化学の研究を一生懸命楽しむ

近年、応用や実用化研究に注目が集まりやすい化学の世界で、緒明さんは新しい材料をつくり出すことにこだわり、それを純粋に楽しみながら追究している。「私は納得しないとやらない人」と頑固な一面をのぞかせるが、その強いこだわりから生まれるパワーによって、人生も研究も切り拓いてきた。そして今、化学の楽しさを後進にも伝えていこうとしている。

Profile

緒明 佑哉 / Yuya Oaki

応用化学科

慶應義塾大学理工学部応用化学科准教授。博士(工学)。専門は共役高分子材料、層状物質、ナノシート材料、マテリアルズインフォマティクス。2002年慶應義塾大学理工学部応用化学科卒業。2006年同大学大学院理工学研究科後期博士課程修了。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2009年より慶應義塾大学応用化学科助教、2012年より専任講師、2016年より現職。2016年から2020年までJST さきがけ研究者、2018年から2020年まで文部科学省学術調査官を兼任。

研究紹介

「新版 窮理図解」では、毎回ひとりの研究者を取り上げて紹介します。

今回登場するのは、化学を使った“材料づくり” を楽しみながら、
世の中に役立つ機能を探し求める、緒明佑哉准教授です。

柔軟な二次元材料の構造と機能を追究

楽しみながら新材料・新機能をつくる

原子や分子を操り、暮らしに役立つ物質をつくり出す「応用化学」。何をどう扱うかには無限の可能性があるといっていい。応用化学科の緒明さんは「柔軟な二次元材料」に焦点を絞り、その構造をつくり込むことを楽しんでいる。そんな中から、「思わぬ発見」が生れるのだという。

転機となった黒いサンプル瓶

研究の世界でも、思いがけず幸運な発見をすることを「セレンディピティ」と呼ぶ。化学でも、失敗した実験の結果から予想外の有用なデータや知見を得ることがある。応用化学科の緒明さんは、「約20年間研究をしてきて、2回セレンディピティと呼べるような体験をしました。それをきっかけに研究の方向性は大きく変わりました」と話し、今から10年ほど前に、「思わぬ発見」をすることになった真っ黒なサンプル瓶を見せてくださった(図1 左)。
大学の研究室では、教授や准教授などの教員のもとで学生たちが研究を行う。教員と学生は議論して研究の方向性や方法を決めるが、実際に実験を行うのは学生たちだ。緒明さんは、学生が実験する様子やできた試料を見て議論するのが好きだ。その日は、硝酸鉄の樹枝状結晶を電気回路に応用するため、結晶表面に導電性高分子をコーティングする実験を行っていた学生のことが気になって話していた。すると、彼は実験に失敗したからといって、真っ黒なサンプル瓶を実験廃棄物用のゴミ箱に捨てた。
「ガラス瓶は、普通の汚れであれば洗えば落ちるので再利用するように注意しました。ところが逆に、『落ちないのです』と言われたのです。ガラス瓶にこれほど黒く均一に強く付着する物質が生成するはずがない実験だったので、何か面白いことかもしれないと直感的に思いました」と緒明さん。
直感に従って黒い物質を調べてみると、硝酸鉄の結晶表面にできるはずのポリピロールの膜が、瓶の内壁全面にも付着していた。「ピロール(図参照)が連なったポリピロールは、共役高分子といわれる二重結合と単結合とが交互に連なった高分子です。化学構造が剛直なため溶媒に溶けません。つまり塗ってコーティングすることができないのです。そのため、共役高分子は導電性や耐熱性、酸化還元活性などの機能をもつものが多いのに、応用しにくくなっています。ところがこの失敗実験は、簡便に様々な基板や基材表面に共役高分子をコーティングできることを示していたのです」と、黒いサンプル瓶が失敗ではなく発見であることを説明された。

図1 2 度のセレンディピティ
左・中:最初の「思わぬ発見」を講演で紹介する際に使う、当時の学生とのやり取りの再現。サンプル瓶のふたの部分に硝酸鉄結晶を貼り付け、コーティングの元となるモノマー液体を入れ、蓋を閉じる。これを60℃で静置するとモノマー液が蒸発し、硝酸鉄結晶の表面のみにポリピロールのコーティングを形成すると考えられた。実際には、硝酸鉄と反応して活性化したモノマー蒸気が瓶を充満し、瓶内部全面をコーティングした。
右:2 回目の「思わぬ発見」。ピロールとベンゾキノンを反応させるとネットワーク構造ができる(中)。これは簡単にはく離させることができ(写真)、そうして得られるナノシートには水素発生電極触媒になる性質があった。

水素製造の触媒開発に大きな一歩

応用するには、ポリピロール膜を簡単にコーティングできればいいというものではない。その性質が問われる。最初にできた膜は導電性が十分ではなかったが、この問題は、膜形成の際にピロールと組み合わせる酸化剤(ベンゾキノン誘導体)の強さを変えることで解決した。「これで研究は一段落と思ったら、今度は逆に学生から『ピロールと置換基なしのベンゾキノンの組み合わせでも重合して膜をつくってみます』と言われました。私の化学的知見では『酸化力が足りず反応は進まないよ』と話したのですが、学生が知らないうちに実験をしていました」。
その結果、ピロールとベンゾキノンがランダムなネットワークを形成し、それがゆるく積層した新しい高分子材料をつくることに成功した(図1右)。この物質は簡単に剥離して薄いナノシートが得られるだけでなく、ナノシートには電気化学的にプロトン(H+)を水素(H2)にする触媒作用があることがわかった。現在、水素は二酸化炭素を発生しないエネルギー源として注目されているが、現状では、その製造に白金触媒が必要なため、どうしてもコストや資源の問題が伴う。しかし、このナノシートはメタルフリー(金属資源を含まない)な有機化合物であり、こうした問題を解決できるだろうと注目されている。
2つの出来事について緒明さんはセレンディピティだったというが、幸運を生かすことができたのは、深い洞察力と化学の知識、そして学生の意見にも耳を傾け、常識にとらわれずに挑戦し続ける姿勢があったからだと話から伺える。

柔軟な二次元材料が面白い!

こうして、共役高分子を中心とした研究が始まった。その方針は、一般に剛直とされる共役高分子に何らかの化学的な方法で柔軟性(分子の動きやすさ)を与え、層状構造やナノシートといった二次元材料になるようにして、それに機能をもたせようというものだ。だから緒明さんは、「まずは物質づくりを楽しむことが重要で、どんな機能が発揮されるかは後からついてくる」と考えている。前出のポリピロールとベンゾキノンからできた二次元材料も、それをつくったことが重要で、たまたま水素を発生させる触媒作用をもっていたともいえる。
同様の研究方針に沿って、熱や光、力を定量的に検出するセンサー材料の開発も進めている(図2上)。層状に並んだジアセチレン分子に紫外線を照射すると、三重結合の部分が互いに重合して青色になる。このポリジアセチレンに熱や力、光などの刺激を与えると、分子鎖がねじれるなど、構造に微妙な変化が起こって色が変わる。層の間に入れる物質を工夫することで、刺激への応答性を調節できる点に特徴がある。これを応用して開発した材料の中には、ブラッシング程度の摩擦力によって色が変わるものがあり、適切な歯ブラシのブラッシング力が色でわかるようなセンサーをつくることができる。

図2 研究開発が進む柔軟な二次元材料の例
上:ブラッシング力を可視化する層状ポリジアセチレンを使ったセンサー材料。
下:マテリアルズインフォマティクスを用いた材料開発。人工知能を用いて、目的達成(この場合は、はく離のプロセスを制御したい)のために重要となる因子(例えば、分散に使う溶剤に求められる性質など)を導き出す。

人工知能で材料開発に新しい視点を

材料づくりを大切に考える緒明さんは、2016年から「マテリアルズインフォマティクス(MI)」を導入している(図2下)。材料(マテリアル)の研究に情報学(インフォマティクス)を活用しようというもので、研究開発を加速させるといわれている。具体的には人工知能に材料に関するデータをたくさん学ばせ、新物質の発見や性能の向上に必要な因子を見つけさせるのだ。ただ、多くの場合、人工知能が何を行ったのかわからなくなってしまう点が問題視されている。
緒明さんは、人工知能が重要だと提示した因子を、自らの化学的知見に基づいて正しいかどうかを判断することでこのブラックボックス化が起こらないように努めている。「やはり要所では研究者が主導することが重要です。人工知能でできることは意外に多いので、上手に活用することです」。
緒明さんの洞察力が人工知能の助けを得てどこまで研ぎ澄まされるか、次の「思わぬ発見」が楽しみだ。

(取材・構成 池田亜希子)

インタビュー

緒明佑哉准教授に聞く

一生懸命やることを教えてもらった中学・高校の吹奏楽部時代

どのような子供時代を過ごされたのでしょうか。

小さい頃どんなふうに過ごしていたのか、あまりよく覚えていないのです。最近、実家の片付けをした際に小学校の頃の成績表を見つけて、そこに「落ち着きがない」と書かれていたので「そうだったんだぁ」と気付かされたほどです。
中学・高校では、吹奏楽部でフルートをやっていたのはよく覚えています。母が音楽関係だったことの影響もあったと思いますが、部活動には夢中になりました。小さい頃にピアノをやらされたことが嫌だったのを考えると、フルートは自分で選んだものだったから頑張れたのだと思います。
関東大会を目指して仲間と頑張ったことは非常に良い思い出になっています。今から考えれば昭和の根性論だったようにも思いますが、めげない精神が身に付きましたし、顧問の先生はたいへん厳しい方で、礼儀や人間関係、チームワークなどについても教えてもらいました。卒業してから先生のところに挨拶に行かなくてはとずっと思っているのですが…。いま行ったら、「遅い!」と怒られそうです(笑)。

学問の面白さを教えてもらった高校・大学時代

化学には、いつ頃興味をもつようになったのでしょうか。

中学ぐらいまでの勉強は、何故やらなければならないのかわからなくて、ずっと嫌いでした。最初に好きになったのは物理です。きっかけは高校の物理の先生が用意してくださった、たった1枚のプリントでした。物理の教科書に出てくる公式が単元ごとにまとめられていて、それらの意味や関係性がとてもわかりやすく解説されていました。これが理解できたら暗記をせずにすみ、物理に関係する現象がわかると思ったら、面白くて何度も見直して自分で勉強していました。
一方、化学は父が専門にしているというのに、あまり興味がありませんでした。ところが受験のために通った予備校の先生の教え方で「化学も暗記するものではないんだ」とわかって、面白いと思うようになりました。やはりどうしてそうなるかを理解しないと好きになれないのです。

慶應義塾大学では応用化学を専攻して研究者の道を選ばれたのですね。

いろいろ迷った時期もありました。実は、大学受験の頃は、物理、化学、機械などのどの分野に進むか決められませんでした。慶應義塾にしたのは、2年生への進級時までに専門を決めればよかったからです。途中、医学部に行きたいと思ったこともありましたし、修士2年生の時には就職を考えました。ただ、いざ就職ということになったら、「まだ研究をやり切っていない」という気持ちが芽生えてきて博士課程に進むことにしました。中高の吹奏楽部の顧問の先生に「上を目指す」ように言われ続けてきたので、やれることを残したまま大学を卒業することがどうしてもできませんでした。

仕事仲間の学生と研究をいかに楽しむか

先生の研究室はどのようなところでしょうか。

私は部屋に戻るときにフラッと学生のところに寄ったりします。“うるさいな” と思われているかもしれませんが、私は学生が実験する様子やその試料を見るのが、あたかも自分が実験しているみたいで楽しいのです。しかも教員は、実験データが正しく取れているか、何か困っていることがないか、安全に実験できているかといったことに注意を払う必要があって、そのためには現場の実験をなるべく見ていなければならないと思っています。
学生のことは「国内外で一流の研究を楽しくしよう」という同じ目標をもつ“仕事仲間”だと思っています。ですから私もわからないことはわからないと正直に伝えますし、良くないことをすれば良くないと言いますし、良い取り組みは褒めます。研究とは関係ない話もし、あまり上下の関係をつくらないように、普通に接しています。
そして何よりも、自主的に興味を持って楽しんで研究に取り組んでほしい。そのために“その気” にさせるのが教員の役割だとも思っています。その気になる時期やきっかけは個々の学生によってまちまちですが、その気になると私の想像以上の進展があります。

10年ほど前に大きく研究内容を変えましたね。

研究紹介で話したように、学生が捨てた真っ黒なサンプル瓶から現在の共役高分子の研究が生まれましたし、やる必要はないのでは?といった実験を学生が行ったことで新しい材料を発見しました。私も学生から刺激を受けており、「思わぬ発見」を一緒に経験してきました。その結果として、10年ほど前に自分の発見をもとにした研究内容に大きく変えようと思ったのです。
こういう過去の出来事を今の学生に話しているので、実験中に変わったことが起きると学生の方からサンプルを見せにきたりします。「思わぬ発見」はそうそうありませんが、20個ほどの報告があれば1つくらいは面白いものがあります。思ったような結果にならないと失敗扱いになりがちですが、そういうときこそ、どうしたらうまくいくのかということはもちろん、視点を変えれば新しくないのか、予想外であったことはないのか、を考えてほしいと思います。もし「思わぬ発見」ができたら、「今これを知っているのは世界でも私たちだけかもしれない!」と思ってワクワクしますよね。
研究内容を変えたのには、もう1つ理由がありました。ちょうどその頃、何名かの研究者に「君の最近の研究には花がない」「博士課程のテーマと違うことをやれ」「~だからできることをやるべき」と言われたのです。これをきっかけに、やはり「研究は自分の発見をもとに切り拓いて楽しもう」と思うようになり、この方法だから合成できる材料、この材料だから実現できる機能を目指し、独自性のある研究に転換したいと考えていたのです。

化学や研究の楽しさを波及させたい

研究で忙しいのに、学会活動の企画やアウトリーチなどにも積極的に参加されていますね。

次の世代を育てることや産学官の交流促進も、大事な仕事の1つだと考えています。こうした考えを学生たちにも持ってもらいたくて、「せっかく化学を勉強しているのだから、次の世代を育てる活動や産学官の交流に関係する活動にも協力してください」と話しています。ただ、いろいろと手伝わせているだけかもしれませんが、良い体験になっていると信じています。
すでにお話ししたように、私は大学受験を前に予備校に通うようになるまで化学の面白さを知りませんでした。小学校、中学校の頃には化学の魅力に気付く場にめぐり合わなかったからです。機会さえあれば、化学を好きになる子供は大勢います。その子供たちのために、化学の面白さに触れる機会に協力したいと思っています。また、新しい講演会や学会誌の企画に携わることで、日本の化学が活性化し、もっと国民の注目を集めるようになってほしいと思います。

日本の化学の将来を心配されているということでしょうか。

出版される論文の数や内容からわかることですが、研究の現場にいる者の感覚としては、驚異的なスピードとパワーで中国をはじめとした海外の研究開発力が高まっています。このままでは日本は大きな差をつけられてしまうのではないかと、危機感をもっています。年齢や職種を問わず、より多くの人に化学の楽しさを知ってもらって、この分野が活性化することを願っています。

慶應義塾は学際的な研究ができる場所

慶應義塾は先生にとって、研究と同時に将来を託す後進の育成の場所なのですね。

そうですが、何も特別なことはしていません。よく「研究と教育は同じかそれとも違うのか」という議論が行われますが、私は同じだと考えているからです。学生と一緒に研究をしていれば、それが自然と教育につながっていきます。
最近は、他分野との学際的な共同研究が多いため、自分ひとりで研究できることは少なくて共同研究者がいます。初めは専門用語も全く通じない他分野の研究者とどのように交流するか、どのように共同で楽しく研究して最大限の成果を得るか、研究者としてさらには人としてのコミュニケーションの取り方も学んでほしいと思っています。

研究をする場所として、慶應義塾をどのように感じておいででしょうか。

各学部とも規模が大きいとはいえませんが、最近はそれがちょうどいいと思っています。規模は大きいほど有利だと考えていたこともありましたが、ある時、医学部の先生と話をする機会を得て、こんなに気軽に他分野の先生と話ができるのは慶應義塾が大きすぎないからであることと、一体感があるからだと気付いたのです。
この恵まれた環境を、研究に大いに利用していきたいし、利用してほしいと思っています。

 

どうもありがとうございました。

 

 
◎ちょっと一言◎


学生さんから
●さまざまな分野で、光や熱、力などの刺激の可視定量化が求められており、私は刺激で色が変わる材料の研究を先輩から引き継いでやっています。研究内容の将来性を感じたことが、緒明先生との研究を選んだ一番の理由ですが、研究室の雰囲気が良かったことも研究室を選ぶ決め手になりました。ここでは異なる分野出身の学生たちが、お互いに知識を共有し刺激し合いながら楽しく研究しています。修士課程を終えたら就職しますが、ここで学んだ研究やコミュニケーション能力を大切にして、世界を広げていきたいと思っています(修士1年生)。

(取材・構成 池田亜希子)

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