理論物理なら時間も空間も超え、遠いところに行ける

「大学院の時には物理学者になるか、他の道を選ぶか悩んだこともありました」と話す山本さん。物理の道に進むと決めたのも、大学の部活で競技ダンスを選んだのも、海外でポスドクの経験を積んだのも、その時々の“感動”する気持ちに正直に従ってきたからだ。そんな山本さんの鋭い感性が、慶應義塾での教育と研究で発揮されようとしている。

Profile

山本 直希 / Naoki Yamamoto

物理学科

専門は素粒子・原子核理論。2005 年東京大学理学部物理学科卒業。2010 年同大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)。ワシントン大学原子核理論研究所、京都大学基礎物理学研究所、メリーランド大学でのポスドクを経て、2014 年より慶應義塾大学理工学部物理学科専任講師。2017 年より現職。2019 年よりKiPAS 主任研究員を兼任。

研究紹介

「新版 窮理図解」では、毎回ひとりの研究者を取り上げて紹介します。

今回登場するのは、理論物理学によって
「物質とは何か」という根源的な問題に挑む、山本直希准教授です。

理論物理学でどこまで究明できるか

原子内部の素粒子から超新星爆発まで

原子内部の素粒子から超新星爆発まで、この世界に存在するすべてのモノが何らかの“物理法則”に従って運動しており、これらすべてが「理論物理学」の研究対象になる。物理学科の山本さんは、「理論物理学」という壮大な研究分野において、自身の好奇心とセンスによって研究対象をどんどん広げている。若き理論物理学者の研究の一端を紹介する。

シンプルな理論から非自明な現象を導き出す

慶應義塾大学理工学部 物理学科の山本さんは、ミクロなクォークやニュートリノに関する「原子核・素粒子物理学」から、マクロな「宇宙物理学」まで幅広く論理的な研究を行う理論物理学者だ。
これほどダイナミックな研究をするのに基本的に必要な道具は「紙とペン」。「最近は、iPadとApple Pencilに代わったかな。研究中は、ボーッとしているように見えるかもしれません」と自分の研究中の様子について話す。しかし、その頭の中では、シンプルな理論を前提に、非自明な現象を解明するための膨大な思考が繰り返されている。そして、その結果、「そもそも誰も気づいていないような物理現象を理論的に予言」したり、「根本的な欠陥のあった従来の理論に代わる新しい理論」をつくったりする。

ライフワークの「クォークの閉じ込め」

「クォークの閉じ込め」――山本さんが理論物理学に進むきっかけとなった問題だ(図1)。2000年に100万ドルの賞金が懸けられた、数学のミレニアム問題7問のうちの1問とも関係している。しかし今も未解決で、山本さんのライフワークの1つになっている。この問題がどうしてそれほど難しいのか。それを知るには、まず、物質が何からできているかを知らなくてはならない。
「物質はすべて原子からできている」――中学校で習って誰もが知っていることだ。もともとこの原子が物質の最小の構成要素だと考えられていたが、今では“原子核” とその周りの“電子” からできていることがわかっている。さらに原子核は“陽子” や“中性子” といった核子からできていて、核子は“クォーク” というもっと小さな粒子からできている。将来これ以上小さな構成要素が発見される可能性はあるが、現時点ではクォークとニュートリノ、電子やその仲間が物質の最小の単位だとされ、「素粒子」と呼ばれている。核子の内部にクォークが存在することは、大型加速器などを使って行われる実験で確かめられている。
日常生活では物体が「ニュートン力学」の法則に従って運動するように、極小世界のクォークは「量子色力学」という法則に従って運動する。“色” といっても実際に色が付いているわけではなく、クォークが3種類の自由度をもつことを光の3 原色になぞらえている。
「量子色力学では、核子からクォークを1つだけ取り出すことはできません。不思議ですよね」と山本さん。これが「クォークの閉じ込め」の問題である。「クォーク同士が“強い力” によって結び付けられているから」と説明されているが、誰も量子色力学に基づいて解析的に証明はできていない。

「物質とは何か」を知りたい

「『クォークの閉じ込め』の問題が解決できなければ、クォークが集まってできている物質を本当に理解していることにはなりません。この問題に限らず、そもそも“物質” についてはわからないことだらけなのです」。山本さんの理論研究は「クォークの閉じ込め」のテーマを追いながら、同時に「物質とは何か」を明らかにすることに向かっている。
では、どうやってこの目標に迫っていくのか。「理論物理学では、よく極限状態を想定します。例えば、今では核子から取り出せないクォークも、ビッグバン直後の超高温の初期宇宙ではバラバラのプラズマ状態「クォーク・グルーオン・プラズマ」として存在していました。逆に、物質を圧縮して超高密度状態にするとどうか。最終的には、クォークの超伝導や超流動の状態になると考えられていますが、そこに至るまでにどのような状態をたどるかを考えます」。こうして『物質とは何か』を明らかにしていく。

「カイラル輸送理論」が超新星爆発の謎を解明か?

最近、山本さんは「超新星爆発」の研究に力を入れている。重い星が最期に起こす大爆発で、星の中でつくられた元素は宇宙空間へばらまかれる。この元素が身のまわりの物質や生命を構成しているのだから、超新星爆発はすべての源である。ところが、従来の理論では爆発が起こりにくい。この問題を「カイラル輸送理論」を応用すると解決できるかもしれない。
「カイラル輸送理論」とは、山本さんが2012年に論文発表した理論で、素粒子のもつ“カイラリティ” という性質によって生じる輸送現象を理論的に記述したものだ。
身近な輸送現象として、電場をかけると電流が流れるというオームの法則があるが、この場合は電流に伴って熱が発生し、エネルギーを損失する。しかし、素粒子のカイラリティの性質を使うと、通常の物質では起きないようなエネルギー損失のない輸送が可能になる。
従来の超新星の理論では、ニュートリノという素粒子が、まわりの物質に十分なエネルギーを与えることなく外に逃げてしまい、爆発に至らないという問題があった。しかしそこでは、「ニュートリノには左巻きのカイラリティしか存在せず、それによって左右の対称性が破れている」という性質(図2)が見落とされていた。「カイラル輸送理論」が、このニュートリノの性質によって生じるエネルギー損失のない輸送現象をも記述することから、超新星爆発の謎に迫る新たな方向性の研究に発展しつつある。

わからないことだらけの「この世界」

精力的に研究を進める山本さんだが、「解きたいことはたくさんあって、“ネタ帳” にはまだ手付かずの問題が50以上あります」と話す。その中には、超新星爆発の研究のように、全貌の解明には膨大な計算が必要で何年もかかるものから、アイデアさえ得られれば1週間程度で論文を書けてしまうものまでさまざまだという。どの問題であっても、解ければ「新しい世界」が見えてくる。山本さんがどんな世界を見せてくれるか、ますます楽しみだ。

(取材・構成 池田亜希子)

インタビュー

山本直希准教授に聞く

数学に明け暮れた中・高時代

どんな子ども時代を過ごされたのですか。

滋賀県で生まれて、名古屋、大阪で育ちました。3人の男兄弟の一番下で、兄たちにだいぶ鍛えられましたね。サッカーの相手をさせられて、一生懸命にボールを追いかけていたのを覚えています。
中学・高校時代は数学にのめり込み、難しい問題に出合いたくて、雑誌の懸賞問題などを解いていました。特に『大学への数学』という雑誌でピーター・フランクルさんが出していた“宿題”は、中高では習わない難しい問題ばかりでした。高校2年生の時には、東京大学の駒場キャンパスで行われたピーターさん主宰の数学の講義(合宿)に参加し、事務所に泊めてもらって、ほかの参加者と一緒に勉強しました。東京に出てきたのは、東京大学で数学を勉強しようと思ったからです。

その合宿には、数学の猛者が集まっていたのですね。

私は大学で物理学に進んでしまったので、その後、合宿の参加者とのつながりはなくなってしまいました。ただ、最近調べてみたら、京都大学数学科の准教授になっている人がいたり、理化学研究所(理研)で診断や治療のための人工知能の研究をしている人がいたりと、皆さんそれぞれの世界で活躍しているようです。
2012年から約1年半の間ポスドクとして在籍したメリーランド大学では、合宿に参加した人に偶然に会いました。その方は博士号を取りに来ていたのですが、大学では流体力学に興味をもったことをきっかけに、地球惑星物理学科に進んだと話していました。その後、気象庁に就職され、流体力学の数値シミュレーションに基づく天気予報の精度を上げるべく研究されています。「世の中は狭いなと」思いましたね。

宇宙を知るために物理を選択

そんなに好きだった数学ではなく物理に進んだのはどうしてでしょうか。

高校までの物理は公式を使って計算するイメージでしたが、大学で改めて「量子力学」や「相対性理論」を学ぶと、宇宙や素粒子のことなど自然界の成り立ちがわかるのだと知りました。これが数学から物理へと進路を変更したきっかけです。実は、高校生の頃に量子力学を独学で勉強したことがありました。しかし、シュレーディンガー方程式で複素数の波動関数が出てきて……。波動関数そのものは観測できないのに、それがどうして現実の物理量と関係するのかがわからなくて、チンプンカンプンでした。大学の授業で、量子力学が構築されていく歴史的な経緯などを学び、高校時代にはわからなかった、その意味するところが理解できたのです。

宇宙や素粒子を知りたくて、物理を選んだのですね。

私は数学のほかに宇宙にも興味がありました。ただ子供の頃は、宇宙に対してどのようなアクセス方法があるかあまり知らなかったので、漠然と宇宙飛行士になりたいと思っていました。ところが大学で、物理は論理的な思考によって、“宇宙で何が起きているか”を、ある意味で“見ることができる”ということを知りました。それは現在の宇宙に限りませんし、地球からの距離の制限もありません。だから、初期宇宙がどういう状態だったかや、ずっと遠くのブラックホールや超新星で何が起こっているのかも想像できます。宇宙に行くよりも、もっと広い意味で宇宙にアクセスできるのです。大学1年生の春学期に相対性理論や量子力学の授業を受け、徐々に物理が面白いなと思い始めて、大学2年生の時には物理に進もうと決めていました。
物理で、壮大な宇宙や、逆にミクロの素粒子の世界を理解するには、数学的手法を使うので数学も大いに役立っています。

大学で始めたダンスもかなりの腕前だったようですが。

大学では今までやったことのないことをやろうと思って、東京大学の運動会の競技ダンス部に入りました。新人歓迎でいろいろな格闘技やダンスを見学しましたが、先輩たちのデモンストレーションで競技ダンスに一番感動したからです。全国大会でも優勝することがある強い部で、私もだいぶのめり込みました。大学院の時に、ダンススタジオの先生に「プロにならないか」と誘われ、一時はダンサーになるか少し迷いましたが、やはり世界で勝負するなら物理だなと思い、理論物理学の道に進みました。

会いたい人には会いに行く

東京大学で初めて所属した研究室はどのようなところでしたか。

東京大学大学院時代の指導教員は初田哲男さんでした。2012年に理研に移られ、iTHEMS(数理創造プログラム)という新しいプロジェクトを立ち上げて研究されています。数学を使って、物理や生物などいろいろな現象を明らかにしようと、幅広く人材を募って、学際的に何かできないかと探っているようです。もともと初田さんの興味の幅は広くて、すごく柔軟に別の分野のアイデアを取り込んで自分の分野の問題に応用したり、逆にアイデアを提供して別の分野の問題を解いたりしていました。私が、ある物理の考え方をほかの分野で応用しようと考えるところなどは、まさに初田さんの影響を受けていると思います。

海外経験もされていますね。

2010年3月に博士号を取った後、「海外学振(日本学術振興会の海外特別研究員制度)」という制度を使って、当時、一番尊敬していたダム・ソン先生のいたワシントン大学に行きました。ベトナム人のソンさんは、実に美しい論文を書く研究者です。物質をどんどん圧縮していくと、最終的にはクォークの超伝導状態になると考えられているのですが、私は修士の時に「そこに至るまでの間にはいったいどのような状態をたどるのか」という問題を考えていました。その頃に、ソンさんが書いた「クォークの超伝導状態を記述する理論」についての論文を読んだのです。論文を読んで、芸術作品を見た時のように感動したのは初めてでした。目から鱗が落ちるというか……。そして、どうしてこんな論文を書けるのかを知りたい、直接議論や共同研究をしたいと思うようになったのです。

論文が美しいとはどういうことでしょうか。

まず結果だけ見ると、自明でなく驚くような結論なんです。ところが、その結論に至るステップの一つひとつは、修士の学生でもわかるような、非常にシンプルな論理で構成されている。そして、気付いたらすごく遠くまできているといった感じなのです。ソンさんはいろいろな研究をしていて、物理の様々な分野で重要な理論をいくつも書いています。
問題を設定してそれにアプローチしていく理論物理学では、特に、問題をどう設定するかが重要です。その点をソンさんから多く学びました。そして、ニュートリノの輸送理論につながる「カイラル輸送理論」は、ソンさんと一緒に考えて2012年に論文にまとめたものです。
 結果的にワシントン大学には2年5カ月いましたが、ソンさんがシカゴ大学に移るタイミングで、私はメリーランド大学のトーマス・コーエンさんのところに行きました。普段は冗談ばかり言っている人でしたが、誰かが面白い物理現象を提案して世界中の研究者がそれに同調しても、自分だけは反例をつくって発表するような人でした。皆とは逆方向から攻めるのですが、それは単に違うことを言っているのではなく、ちゃんと問題を深く理解した上で論理的に問題点を明らかにしているところがすごいと思いました。いろいろな物理学者と接して、それぞれの考え方が違っており面白かったですね。

教員・研究者としての慶應義塾大学での生活

慶應義塾は先生にとってどのような場所でしょうか。

2014年に、初めて教員として着任しました。驚いたのは、学生たちがとてもフレンドリーで、授業が終わるとよく質問をしに来てくれることです。「最近読んだ本のここがわからないのですが……」といって授業とまったく関係のないことも聞きにきます。そんな風に接してくれるのを、とても嬉しく思っています。
 教員同士の関係や研究環境も良く、2015年には「トポロジカル・サイエンス」プロジェクト(私立大学戦略的研究基盤形成支援事業)を立ち上げました。これは、矢上キャンパスの物理学科の教員と日吉キャンパスで物理を教えている教員とで一緒に何かやろうと始めたもので、面白そうな研究をしている国内外の研究者を呼んで話をしてもらったり、国際シンポジウムを開いたりしています。
 2019年度からは、慶應義塾大学理工学部のKiPAS(慶應義塾基礎科学・基盤工学インスティテュート)の一員に選ばれ、5年間研究に専念できる環境をいただきました。これまで以上に超新星爆発の問題に力を入れています。教員としても研究者としても充実した日々を送っています。

 

どうもありがとうございました。

 

 
◎ちょっと一言◎


学生さんから
普段は優しい山本先生ですが、物理の議論になるととても鋭い人です。学部生の頃に授業を受けて、ある特定の問題を解くのではなく、物理の普遍的な側面に重きを置いていることに共感し、先生と議論をしたくてここに来ました。2人で黒板に計算式や物理法則を書きながら議論している時には、先生の直観力に圧倒されます。物理をよく知っているから、問題を解くために必要な直感を得られるのだと思います。先生が2012年に発表した「カイラル輸送理論」は、超新星爆発のほか多くの分野に広がりそうで、今、世界中から注目されています(博士3年生)。

(取材・構成 池田亜希子)

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