視野を広げるにはまず自分が感じていることを疑ってみる
人は科学・技術をどう生活に取り入れていくのか‥‥自らの視点をもちながら多くの人の話を聞き、さまざまな科学・技術と社会の関係性に迫ろうとしてきた見上さん。「科学・技術」と「人文・社会科学」は伴走して、共創関係を築くべきと考えるようになるまでには、科学技術社会論の研究者として数多くの経験を積んできた。

Profile

見上 公一 / Koichi, Mikami

外国語・総合教育教室

専門は科学技術社会論。生命科学を中心とした科学技術ガバナンスに強い関心を持つ。2004 年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。2010 年にオックスフォード大学サイードビジネススクールで博士課程を修了し、2011年D.Phil.(Oxon)の学位を取得。総合研究大学院大学学融合推進センター助教、エジンバラ大学社会政治学研究科科学技術イノベーション研究部門リサーチフェロー、東京大学教養教育高度化機構科学技術インタープリター養成部門特任講師を経て、2019 年に慶應義塾大学理工学部外国語・総合教育教室に専任講師として着任。2022 年より現職。

研究紹介

「新版 窮理図解」では、毎回ひとりの研究者を取り上げて紹介します。

今回登場するのは、科学技術社会論の研究を進め
“研究者と共に科学・技術をつくる人文・社会科学” を模索している見上公一准教授です。

新しい「科学技術社会論」の在り方を探求

研究者と共に科学・技術をつくる“共創” をめざして

「科学・技術は理学や工学の研究者が生み出していくイメージですが、人文・社会科学も一緒になってつくっていくように変えたいのです」と話す見上さん。自らの科学技術社会論に関する研究を通して、そのような理想を思い描くようになったという。慶應義塾大学に移籍して、この思いを形にするための挑戦が始まっている。

科学技術社会論とは

2018年に「中国でゲノム編集をした双子が生まれた」というニュースは、記憶に新しい。エイズウイルスに感染しないように遺伝情報を書き換えられた赤ちゃんの誕生は、2人の今後の安全は保証できるのか、そもそも倫理的にヒトのゲノムを改変していいのかなどと指摘され、その是非が厳しく問われた。
「医療としてそれを求めていた人がいたことは理解できます。しかし、だからといって社会的に受精卵のゲノム編集をやっていいということにはなりません」と話すのは、科学技術社会論を専門として慶應義塾大学理工学部で教鞭をとる見上さん。科学技術社会論とは、科学や技術と社会との関係を研究する学問だ。見上さんは、中でも生命医学分野に注目して調査研究を行っている。
かつて科学は、“この世界の真理”を明らかにするのだから、誰がやっても“結果(結論)は同じこと” と考えられていた。しかし、第二次世界大戦で科学のもつ社会への影響力の大きさが強く認識されたことで、科学や科学者のあるべき姿を理解しようとする「科学論」が生まれた。そして検討の対象が技術にも拡大されて「科学技術論」となり、社会への影響を考える「科学技術社会論」へと発展してきた。1990年代にヒトゲノムの全配列の解読が始まった際には、将来かかる病気がわかるなど、もたらされる成果の大きさが懸念され、倫理的・法的・社会的影響(ELSI: Ethical, Legal and Social Implications)も同時に研究された。
「歴史から見て人文・社会科学に期待された役割は、科学・技術に対してストップをかけるか、あるいはその健全な発展を黒子として支えるかのどちらかでした(図1)」。

図1 科学・技術の倫理的・法的・社会的影響(ELSI) ELSI の議論を通じて人文・社会科学は科学・技術の問題を明らかにするので、その発展をストップさせると考えられていた(古いELSI 観1)。

一方、ヒトゲノム計画以降は、研究を続けることを前提として、その成果が社会に受け入れられるために人文・社会科学が周りから支援することが求められるようになった(古いELSI 観2)。

それに対して見上さんは、科学・技術と人文・社会科学がともに発展する仕組みを模索している(実現したいELSI 観)。

科学・技術への評価は文化によって異なる

見上さんが科学・技術と社会の関係に関心をもったのは、2005年に修士課程の学生としてイギリスに留学していた時のことだった。
「ハイブリッドカーが市場に出はじめた頃で、日本では、環境に優しい次世代の車といわれていましたが、イギリスではディーゼル車の方がいいという議論がありました。当時の私は、科学・技術の評価は普遍的なものだと思っていたので、国によって望ましい技術に違いがあることが非常に面白かったのです」。日本のように街中を走行して停止することの多い環境ではハイブリッドカーの良さが発揮されるが、平野にまっすぐな道が続いていてエンジンを回しっぱなしにできるイギリスではディーゼル車の方が効率的だと考えられていた。
そこで、国や文化による科学・技術への評価の違いを研究したいと考え、もっとも違いが現れそうなテーマとして生命医学分野から、当時、盛り上がりはじめていた「再生医療」を選んだ。その理由を、「人には身体に関することは自分が慣れ親しんだモノにこだわる傾向があるようです。つまり、育った環境や文化の影響が強く現れるのです」と見上さん。以前、留学生仲間を対象に行った調査の結果から、薬だけでなく歯ブラシなども日本からわざわざ取り寄せている学生が多いことを知り、このような考えに至ったという。

インタビュー調査で再生医療の真実に迫る

見上さんの調査研究方法は、選んだ分野の研究者や、それを支援する行政、企業に対してなるべく多くのインタビュー調査をすることだ(図2)。その際、各国の学会の講演内容を調べたりして、その国において選んだ分野の傾向をなるべく反映できるように人選する。
再生医療の調査では、立場によってめざしているものが全く違うことに驚かされたという。また、「患者さん本人の細胞を採取してその人に特化した再生医療を行うという点で、iPS細胞は、非常に日本人の感覚に合っていたのでしょう。
一方で、イギリスでは再生医療であっても、低コストで多くの患者さんが使えるように標準化して量産することが重視されています。それにはヒト胚性幹細胞が適していました」と日本とイギリスのお国柄の違いも明らかになったという。さらに、この時のiPS細胞に関する調査が、次の希少疾患の調査へと発展していくことにもなった。

図2 科学・技術がつくられる際の参加メンバー 科学・技術が社会で推進されている際には、学術界(アカデミア)、政府(行政)、産業(企業)の関与が大きく、市民の参加が少ないことが多い。

一方で、医学・医療関連技術では、患者団体という市民の一部が大きく関わってきたことを、見上さんは調査から明らかにしている。特に患者数の少ない希少疾患のようなケースでは、患者団体の主張が重視される傾向にあるが、一方で相対的にそれ以外の一般的な市民の存在感が薄れるという問題もある。

共に科学・技術をつくる人文・社会科学でありたい

研究を進める中で、見上さんはある思いを抱くようになった。「私が話をしたいというと、研究者から“ダメ出しをされるのではないか” という反応が返ってくることがありました。人文・社会科学の研究者たちがこれまで、出来上がった科学・技術に対して良い悪いといった評価をするような、第三者的な関わり方しかしてこなかったからなのでしょうが、これを変えなくてはと思いました」。2019年に慶應義塾大学の教員となったことで、この思いを具現化する機会を得た。現在、見上さんは理工学部の生物や化学、情報工学などを専門とする研究者たちと月に1回程度集まって、人工細胞や分子ロボットといった分野で新しい科学・技術をつくろうと動き出している。
その中で人文・社会科学の見上さんの役目は、めざす科学・技術に関わる情報を多様な視点から集めてきて、それを地図のように整理して仲間の研究者に示すことで、これから進む方向を共に議論していくことだという。「私が接点としての役割を引き受けて、どのようなニーズや課題が考えられるかを議論して、その先では社会と研究者をうまくつなぐこと
が重要だと思っています。分野が違うと違った考え方をすることも多くて、とても刺激になります」。
そして数年後、このチームから新しい科学・技術が生まれる時には、「私も、この科学・技術が社会でどのような意味をもつのかなどの研究成果を出したいのです。私も含めて関わっている研究者がみんなそれぞれ面白いと思う研究をしている。そのような形になることで初めて、“共創”と言えると思うからです」。成果は、人文・社会科学と科学・技術の関係に大きな変化をもたらすことになるだろう。
見上さんは、慶應義塾大学での学生に対する教育にも意欲的だ。「理工学部には、将来、研究者になる人、企業で科学・技術に関わる人がいます。こうした人たちが、もし自分がやっていることは“すべて正しい” と思うとしたらそれは危険です。私の授業が、科学・技術にはいろいろな側面があることを学ぶきっかけになってくれたら嬉しい」。こんなことを考えながら、今日も教壇に立っている。


(取材・構成 池田亜希子)

インタビュー

見上公一准教授に聞く

高校まで受験勉強に追われない環境で学ぶ

早稲田大学附属の中学・高等学校だったそうですね。

中学、高校、大学と計10年間を早稲田で過ごしました。大学の先生が授業をしてくれたことがあり、質問したら「いい質問だね。それ研究してみたら?」と返答されて驚きましたね。高校までの覚える授業と違い、大学の先生が話すことの中には“答えがわからなくて自分で考えなくてはならないものがある”のだと。しかも、先生がそれを前向きに肯定しているんですから、何か別の世界があるように感じました。
自分では、貧困とは何かとか、資本主義が本当にいいものかなんてことを考えたりもしていました。

ずいぶん早熟だったようですが・・・・

周りにそういう友達がいましたから、そんなこともないと思います。ある時「部屋から出ると見えなくなるでしょう。見えなくなったら存在してるかどうかわからないよね?」と問われて、その時は何を言っているんだろうと思いましたが、後から考えると非常に哲学的だったなと思いますね。これが受験勉強に追われない附属校の良さだと思っています。
それぞれが興味のあることに取り組んで個性を伸ばしていくことができる。友達から刺激を受けましたし、夏休みには1か月間イギリスに語学留学もしたりして、違った文化や生活習慣に触れました。親元を少し離れたいというのもあったのですけれど(笑)。

経済学から社会学への転向

大学では最初、経済学部に進学されましたね。

ぼんやりとですが、誰もが望む生活ができる世界が理想だなと思っていました。当時はお金、つまり資本がないと何もできないと考えていたので、お金の流通を学ぼうと経済学部を選びました。学ぶうちに、経済学では物事をシンプルに捉えるためにモデル化するので、文化や嗜好などは考慮しないことが多いと気付きました。日本であろうとイギリスであろうと同じという前提から考えるのです。これは私の感覚に合いませんでした。
実際の消費者はそれぞれ違った価値観をもっていて、異なったものを求めている。この消費者ニーズに向き合うビジネス論に少しずつ関心が移っていきました。

現在の専門である社会学を学ぶようになったきっかけは?

最初はビジネスコンサルタントになろうと学んでいましたが、この職業は経営学修士(MBA)を取得しないと本格的な仕事に就けないという話を聞きました。そこでイギリスのオックスフォード大学のサイードビジネススクールの修士課程に進みました。当時、ここはまだ新しい研究科で、「ビジネスは学問ではない」などと言われることもある中で、「いかにビジネスを学問としてやるか」に挑戦していました。そのためさまざまな視点から学ぶことができ、その中に社会学もありました。 この頃、研究紹介で話したように、「ハイブリッドカーに対する評価の国ごとの違い」について研究したいと思うようになっていました。自分で指導教官を探さなくてはならなかったので、いろいろ調べました。そして気候変動の問題を専門に研究していた、スティーブ・レイナー教授を見つけてコンタクトをとったのです。その時、彼の師である文化人類学者のメアリー・ダグラスが書いたものを読むように言われました。「人々の社会の捉え方が文化を形成する」といった内容で、後日スティーブ教授のところに行き、つたない英語でポイントと思うことや感じたことを熱弁したのを覚えています。 後に聞いた話では、スティーブ教授は、単にお互いの興味関心が合うかを確かめたかっただけのようでした。でも私の方はテストされていると思って必死だったんです(笑)。

研究者への道を目指して調査研究を

スティーブ先生はどのような方だったのでしょうか。

ディスカッションの時は、読んでいる本から顔を上げて老眼鏡の上からこちらを見る様子がにらんでいるようで、いつも試されている気分になりました。最初は怖そうでしたが実際は非常に優しい人で、一緒にお茶を飲んだり話をしたり‥‥。先生と呼ばれる人とこれほど密な関係を築いたのはこの時が初めてでした。
研究室は、イギリス人のほかにアメリカ人、チュニジア人、シンガポール人、デンマーク人なんかもいて多国籍でした。私の語学力がいちばん低くてみんなに助けてもらっていましたね。初めの頃は、ミーティングなどでわからない英語があると、必死にメモして後で調べていました。それをスティーブ教授に知られた時に、「わからないと言ってくれた方がお互いにコミュニケーションがとれるから」と言われたんです。それ以来、わからないことはきちんとその場で伝えるようにしました。
研究に関しては厳しさのある人で、ダメならダメ、よければいいとちゃんと言ってくれました。調査研究を始めたばかりの頃は、うまくいっているのかわからずに不安になるものですが、それを解消してくれて、なおかつ学生であっても1人の研究者として扱ってくれていたと思います。

この頃、「研究者になりたい」と思うようになったのでしょうか。

当初考えていたハイブリッドカーの研究は、英語のつたない学生が車のユーザーに直接インタビューするのが難しくて断念しました。代わりに何ができるかを必死に考えて、日本人留学生が日本から取り寄せているものを調べました。薬とか歯ブラシなんかが多くて、生活必需品の中でも身体に関係するものは自分が親しんだモノにこだわる傾向がある、つまり文化との関わりが強いとわかったのです。これをもとに修士論文を書きました。 この調査はスティーブ教授をはじめ、審査の先生方から非常に好評でした。自らそばにきて「よかったよ」と言われた時には、本当に嬉しかったですね。自分の調査研究から新しいことがわかって面白いという気持ちと、自分が面白いと感じていることをほかの人もわかってくれるという喜びがあり、研究を続けてみようと思いました。 そして社会学をもっとしっかり学ぼうと、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの社会学部でも修士号を取得しました。この間は、オックスフォードに戻ったら、スティーブ教授と何を研究しようかといつも考えていましたね。

研究は、その後どう発展していったのでしょうか。

スティーブ教授のところに戻って、博士課程では再生医療の調査研究をしました。日本もイギリスも再生医療に力を入れていますが、両国は医療システムなどの違いから目指している再生医療の方向性が異なることを明らかにしました。スティーブ教授からは、研究成果を本にしたらと勧められましたが、もう少し調べたいこともあって結局しませんでした。
修了時に、日本で仕事が見つかったので帰国しましたが、「科学技術社会論」は海外の方が盛んということもあって、いつかまた海外で研究をしたいと思っていました。
2014年にイギリスのエジンバラ大学で、ちょうどその時にやりたいと思っていた希少疾患の調査研究ができるポストを見つけたのです。3年間で希少疾患研究が盛んなアメリカやヨーロッパでの調査を実現することができました。
この時は子供たちも連れて行きました。特に、今小学生の娘は滞在中に5歳の誕生日を迎えて、エジンバラで現地の小学校に行くことになって。親子ともども異文化に触れる貴重な経験をしましたね。

科学・技術と人文・社会科学の「共創」の成功例をつくりたい

研究がお好きなようですが、息抜きには何かされていますか。

子供の頃からサッカーを続けています。今も、個人参加のフットサルで週に1、2回はプレーしています。息子が小学校に入ってサッカーに関心を持ち始めたので、最近は一緒にボールを蹴ったり、サッカーの試合を見に行ったりもしています。90分間黙って観戦しているので飽きたのかなと思っていたら、帰り道で大興奮。連れて行って良かったなと思いました。親子のコミュニケーションツールですね。
留学先にイギリスを選んだのには、サッカーが盛んな国という理由もありました。サッカーをやっていたおかげですぐに友達ができましたし、サッカーに助けられたことも多くあります。

いろいろな経験をされた見上先生にとって、慶應義塾はどのような場所でしょうか。

科学・技術を進めていくには、科学・技術のことだけを考えればいいわけではなく、社会全体の中でどういうものであるべきかを考えなければいけません。こういう考えを大学生活にも取り込んで欲しい。学生は外国語や総合教育の授業を通して多様な価値観に触れる機会があるので、それはとてもいいことだと思っています。
私自身、矢上キャンパスで研究をしている先生方のところに積極的に出向いていますし、人工知能のように社会との接点を考えなくてはならない分野の先生方からは、逆に声をかけてもらったりもしています。ここで科学・技術と人文・社会科学との「共創」の成功事例をつくりたいと思っています。そして、それを他の大学や多くの研究者にも広げていきたい。慶應義塾に来て始められたことが、これからどうなっていくかワクワクしています。


どうもありがとうございました。

 

 
◎ちょっと一言◎

学生さんから

科学者・技術者と社会の双方向性が失われ、科学・技術が独り歩きしつつあると感じます。こんな時代に「科学/科学者の社会的責任」について同世代の学生と議論するのは大事だと感じて、見上先生の授業をとりました。科学から一歩引いて、人文社会系の視点で現代社会における科学・技術の役割を考えようとしている点が面白かったです。
科学者をめざす理系の学生こそ、このような視点をもつべきだと思いました。「安心や安全」、「社会における技術」などといった科学論の基礎を、日常的な例をあげて解説していただきました。論文の読解に加えて、プレゼンやディスカッションなど主体的に参加できる時間があって有意義でした。「他の国ではどうなの?」といった質問が投げかけられた時には、視野の広い先生だと思いましたし、学生の発言を頻繁にメモしていて、学生からも学びを得ようとされていました。
科学・技術は、時にその活用推進派が圧倒的多数の場合がありますが、そのような時にも見上先生は常に中立な立場を貫いて反対派の意見を尊重していました。その姿に、自分の価値観はバイアスがかかっていたと気付かされました。

(4人の学生さんにお話を聞いてまとめました)。

(取材・構成 池田亜希子)

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