この度「塾員来往」という、理工学部の卒業生リレーコラムの一端を担えるということに喜びを感じております。2007年に大学を卒業してから10年が経ちますが、大学での4年間は本当に充実しており、その後過ごしてきた社会人生活10年よりも濃密なものでした。生命情報学科卒業生としては珍しく、商社に勤務しておりますので、‘女性・理系進学・学部で文系就職’という異色な経歴を持っている私より、「慶應理工学部への進学は、色々な可能性を秘めている」ことについてご紹介したいと存じます。

理工学部在籍中

小学生の時から応用力の効く算数・理科が得意で、逆に記憶力が必要な文系科目に苦手意識があり、そのまま高校生まで育ってしまいました。大学受験では理系科目で戦うしかなかったので、理工学部を選ばざるを得ない状況でした。私の父も学科は違えど慶應理工学部出身のため、慶應理工学部という道は、後から振り返るとしっくりきていたように感じます。

大学に入ってから3年間座学の続く時期は、ひたすらテストでAを取ること(笑)と、後述するサークル活動に邁進しておりました。この両立はなかなか難しく、その二つだけで毎日が過ぎていきました。大学での講義がとても楽しく、今までひたすら覚えてきた公式がなぜ導き出されるのかという基礎から教えて下さったので、原理がわかり理解が深まっていきました。文系の友達が授業を意図的に欠席したと聞くと、「なぜ授業が楽しいのに出ないのか」と不思議に思ったくらいでした。

2年生になり生命情報学科を選んだ理由は、関心のあった生物分野に最も近かったからです。同学科で学んだことは幅広く、最先端の知識や技術を偏ることなく学習することができたので、“この分野の研究を深めたい”という関心分野を絞ることができました。

研究室での一コマ(本人 中央)

4年生で太田研究室へ配属となり、某企業との共同研究という重要なテーマを頂きました。研究室で過ごした1年間は大変有意義で、当時の先輩・後輩と和気藹々と過ごした楽しい思い出しか残っておりません。そんな中、「研究とは自分との孤独な戦いなのだ」と気付きました。結果が一つに決まっている実習と異なり、実際の研究は結果を自ら導き出さなければならないため、どう効果的に進めていけば良いかを試行錯誤する毎日でした。

チアダンスサークルでの活動

チアダンスサークルの仲間と(本人 前列左から2人目)

サークルとはいえ体育会並の厳しさを持つチアダンスサークルに所属し、入学から引退時期までずっと続けました。続けてこられたのも、チアダンスという競技がお互いを助け合うという文化があったからでした。勉強との両立は大変でしたが、メンバーに恵まれ、仲間と過ごしてきた日々は楽しかったです。

サークル活動の中で私が一番達成感を得たのは、矢上キャンパスで行われる矢上祭でサークルとして初めてダンスの披露を企画し、実行したことでした。普段三田キャンパスに赴かない理工学部生にもチアダンスを楽しんでもらいたいと思い、矢上祭実行委員と相談して進めたものです。当日は沢山の方にダンスを見て頂き、ステージが大いに盛り上がったことを鮮明に覚えております。この企画が次年度以降も続いたことに、私自身誇りに思います。

就職活動

卒業式後、太田先生と研究室同期と一緒に(本人 前列右から1人目)

研究室に配属となった3年生終わりの3月、初めて真剣に将来について向き合いました。それまでは研究者の道に進むのかなと考えていましたが、個人の戦いである研究を続けるよりも、チームワークの求められる環境で働きたいと思うようになりました。同じ大学・学部出身の父親が学部卒で商社に入社したこともあり、加えて私自身海外好きということもあり「父親のように商社パーソンになろう」と決意し、4月から開始する面接に向けて商社のみを対象として就活しました。

私の研究テーマでは菌を培養していましたが、菌は生き物ですので、日々管理が必要です。私が就職面接などで大学へ向かうことができないときは、宮本先生がフォロー下さいました。本当に宮本先生にはお世話になりました。

会社生活

商社へ入社後は、8年半、化学品の海外営業をしてまいりました。行った国はヨーロッパからアジア・南米まで10か国以上となります。化学品を扱う部署にいるため、大学で学んだ知識を大いに活用することが出来、技術者との面談も抵抗なく進めることができました。また、商社業界は未だに男性営業マンが多いのですが、理系の環境で育った私は難なくその環境に溶け込み、むしろ女性という珍しさで営業面でも得をしながら出張・商談をこなしてきました。今は部署異動し、業績管理を中心とした業務に従事しております。

会社生活の中で慶應の素晴らしさを感じたことが多々あります。まず入社と同時に早速慶應の先輩達との交流会の場が持たれ、年次関係なく‘慶應’という繋がりで沢山の社員と一気に知り合うことができました。このような場は、推測するに私の勤める会社以外でも行われていることだと思います。結束力が強い大学だからこそ、役員レベルの先輩とも気軽に話せるような関係がそれだけで築けてしまいます。取引先でも慶應出身の方とわかると、阻んでいた壁が一瞬で崩れ、商談のペースも面白いほど加速します。

トルコへ商談のため単身海外出張(本人 前列左から2人目)

現在

今でも当時研究室でお世話になった太田先生・宮本先生と親交があり、長崎県立大学の学長になられた太田先生を訪れるために先輩・後輩と長崎旅行をしたり、宮本先生のご自宅にお邪魔したりすることもあります。このように、卒業後も繋がりを持てるのも、慶應の強い魅力だと思います。

慶應理工学部を目指されている受験生の皆様、大いに期待して大丈夫です。皆様のご入学をお待ちしております。

社会人になってから宮本先生、後輩と共に食事会(本人 中央)

太田先生を訪れるため長崎へ、出島にて(本人 右)

プロフィール

青山 麻希(旧姓:中村)(あおやま まき(旧姓:なかむら))
(桜蔭高等学校 出身)

2007年3月
慶應義塾大学理工学部生命情報学科 卒業

2007年4月
豊田通商株式会社 入社

現在に至る

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