誰も答えを知らないから、研究では自分に向き合い、自分を見つけることができる
「『北風と太陽』だったら、私は学生に対して北風ですね」と話す野崎さん。研究を基本的に学生の自主性に任せるのは、研究を、これまで“本当にモノを考えること”が必要のなかった学生たちが、自分に向き合い、自分を見つける大事な経験の場だと考えているから。その考えの根底には、のびのびと育ててくれた両親と、個性を尊重する恩師から受け継いだ思いがある。
慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科専任講師。博士(工学)。専門は電気電子工学、制御工学、ロボット工学。2014 年に慶應義塾大学大学院理工学研究科総合デザイン工学専攻後期博士課程を修了後、横浜国立大学大学院工学研究院の研究教員を経て、2015 年より慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科助教(有期)、2018 年より現職。
「新版 窮理図解」では、毎回ひとりの若手研究者を取り上げて紹介します。
今回登場するのは、システムデザイン工学科で人間とロボットが共存する社会をめざす、野崎貴裕専任講師です。
少子高齢化による人手不足を解消してくれると期待が集まる“ロボット開発“。しかし、ロボットと人間が共存するためには技術的に解決しなければならない課題が多い。野崎さんは、恩師である大西公平先生から受け継いだリアルハプティクス技術と、自ら開拓しているパワーエレクトロニクス分野の技術で問題解決に挑んでいる。
未来の道具をいろいろ出して助けてくれる猫型ロボット“ドラえもん”。子供の頃、アニメを見た人も多いだろう。ドラえもんの誕生日は2112年9月3日だ。今から100年足らずのうちに、こんなロボットが登場するのだろうか。
慶應義塾大学理工学部 システムデザイン工学科の野崎さんのホームページを訪れると、トップページにロボットが登場する(図1)。コックピットに座った人間が操作をすると、ロボットは片方の手でプラスチックコップを一つ取り上げ、もう一方の手でペットボトルを持って水を注ぐ。その様子に「こんなロボット見たことない!」と驚いてしまう。開発者の野崎さんは、私たちがこのロボットに驚かされる理由を「とても器用でしょ。プラスチック製の柔らかいコップを潰さないのに、水が注がれて徐々に重さが変わっても落としたりしない。実は、こういうロボットはこれまでなかったからです」と話す。
今までのロボットは、ブルーベリーを摘もうとすると潰してしまう。これを野崎さんは不器用と呼んでいるが、“触れた” という感覚をもたず、力の加減ができないために起こることだ。ロボットではないが、エスカレーターや電車などと接触したら大怪我をするのも、エスカレーターや電車に“触れた” という感覚がないためである。
図 1 「触れた」感覚を持つロボット
操作システム(マスタ)の動きが作業システム(ス
レーブ)に“伝わって” コップに水を注いでいる。
作業システム側の触覚が操作システムの人間に
“伝わる” のでコップをつかんだりペットボトル
を持ち上げたりする力の加減ができる。
「掃除をしたり受付で案内をしてくれるロボットはあるのに、介護をしてくれるロボットはありません。“触れた” という感覚がないのが危険で、人間に触れるロボットはいまだに生活に入ってこられないのです」と野崎さん。では、どうしたら“触れた” という感覚を獲得できるのだろうか。
まず、“触れる” という感覚の特徴を考えてみよう。触覚は、人間が身の回りの環境を感じ取るのに使っている5つの感覚(五感)の1つである。ほかに視覚・聴覚・嗅覚・味覚の4つがある。これらがいずれも受け身であるのに対して、触覚だけは、ものを動かすなど外の世界を変えることができる能動的な感覚である。だからロボットに、少子高齢化による労働力不足を補うなど、これまで人間がやってきたことを代行してほしいと期待するのであれば、触覚を獲得して力加減ができるようになってもらわなくてはならない。
ところが、「触覚を伴った力加減のできる動き」をつくるのは簡単ではない。というのも動きには硬い側面と、柔らかい側面があるからだ。硬い側面とは、何があっても決められた位置に行こうとする性質で、柔らかい側面とは、何かに触れて力を受けたら加減するという性質のことだ。産業用ロボットなど人間に直接触れることのない従来のロボットは、動きが精確であればいいので、動きの硬い側面が重要とされてきた。ところが、「触覚を伴った力加減のできる動き」をつくり出すには、両方の性質を兼ね備えていなければならない。しかし、この2つの性質はそもそも矛盾するため、両立させることが技術的に難しい。
それを可能にしたのが、野崎さんの恩師である大西公平先生が開発した「リアルハプティクス技術」だ。ロボットを動かすのに使われるモータの動いた量と、何かに接触した時のモータの回りにくさをデータ化し、触れたものの硬さを感じることができる。この画期的な技術によって、冒頭に紹介したホームページのロボットも誕生した。
実は、ロボットを思い通りに動かすことは簡単ではない。単に腕を曲げるだけでも、関節部分のモータは「徐々に加速して一定の速度に達し、その後、速度を落として止まる」という一連の加速・減速をスムーズに行わなくてはならないからだ。こうした1つひとつの動きが協調してはじめて、ロボットは動くことができる。
「結局、ロボットを動かすモータは電気で動いています。よりよいロボットを開発するには、電気をどう使うかが重要なのです」。このように考えるようになった野崎さんは、2014年の1年間、横浜国立大学の河村篤男先生のもとでパワーエレクトロニクスを学んだ。そして慶應義塾に戻ってからも、将来的に役に立ちそうなパワ-エレクトロニクス技術の開発をしている。
「電源をはじめ、電気を変換し、電力を効率よく使用者のもとに届けることが目的のパワーエレクトロニクスの研究は、昔から行われていました」。
そして、「電力が届いたら、それでモータを回してみようということになり、モータドライブが生まれます。次にモータを精確に回転させようとか、いくつかを同時に動かそうということになって、制御工学やロボット工学が生まれました。こうして社会システムの求めに応じて、次々に新しい技術や学問分野が誕生しました。その最先端にあるのが、リアルハプティクス技術なのです」と野崎さん(図2)。
ロボットひとつを動かすだけでもパワーエレクトロニクス、熱工学、モータドライブ、制御工学、モーションコントロールが、さらに、ロボット工学、機械工学、人間工学、信号処理など多様な学問が必要になる。社会の複雑化や非定常化が高度に進行し、従来の学問分野単独では現代の諸問題に対処をすることが難しくなってきた。これを解決するのがシステムデザイン的なアプローチであり、それを学ぶのがシステムデザイン工学科というわけだ。
図 2 パワーエレクトロニクスとロボット
社会システムの求めに応じて次々と誕生した新しい
技術や学問分野。その成果がロボットに集約されている。
師から受け継いだ「リアルハプティクス」と新たな強みとして自ら研究を進める「パワーエレクトロニクス」を2つの軸に、これからも研究者として頑張りたいという野崎さんだが、一方で、リアルハプティクス技術の実用化に向けて、多くの企業と製品開発を進めている。現在、航空会社とは、現地に行かなくても遠く離れた場所で釣りをしている感覚を味わえるシステムを、選果機メーカーとは、傷んだ果物を潰すことなく取り除く青果選別機を開発している。
すでに視覚が捉えるものは映像として、聴覚は音声として保存されたり伝達されたりしてきたように、リアルハプティクス技術の広がりとともに、今後は、さまざまな触覚や動きが保存されたり伝達されたりするだろう。その時にどんな未来が訪れるのか。「例えば『タイタニック』という映画を見るのに船を用意して、監督と役者を連れて来たりはしないですよね。それと同じで、朝起きてオムレツを自分でつくることはなくなります。オムレツをつくる動作データをインターネットからダウンロードし、ロボットにつくってもらえばいいのですから……」と野崎さん。
この技術は、想像を超える未来を私たちにもたらしてくれそうだ。
野崎貴裕専任講師に聞く
こういう研究をしているとよく聞かれますね。ロボットが好きだったとか、秋葉原に出かけていたといった答えを期待されているんだなと感じるのですが、そんなことは全くありませんでした。唯一、ドラえもんは好きで、絵本に囲まれて嬉しそうにしている写真が残っています(写真)。ほとんど記憶がない頃のことなので、写真を残してくれた両親にはとても感謝しています。
今につながりそうなことといえば、小学校の夏休みの自由研究で電子工作をしたことくらいです。面白かったという記憶はないのですが、物理は得意で成績も良かったです。
とにかく、先生という存在が嫌いで、中学・高校の頃には学校をサボったりしていました。両親は放任主義だったので、特に咎められることもありませんでした。逆に、友達の影響で中学受験をしたいと話したら、「やめとけ」と言われてしまったほどです。
現役時代にも大学は受かったのですが、なんとなく受験したせいか「ちょっと待てよ」という気分になりました。「自分が何をやりたいか、これから何が必要か」をちゃんと考える必要があると思って、そのために一浪したのです。そのときロボットをやりたいんだと気づきました。ロボット開発に必要な制御工学が強い大学はどこかと、予備校が出している全国の大学の学部・学科を紹介した本を調べたら、慶應が日本では1位、世界でもトップ5位に入っていました。それで慶應を選びました。
しかし、いざ大学に入るとそんなことはすっかり忘れて、テニスサークルに入って学生生活を楽しみました。仲間たちと飲みましたし、2年生の時にサークルに入ってきた後輩と10年ほど付き合って、結婚しました。ただ、大学3年生の後半になり、研究室の配属を決める頃になると、なんとなくテニスをやることに虚無感を感じるようになりました。これまでも、バスケットやサッカーなどいろいろなスポーツをやってきたのですが、どれも何となく虚無感がありました。
研究室配属を決める段になって、「そうだ、やりたいことがあったんだ」とロボットのことを思い出して、大西先生の研究室を志望しました。A4用紙1枚に志望動機などを書いて面接に臨んだのですが、それを見た大西先生から「お前、中野なのか。中野区立桃園第二小学校って知っているか?」と聞かれ、出身小学校が同じだと分かりました。それからは、母校の話ばかりしてしまいました。面接で研究の話が出なかった上に、私は成績もあまり良くなかったですし、大西研究室は人気があったので絶対に落ちたなと思いましたが、この思いに反して、採用していただきました。
実は、面接が終わって教室を出る時に大西先生から「お前、これ線を引いて書いたのか?」と聞かれました。私は、書類を綺麗に書くために、まずA4用紙に鉛筆で線を引いてから文字を書いて、その後に線を消していました。面接では研究には全く触れなくても、書類にはちゃんと目を通して、そこから私のやる気を感じ取っていただいたのだと気づき、感激しました。
『北風と太陽』の北風のような先生でした。それは、面倒見のいい先生がいるのに対して、大西先生は放任だったということです。“学生の個性を尊重する”という考えから、そうしていたようです。そのため大西先生から研究を教えてもらったという記憶はあまりありません。ただ、たくさんいい言葉を掛けていただきました。
「目の前に種が植わっているとしよう。芽が出た時、どうしたら育つと思うか」と問われたことがありました。「大きくしようと芽を無理に引っ張ってしまえば、芽は抜けて死んでしまう。芽を育てるには日光を当て、十分な水と肥料を与えること。真に成長を願うなら、教員ができる最大のことは環境を整えてあげることだ」とおっしゃっていました。その言葉通りの教育をされていたと思います。
こんなこともありました。遅くまで研究していたら、「おれ、先帰るわ。お前まだいるのか」といって帰られました。数時間が経ち、ひと休みしようとコーヒーを入れに行ったら、カップ麺が置いてあって、「夜食」と書かれたポストイットが貼られていました。何て粋なことをするかっこいい先生だろうと思いましたね。
“青春の悩み”について話されたこともありました。「今お前は、誰が好きだとか、成績が落ちるとか悩んでいるかもしれないけれど、他人から見たらどうでもいいことだ。こういうのを“青春の悩み”という。本当の悩みとは人のために悩むことだ」とおっしゃるのです。「ただ、本当の悩みの時に頑張れるのは“青春の悩み”で悩みぬいた人だけだから、今、大いに悩みなさい」といっていただきました。この言葉で、その後、何回も悩みを乗り越えられました。
こんな先生なので、何か話されると、それが冗談であっても大事なことなのじゃないかと学生は真面目に聞いています。長年のお付き合いで私にはそれが冗談だとわかるのですが、見ていて面白いです。
先生という存在は嫌いだと言っていたにもかかわらず、教員の道を選びました。大西先生がかっこよかったから、私も基本的には放任主義です。ただ、中には面倒を見てあげたほうが伸びる学生もいるので、学生に合わせるように心がけています。
最近の学生に対しては、あまり自分で物事を考えてきていないな、と思います。高校までの試験や入試では覚えた答えを書けばいいわけですから、仕方がないのですが、相変わらず周りの大人の価値観で生きているのです。研究は、それを崩すひとつの方法です。研究という答えのない新しいことに向き合ううちに、学生たちは自分に向き合って、自分を見つけていく。成長していくのが本当にすごいなと思います。
また大西先生の話になってしまいますが、「教員の良さは、定年までに自分の教え子が300人ほどいるとして、その中から教員や部下を持つような立場の人が現れる。そうして繋がっていくと、日々の活動が未来に与える影響はすごく大きい。故に教員はやりがいがある」とおっしゃっていました。自分も教員になった今、本当だなと思います。
パワーエレクトロニクスを学びたくて、横浜国立大学に1年間、ポストを得ました。この時も、大西先生の以前からの教えである「未来は3秒で変わる。チャンスは絶対に逃してはいけない」という言葉が背中を押してくれました。慶應に戻ってきてからは、学生の指導はもちろん、研究成果の実用化や企業との製品開発などで日々忙しくしています。特に、論文を書くことが第一の“大学の研究”と、利益を出さなくてはならない“企業の開発”の間には大きな溝があって、それを埋める大変さを日々実感しています。ただ、論文を書いて成果を出しながら、世の中に意味のあるものを出していくのは、生半可なことではありません。どちらも手を抜かないために、パワフルでなくてはと常々思っています。
一般入試を受けて入ってきた学生のほかに、附属の高校から進学してきた内部生がいたり、海外からの帰国学生がいたりと、学力も個性もバリエーション豊かな大学だと思います。学生たちを見ていると、隣に英語が得意な友達がいたら、自分も英語をやらなくてはと思ったり、おしゃれな学生を見て自分も服装に気を使ったり。お互いに刺激し合いながら成長していると感じます。
今年の2月に、男の子が生まれました。慶應義塾の“義”に私の“裕”で、義裕と名付けました。どれだけ慶應が好きなのかと思われるかもしれませんが、先生を嫌っていた私が、ここで博士号を取り、とうとう予想もしていなかった教員にまでなったのですから、慶應は人生を変えてくれた大切な場所だと思っています。学生よりも早く帰りたくはありませんが、時々子供をお風呂に入れるために早く帰ることはあります。とても可愛いです。初めてプレゼントしたぬいぐるみは、もちろん「ドラえもん」です。でも、私が歩んだ道を進んで欲しいと思っているわけではありません。
あまりの忙しさに、今年は夏休みを取れず、喧嘩をしたわけではありませんが妻が息子を連れて実家に帰ってしまいました。時には、家族サービスも必要だなと感じているところです。
どうもありがとうございました。
◎ちょっと一言◎
学生さんから
●面接で「覚悟はある?」と聞かれ、先生について行きたいと思って「頑張ります」と答えました。ロボットに興味があるのですが、これから発展する分野だと思っています(学部4年生)。
●好きなことをやらせてもらっているので、満足しています。研究の姿勢には厳しいですが、背中を後ろから押してくださる人です。先生がいないなと思ったら、アメリカにいたりします(修士1年生)。
●ロボット技術を広めるために怖いくらい熱心です。ここでは、研究すべき誰もやっていないテーマを自分で探さなくてはいけません。「そのテーマは研究じゃない」と言われたことがあります。不安もありましたが、研究というプロセスをすべて自分でやったことが、大きな自信になりました(修士2年生)。
(取材・構成 池田亜希子)