現場を知ること、現場を見ること

研究のテーマに関わる人間たちのことをいろいろ考える。早く、間違いなく仕事を行えることだけが、生活の本質なのだろうか。パイロットや消防隊員たちは、どんな困難ややりがいを感じて仕事をしているのか。人間たちが抱える具体的な問題に、工学で貢献したいと願う中西さんが最も大事にしているのは、現場の人たちの声に耳を傾けることだ。

Profile

中西 美和 / Miwa Nakanishi

管理工学科

専門はヒューマンファクターズ、人間工学。人間工学の視点から、実場面の問題を解決・緩和したり、新たな付加価値を創出したりする可能性を探究。2000年慶應義塾大学理工学部管理工学科卒業。2004年同大学大学院理工学研究科後期博士課程修了。博士(工学)。2005年より東京理科大学第一部工学部経営工学科助手。2008年より千葉大学大学院工学研究科デザイン科学専攻講師。2010年より慶應義塾大学理工学部管理工学科専任講師。2014年より現職。

研究紹介

「新版 窮理図解」では、毎回ひとりの研究者を取り上げて紹介します。

今回登場するのは、ヒューマンファクターズ(人間工学)の観点から、
モノやコトのデザインを提案する中西美和准教授です。

人間特性の知見に基づき製品や安全をデザインする

人間にとって理想的な状態を工学的に追究

ヒトの手のひらの大きさは概ね17~ 19センチ程度で、スマートフォンのサイズの基準になっている。身体的なサイズだけでなく、生理的、認知的、心理的な側面にも、ヒトに共通する特徴はたくさんある。中西さんは、このような人間特性を製品づくりやサービス、安全管理などに活かす方法を工学的に研究し、実社会に向けて優れた提案をしている。

製品やサービスに求められるUX(体験価値)

図1 24のUX(体験価値)
家電製品と共にある生活の中で得た価値ある体験を、一般ユーザ2,556 人に対して調査したところ、24種類のUX に分類された。同様に、自動車と共にある生活の中で得た価値ある体験を、一般ユーザ616人に対して調査したところ、ほぼ同様の種類のUXが見いだされた。従って、人が生活する場面でのUX は概ね普図1 24 遍的にこれらのUX カテゴリーで説明できるのではないかと考えている。研究では、家電製品や自動車のデザイン要素に基づいて、各UX が創出される確率を算出する評価手法を確立し、家電メーカーや自動車関連メーカーに提供している。

ヒューマンファクターズ(人間工学)は、生理的、認知的、心理的な側面においてヒトが共通してもっている「人間特性」を深く理解することにより、モノやコトに対して、より良い提案を行う学問領域だ。中西さんの研究室では、暮らしを支える「UX」と「安全管理」の2つを主なテーマとして取り組んでいる。
製品づくりやサービスに求められる重要なキーワードの1つがUX(User Experience:体験価値)だ。「これまでは、エラーなしに正しく使える、より速く目的が達成できる、など機能面が主な価値として求められてきましたが、各メーカーがそれを追求した結果、この観点で差別化することが難しくなっています。今は、達成感や心理的適応など、ユーザにとって、多様な体験価値(UX)の実現が求められているといえます」と中西さんは話す(図1)。
UX の要素の1つに「愛着」がある。「愛着のある製品は、私たちの暮らしに楽しさと豊かさをもたらす」と中西さん。事実、自動車や家電のメーカーは、愛されるブランドづくりを目指しているが、では、どうすれば愛着がもてる製品を作ることができるのだろうか。

“愛着” を科学する

中西さんは「モノに対する愛着」を心理学的に把握して、それをモノに植え付けることを試みた。まず初めに行ったのが「愛着」を測るためのものさしを作ること。生理的な反応に目をつけて、愛着が強いモノを見ると、特定の脳領域の酸素化ヘモグロビン濃度は増大し、指尖容積脈波(指先の血管の容積変動)の振幅は穏やかになることを統計的に確かめた。
心理学的な理解の指針として取り上げたのは、イギリスの心理学者、ボウルビィ(Bowlby)の「愛着理論」だ。これによると、愛着には「近接性の維持」、「安全な避難場所」、「分離苦悩」、「安全基地」に象徴される4つの機能があり、この4機能をバランスよく備えることで、愛着形成が促される(図2)。
中西さんは、なんの変哲もない「消しゴム」を対象に、この4つの機能を促すためのユーザとのインタラクションを考えて実験した。具体的には、スマホアプリを使って「はじめまして」や「名前を書いてね」などのメッセージを消しゴムからユーザに届ける仕掛けをする。
実験開始から30日後、60日後、90日後に、アプリを使ったグループと使わなかったグループの脳血液量変化と指尖容積脈波を測定したところ、使ったグループのほうが消しゴムに愛着をもったことが確かめられた。この研究成果は、企業との共同研究を経て、「しゃべる家電」として実用化されている。

図2 愛着理論の実際
“愛着の4機能” を軸とした愛着形成戦略により、ユーザに長きにわたって心理的な価値を与えうる製品を提案。例:三菱電機㈱製レンジグリル(RG-HS1) に搭載する音声ガイドに採用されている。

安全管理では“うまくいく”方法を考える

このように人間特性を利用することは、安全管理でも役に立つ。例えば航空の安全性は、機体性能もさることながら、機上、地上のクルーの対応にも大きく依存する。「人間がどう振る舞うとシステム全体がうまく働くか、そのための条件は何か、それを明らかにすることが今の安全管理の研究です」と中西さん。
危険な現場に臨むとき、現場での判断は難しい。マニュアルでは「安全第一」が掲げられているものの、例えば火災の現場にいる救助隊は、今そこにある命を助けに飛び込むべきか、そうすると自分の命が危ないのか、何を基準にその判断をするのだろうか。
「人命にかかわる仕事をする人たちは、安全のためだけに仕事をしているわけではない。業務や任務の遂行とのトレードオフ(バランス)のなかで仕事をしています。そういったギリギリの状況の中で、最後は迷わず安全を選択できることが『安全第一』だと私は考えます」。
そのためには、失敗を排除する「事故防止」を考えるだけではなく、どうやったらうまく(安全に)いくのかを追究し、そのケースを増やす方法で検討することが必要だという。「行動を制限することで安全を守ろうとすれば、飛行機にも乗らず、火災では救助もしないことが一番安全になってしまいます。そうならないように、どうやったらうまくいくのかを考えて、現場を支援していきたい」。

“マニュアル通り” を超えるべきタイミングを提示する

仕事の現場では、決められた手順(マニュアル)に従って行動することが大前提だ。しかし、マニュアル通りでは対処できない局面になったとき、柔軟(レジリエント)な判断が求められる。いつ、マニュアル通り(マニュアルモード)から自分の判断(レジリエンスモード)に切り替えれば、成功する確率が高いのか。現場の経験と勘によって培われてきたこの判断に、科学的にアプローチすることはできるのだろうか。
中西さんは、火災の現場を例に、シミュレーション実験を行った。風速、風向、消防リソース(水、消防車、機材、作業員)を様々に変化させ、異なる状況を作り出す。その中で、被験者が、火災の進行に伴い、どのぐらい状況がひどくなった時に、マニュアルモードからレジリエンスモードに切り替えて消火するかを観察し、その場合の成功の可否を見た。
風も穏やかで消防リソースも十分にある状況での30秒間の延焼面積を1として、それらが変化した時、同じ30秒間の延焼面積がその何倍になるかで、状況のひどさ(状況変動指数)を表す。その結果、状況変動指数が6を超えると、レジリエンスモードに切り替えた方が、成功確率が高まることがわかった(図3)。これは、状況が通常より6倍程度ひどくなった時、マニュアル通りに動くよりも、状況に応じてレジリエントに動く方が結果的にうまくいくことを意味している。

図3 火災の現場を模擬して人間の意思決定を観察するシミュレーション実験

人間の特性は普遍的なもの

中西さんがこの研究に取り組んだきっかけは、「マニュアルにさえ従えばうまくいくかというとそうではないが、レジリエントな判断もまた難しい」という現場の声だった。失敗が許されない現場にあって、マニュアル通りではない判断をあえて行って成功を狙おうとする行動には、大きなプレッシャーがかかる。「すべて定量的に把握できるとは思いませんが、レジリエンスは人間の特性であり、一定の目安は提案できると考えています。なぜならば、人間の特性はおおよそ普遍的なもののはずです」と中西さん。近く論文として発表されるこの成果は、現場での判断を支援し、さらに組織におけるマネジメントにも寄与することだろう。
身近な暮らしを豊かに楽しむことから、社会システムの支援にいたるまで、ヒューマンファクターズにはさまざまな貢献が期待されている。

(取材・構成 平塚裕子)

インタビュー

中西美和准教授に聞く

「自信を持って自由にやればいい」

幼いときは、どんな子どもでしたか。

今も子どものときから、あまり変わっていません。このままでした。小学校から高校まで、授業中は“いの一番”に手を挙げて、質問をしていました。自由でしたね。両親からも、学校の先生からも「自信をもって自由にやればいい」と言われて育ちましたので、常に自分で考えて面白いと思うことをやってきました。
大学院の博士課程に入るときの面接で、ひとしきりインタビューされた後、最後に「もういいわ、お前さんは自由に好きなことを好きなだけ研究すればいいよ」と励まされて終わった記憶があって……。手に負えないと思われたのかもしれませんけど(笑)。

人間工学に進んだきっかけは?

言葉の響きです。「人間工学」という言葉ですね。科学的にものを作ったり、ものごとを解決したりする工学という領域で、人間にかかわることができるのは、非常に面白いなと思いました。
実際に大学で学んだ人間工学は、思っていたものとはいい意味で違っていました。人間は周囲のあらゆる環境から影響を受けて、心理状態が変わり、それによってパフォーマンスが変わります。寝心地がいいベッドとか、書きやすいペンとか、そのような身体的特性だけではなく、心理的な特性や認知の特性が非常に大きく関わっていることを学びました。
大学院の初期の頃は、音声入力やヘッドマウントディスプレイなど、新しいヒューマンインタフェースをさまざまな異なるタスクに適用したときに、どんな効果(メリットやデメリット)があるか、というテーマの研究をしていました。

社会のニーズに合わせた解を提案する

その後、千葉大学ではデザイン学科で研究をされたのですね。

千葉大学は、由緒ある工業意匠の歴史がある大学です。デザイナーを志望する学生も多くて、彼らは一生懸命に魅力的なものを作ろうとしていました。作ることに対しては非常にモチベーションが高かったのですが、それがなぜ魅力的なのか、なぜいいのかを説明したり、その意義を明らかにしたりすることには、それほど興味はなさそうでした。そんな彼らと接しながら、この「なぜ」をテーマにしたらビジネスチャンスにもなるだろうし(笑)、研究のよいシーズになるのではないかと、密かに思っていました。

それが現在の研究につながったのですね。

家電メーカーが新製品を作るとき、デザイナーが斬新なアイデアを出して、みんながいいと思っても、いろいろなテストを経た結果の最終形は、結局ほとんど前と変わらないモデルに収束してしまうことが多いのです。それは評価の過程で、「間違いなく使えるか」を測るものさしはあっても、「魅力」や「感動」を測るものさしがないからです。けれどもこれは、今、現実にユーザが求めているものであり、研究紹介(2ページ)でも「愛着」をデザインしたモノの例を紹介しました。

現場でないとわからないことがある

ユーザの視点に立った研究といえるでしょうか

そうですね。そこが理学と工学の違いかもしれません。普遍的な真理を求めるという点では同じですが、ヒューマンファクターズや人間工学の領域では、時代が変われば社会的なニーズも変わるので、それに沿った解を提案することが求められます。人間の特性は普遍的でも、それを応用する先はどんどん変わるのです。
応用先が変わるという点は、時代に限りません。同じ時代の同じ職種であっても、それぞれの状況は全然違います。そういう意味で私が研究で最も大事にしているのは、「現場を知ること、現場を見ることです」。
先日は消防の救助に使われるホイストに吊られてきましたし、あちこちの空港の管制塔にも行きました。現場の人が、何を大切に思って、どういう目的で仕事をしているのか、そこにはどういう難しさや喜びがあるのか、それを知るのは現場しかないと思います。現場に行くと、初めて直接に話を聞かせていただけるのです。可能な限り現場を見て、現場の人たちの価値観を理解して研究をしたいといつも思っています。

航空事故の現場の御巣鷹山にも行かれたそうですね。

墜落事故があった時と同じ8月に慰霊登山に行きました。沢の流れる山の中でもその時期は非常に暑く、また歩くのも大変な急峻な一帯でした。そこに多くの墓標があって、30年以上経った今でも、言葉にできない深い悲しみがありました。
また、事故当時、救助活動に当たられた消防隊員や自衛隊員、彼らを支えた地元の人たちがどういう環境でどういう思いでおられたのかについても、それまでも様々な資料等で目にはしていましたが、その場に行って初めて感じるものがありました。

自分たちで得意な分野を開拓してほしい

母校でもある慶應義塾大学の良さをお聞かせください。

仲間だと思います。学生のときも、そして教員として仕事をしている今も、お互いが良き先輩、良き後輩であり、一緒に切磋琢磨できる環境です。
また、私が慶應で働くことができて本当に良かったなぁと思う点の一つは、教員だけでなく事務職員や技術職員の方々とも様々な仕事を団結してできるということです。私はこれまで慶應を含めて3つの大学を経験しましたが、このようなチーム力というのは、慶應が次々と新しいことにチャレンジできる大きな強みであると誇らしく思っています。

学生の皆さんにメッセージをお願いします。

私自身が「自信をもって自由に」と言われ続けてきましたから、学生にもいつもそのように言っています。「楽しく仲良く一流の研究を」が私の研究室のモットーです。楽しいということは非常に重要です。互いに得意なことをシェアし合ってワイワイガヤガヤ楽しみながら、その先に良い成果があればいい。
私の研究室では、学生は私のことを「中西さん」と呼びます。私は研究のリーダーではありますが、学生から学ぶことも少なくありません。自分たちでどんどん、得意な分野を開拓していってほしいです。

 

どうもありがとうございました。

 

 
◎ちょっと一言◎


学生さんから
●中西さんはいつも学生と同じ部屋にいて、よく相談に乗ってくれます。プライベートなことも気さくに話をします(修士1年生)。

●研究室の雰囲気は明るくて、よくまとまっていると思います。中西さんがいてもいなくても、毎日、みんなで一緒に昼のご飯を食べに行きます。決して強制ではないのですが、自然にそんな感じになります。中西さんが、意識してよい雰囲気をつくってくださっているのを感じますね。研究室でコミュニケーションができていると、研究もスムーズに進みます(修士2年生)

(取材・構成 平塚裕子)

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