず、すぐに会場をあとにしていたのに、3〜4時間かかっても鑑賞が終わらず、気が付いたら閉館になってしまった」と報告してくれました。とても嬉しく思いました。
理工学部に限らず慶應義塾大学の学生はフットワークが軽く、国内外のいろいろな美術館に足を運び、実際の作品を観た感想や写真をシェアしてくれるので、教えがいがあります。

その方法ならば、先入観や偏見の入り込む余地がありませんね。

鑑賞眼を鍛え続けることで、作品を観る際の感性や作品のメッセージを捉える直感力を鍛えられると思っています。同じ作品を見ても、年を重ねるごとに違うものをキャッチできますね。私の場合、論文執筆の端緒は「なるほど、そういうことか」という直感にあって、それを手探りで言語化していくのですが、執筆の際は感性ではなく緻密に論証していくので、理工学部の学生さんからも理解しやすいという感想を得ています。

講義で心がけていることはありますか?

教育でも、何か思い込みをしないように常にニュートラルでいようと心がけています。どちらかといえば「みんな大好き」といった「博愛主義」かもしれませんね。 そんな姿勢が伝わっているのか理工学部の女子学生をはじめ、いろいろな学生さんたちからキャリアや人生(!)についての相談を持ちかけられることもあります。そろそろ「日吉美術研究室オアシス・カフェ(仮称)」なるものを開く必要があるでしょうか!? 論文執筆の端緒は直感にあるのですが、私は研究をする際に、いわゆる暗記型の知識とは全く違った力を使っているように感じます。その力を大学時代に少しでも学生さんたちに身につけてもらいたいと思うのです。その一環として、講義では何かを一方的に伝えるのではなく、受講生どうしでアウトプットする活動を多く取り入れています。そうそう、イタリア人は話題にあまりタブーをつくらないんですよ。驚くほど率直に意見を伝え合います。そんなところも伝えたいので、意見を言いやすい雰囲気づくりを心がけています。

マーブリングを取り入れたワークショップ(研究紹介)にも先生のそうした思いがつまっているのですか?

私にとって美術史研究は、苦しさもありますが、結局のところ楽しくてやめられないものです。そもそも学びは楽しいはずなので、授業に「遊びの要素」を取り入れています。その際、例えば、単に「絵を描く」「ダンスをする」という課題ですと不得意な人にとっては、その時点でハードルが上がってしまいます。対してマーブリングは得手・不得手なく、誰もが満足感を得られやすい手段であると感じています。
現在、慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科の小檜山雅之(こひやま・まさゆき)教授と共同で“防災×市民科学×アート”をテーマに、持続的な防災活動の試みを行っています。例えば、防災マップが、「ここは危険」ばかりでは、目をそむけたくなるかもしれませんよね。そこにアートをとりいれ、楽しみながら防災意識を育めないかという取り組みです。そこでは、マーブリング×コラージュによる作品制作を進めていますが、今後どのように広がっていくのかが楽しみです。
慶應の大学生に限らず、国内外の幅広い年代を対象にワークショップを実施する機会をつくってみたいです。今後、一貫教育校などにもお邪魔するかもしれません。その際は、どうぞよろしくお願いいたします。


どうもありがとうございました。

 

 
◎ちょっと一言◎

学生さんから

●学生が書く授業アンケートには珍しく「この授業は受けておいた方が良い」と勧められていました。システィーナ礼拝堂の〈モーセ伝〉〈キリスト伝〉が描かれた側壁面の制作順序については、壁画の観察だけでなく、画家が通っていた団体の出席記録簿など、様々な史料をもとに荒木先生が多角的に検討されていました。専門知識を持たない私たちも納得できるような従来の説を覆す新規の発見をされ、考察されているところが非常に面白いと感じました。

とても優しく包容力のある先生で、先生が作り出す教室の雰囲気のおかげで学生も活発に意見を出し合っていました。そして先生もグループワークにたくさんのフィードバックをくださいました。楽しかったので、荒木先生の講義のリピーターになりました。1年生で「造形デザイン論」、3年生で「人文社会科学演習(表象文化)」を受講しました。(2人の講義受講生に話を聞いてまとめました)。

(取材・構成 平塚裕子・大石かおり)

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