Profile

システムデザイン工学科(開放環境科学専攻 修士課程2年【※】)

神奈川県・県立希望ケ丘高等学校出身

人に押し付けられるのではなく、自らを律して物事に取り組む環境で育った中学・高校時代。その精神は大学進学後も存分に活かされる一方で、「将来の具体的なビジョンが描けず、ジレンマに陥った」と語ります。それを救ってくれたのは、国際色豊かな大学の環境であり、やりたいこと探しに没頭できる時間を与えてくれた教育システムでした。偶然出会った学問が夢になり、まったく興味がなかった海外が身近になっていったといいます。海外で活躍する建築家の夢、そのきっかけとなった大学生活に感謝、そして恩返しを。

【※】インタビュー時点(2019年6月)の在籍学年です。

何事にも本気で打ち込む校風のもと、
次のステージに向かう
土台を築いた高校時代。

大学入学までの歩みについて教えてください。

中学、高校ともに、勉強だけでなく部活や行事にも本気で打ち込んで、自分自身で好きなことを見つけて次のステージに向かいなさいという特徴的な校風でした。校則もほとんどなく一見自由なのですが、自由というのは実はもっとも制約があり、自分で規律を見つけ、自らを律しながら自己責任で過ごしていかなければいけません。幼少期から現在に至るまで自分の意思で進路を決めさせてもらえたので、僕は両親にとても感謝しています。いずれもその特徴ある校風に惹かれて、一番成長できる進路だと思って進みました。校風の通り、高校生活では小学生から始めて中学・高校と主将を務めた硬式テニスの部活動はもちろん、受験勉強の時期と重なった高校3年の体育祭や学園祭も、全力で取り組むことができました。

受験勉強について、慶應義塾大学を意識したのはいつ頃からですか?

高校時代のほとんどが部活に明け暮れる日々で、正直、大学への進路についてはあまり考えていませんでした。さらにその先の将来のビジョンなんてまったく想像できない状態で・・・。受験勉強は高校3年に上がるぐらいから始めていましたが、最初から慶應を狙っていたわけではなく、意識し始めたのも高校3年の夏あたりだったと思います。志望した理由は、まず、物理が好きだったということで、それが活かせる理工学部がいいと考えていたこと、最後に、具体的な進路に直結する学科選択までに入学から1年間の猶予があることです。将来のビジョンが描けていないことに対して、不安はありました。でも、慶應義塾大学に進学した先輩に相談した際に教えてもらった「実際に1年学んだ興味や関心をふまえて、2年進級時に学科を選べる『学門制【※】』というシステム」がとても魅力的で、一気に入学を目指すようになりました。

【※】学門制…入試の時点で5つの「学門」のいずれかを選択し、入学後に自分の興味や関心に応じて徐々に学びたい分野を絞っていき、2年進級時に所属する学科を決定する慶應義塾大学理工学部独自の制度のこと。

ひとつの授業をきっかけに
進むべき道を見つけ、
建築の世界へ没頭する毎日。

実際に入学後は、将来のビジョンは見つかりましたか?

はい、現在「建築デザイン」という分野に出会い、海外のデザイン事務所で働くことを目指しています。これは、入学時には考えてもいなかった職業です。入学して最初の1年はさまざまな講義で学びながら「やりたいこと探し」をするのですが、ある時、一般教養科目の単位がひとつ足りなくて何気なく取ったのが建築の講義でした。始めは、講義の存在さえ知らなかったほどまったく興味がなかったのですが、いざ受けてみるととてもおもしろくハマってしまって、自分でも驚くぐらいにのめり込んでいきました。さらに興味深いのは、建築系を選んだ学生の中には、僕と同様に最初から建築を志望していたわけではない生徒が多かったことです。これはもともと建築志望の学生が集まる他大学の建築科とは一線を画す特徴で、異なるバックグランドを持った学生がお互いの強みを活かしながら切磋琢磨して学ぶ環境は、慶應義塾大学理工学部ならではのすばらしさだと思います。

本格的に建築を学び始めて、いかがでしたか?

僕自身の経験として、学部1年生の時に分野を絞らず、一般教養も含め基礎をしっかり学べていたのがとても役に立ったと思っています。複合的な観点を持つことで、さまざまな角度から建築という学問と向き合うことが出来、視野も広がり本当に良かったと思っています。一方「専門分野を究める」という意味では、どうしても他大学の建築学科よりも専門的な学びのスタートが1年遅くなるという見方もできます。そこで活かされたのが、中学・高校と培ってきた自律の精神でした。積極的に時間を作って自習をしたり、専門書から知識を積み上げたり、追いつけ追い越せの気持ちがモチベーションとなりました。そういう意味では大学でも、自身の性格と校風や学びのシステムが非常にマッチしていたのではないかと感じています。学部2年生の終わりには建築模型を作り始めるようになり、1週間から2週間に1個のペースで制作しました。最初は時間もかかるので休日を返上したり、徹夜をしたりもありましたが、その分、納得できるものができた時の喜びや達成感は大きく、その一つひとつの経験の積み重ねが今に活きています。

研究室で知った海外の魅力。
英語を話せなかった僕が、
海外就職を目指すまでに成長。

現在の研究の内容を、より具体的に教えてください。

学部4年生を迎えるにあたり、研究室を選ぶ準備が始まります。建築デザインは3名の教授が在籍しており、それぞれ個性があるのですが、僕は都市の観点から建物や敷地全体をデザインしていくアプローチに興味を持っていたので、都市空間や建築デザインを学ぶラドヴィッチ教授の研究室を志望しました。例えば、「次世代の銀座でどういった建築物が求められているか」という課題が与えられます。その課題に向き合うためには、まず、「銀座には住民はほとんどおらず、エリア外からの流入が大半」など、エリアの特徴をリサーチ・分析する必要があります。それらを元に、人々がどういう施設に集まり、人の流れを作るためにどのような建築物が必要か、都市空間全体のデザインから考えてひとつの建築物のデザインに落とし込んでいくのです。多角的な視点から建築を考えられるため、非常に面白いのですが、研究室に入った当初ひとつ心配していたことは、「教授が日本語を一切話さない」ということでした。もちろん、研究室内のコミュニケーションや発表は全て英語。僕は英語がまったくできなかったので、始めは、何を話しているかもぜんぜん分からないところからのスタートでした。

言葉が分からないのはかなり過酷な環境だと思いますが、どう克服していったのですか?

もともと体育会系なこともあってか、「話せないから行かない」「辛いからやらない」という考えはまったくありませんでした。とりあえず入ってみて考えようという勢いもありました。また、外国からの留学生が多いのも現在の研究室の特徴で、彼らはとても優しく、ゆっくり話してくれたり、諦めずにコミュニケーションを取ってくれました。休み時間に勉強したり留学生と会話していく中で、学部4年生の時にはいつの間にか英語が話せるようになっていました。否が応でも話せて当たり前の環境に身をおき、英語の重要性を実感することで、英語は身についていくのだと思います。そういった環境をきっかけに、徐々に海外に興味を持ち始め、修士1年生の夏からは1年半の海外留学を経験しました。

留学ではどんな学びがありましたか。

僕の所属する研究室では海外留学をする人が比較的多いです。僕の場合、初めて訪れたクロアチアで合同研究をした大学のひとつがミラノ工科大学で、そこで学ぶ中で、イタリアで一番権威あるミラノ工科大学に行きたいと思うようになりました。しかし、いざ留学したいと思っても具体的にどう動けばいいのか分かりません。そこで頼ったのが大学の国際センターです。親身に留学の相談に乗ってくれて、慶應義塾大学と海外の協定校の両方で学び2つの学位が取得できる「 ダブルディグリープログラム 【※】」の存在も教えてくれました。そして、晴れてミラノに留学し、在学中はさまざまな国から学生が集まる環境でそれぞれの視点の違いを吸収し、これまでの常識が次々に覆されることで視野が広がりました。建築の学びとしては、日本で学ぶ都市や空間など広い括りとは違い、例えば「この壁を作るときにどのくらいの窓の高さを設定すべきか」、他にも「材料を何にすべきか」など建物単体の設計が強いことです。日本の建築はどうしても、意匠設計と構造設計と設備設計の3つに分断されてしまいがちですが、複合的な視点から建築を改めて見直すことができ、非常に良い経験となりました。

【※】 ダブルディグリープログラム …慶應義塾大学理工学部とその協定校の合意のもとで用意された一連のカリキュラムを修めると、両校から同時に修士相当の学位を取得できる仕組みです。例えば、慶應義塾大学院理工学研究科からミラノ工科大学(Politecnico di Milano)に2名の理工学研究科生を派遣するとともに、慶應義塾大学院理工学研究科でも2名のミラノ工科大学(Politecnicodi Milano)の大学院生を受け入れています。

新たな可能性を与えてくれた
大学を巣立ち世界へ、
そして教授への恩返しに。

留学経験は卒業後の進路や目標にも影響を与えましたか?

はい、大きな影響を受けました。英語にも留学にも無頓着だった僕が、今では逆に「海外にある都市・建築デザインの事務所で働きたい」と考えています。現在は北欧の建築事務所への就職を希望しています。北欧は環境に配慮した都市や建築物の設計をいち早く取り入れており、僕も建築家として作りたいものを作るのではなく、「自然や環境と調和して求められているもの作っていきたい」という考え方なので、とても共感できました。これはラドヴィッチ教授の教えですが、その地域ごとに求められる条件や環境は違うはずで、その街のニーズに合わせて、その街の利益になるような都市や建築物の設計を担っていきたいですね。

海外企業をターゲットにした就職活動はどのように進めているのでしょうか?

まさに現在就職活動中なのですが、海外のデザイン事務所に就職して長く活躍している日本人はまだあまりいないので、そこを目指すこともひとつの挑戦です。実例が多くないので手探りではあるのですが、そこでも頼りになるのはやはりラドヴィッチ教授ですね。前例のない挑戦や夢をすごく評価してくれて、心から応援してくれます。海外への就職活動の流れとしては、行きたい企業の英語サイトからこれまでの作品と志望動機を送って応募しました。後は興味を持ってもらえることを祈って連絡を待つのみです。その中で、ラドヴィッチ教授は豊富な国際経験を活かして的確なアドバイスをしてくれたり、実際に海外企業を紹介してくれるので、本当に信頼して何でも相談しています。将来のビジョンが何もなかった僕に考えてもいなかった夢を与えてくれて、さらに応援までしてもらえる。そんな環境を提供してくれた慶應義塾大学やラドヴィッチ教授には、感謝してもしきれません。今後は、僕自身が新しい道を切り拓いていくことで、その恩返しになればいいなと考えています。

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