この度は、塾員来往への執筆機会を頂き、関係者各位の方々に心より感謝を申し上げます。改めて慶應義塾大学での生活を振り返ると、多くの先生・先輩や後輩・友人にお世話になっていたこと、そして現在でもお世話になり続けていることを感じます。本稿では、学部時代・大学院時代の記憶を辿るとともに、現在についても簡単にご紹介したいと思います。

学部時代(~3年生)

理科の先生に恵まれていたこともあり、小さい頃から理科が好きでした。また、祖父が化学を生業としていたこともあり、漠然とではありますが、将来は企業で研究職に就き、世の中に役立つ製品を出していきたいと考えていました。しかし、大学進学時点で興味を持っていたことは「環境問題」「生命現象を含む生物全般」「医農薬品」…と多岐にわたり、希望する学部学科を1つに絞ることは困難でした。そこで、入学してから幅広く学ぶことができ、その後学科を選択できることを考えて慶應大学のⅢ系へ入学することにしました。その後の学科配属の説明会を経て化学科と応用化学科のいずれかに進むことになりますが、少人数でアットホームな雰囲気に惹かれたこと、研究に対する熱い情熱が迸っていると感じたことから化学科を選択しました。

また、総合大学に入学したので他学部の友達も増やしたいということで「慶球会硬式庭球部」というテニスサークルに所属し、テニスやその他イベントを楽しみました。夏休みや春休みの長期休みを利用してのサークルの合宿も楽しい思い出が残っていますが、運営にも携わることができたのはよい経験です。そして、2年生の夏休みには、ひょんなことからサークルの先輩2人と「自転車で四国一周をしよう!」ということになり、松山〜宇和島〜江川崎〜窪川〜高知〜阿波池田(ここは電車)〜徳島〜鳴門まで旅をしました。旅で出会った人たち、途中でパンクした自転車、海や山の景色など、何もかもがよい思い出です。

夏合宿に参加したときの班練習後の1枚です。2列目中央の黒い帽子をかぶっているのが私です。

自転車で四国を一周している途中に桂浜(高知)に寄りました。左から2人目が私。その両脇が大学の先輩です。

研究室時代(山田研究室)

修士1年生の夏、北海道でおこなわれた学会で発表しました。その時のメンバーの集合写真です。

化学科で学んでいく中で、それ自身は変化しないが化学反応の仲立ちとなって反応速度や反応経路に影響を与えるという「触媒」に興味を持ちました。また、様々な授業を受ける中で、有機合成により化合物を構築していく過程が面白そうという単純な動機もあり、卒業研究からは山田徹先生の研究室にお世話になりました。山田先生は当時企業から大学に移られたばかりで、新しい研究を立ち上げつつある時に学部生として関わることができたことは貴重な経験となりました。また、卒業研究が佳境にさしかかったころ、山田先生が向かいの実験台で実験をすることになり、1ヶ月程ですが研究の進め方を肌で感じることができました。先生の研究に対して一切の妥協を許さない姿勢は、学生としては大変なプレッシャーでした。でも、研究が軌道に乗りうまくいったときには研究室皆で喜び合う雰囲気もあり、恒例のドーナツパーティーに向けて日々研究に勤しむ日々が続きました。また、月に1回程度イベントなど、ON/OFFを切り替えながら楽しく過ごすことができました。

初めて国際学会(OMCOS-11、台湾)で発表した時の一枚です。

研究がある程度まとまると学会に参加することになります。初の国際学会は台湾で、先輩後輩と学生3人だけで参加しました。発表や他の講演の思い出よりも、珍道中の思い出の方が記憶に残っているのは不思議なものです。

現在

博士2年生の冬、就職活動を始めようとしていたときに、青山学院大学に移られることが決まっていた武内亮先生から縁あってお声がけいただき、1年を残して就職することにしました。それまで大学の教員になることを全く考えてこなかったため、人を教えることには大変苦労しましたが、私自身学生達から教えられることもあったり教えることの楽しさを味わうことができたりと、様々な経験を積むことができました。また、その後今の大学に移ることとなり、現在に至るまで新たな環境で新たな研究をすすめています。これまでは、有機化合物を如何に効率的に合成するかといった研究を続けてきたのですが、最近はQOLの改善・向上に必要な物質を見つけ出すような研究もはじめており、たくさんの新しい出会いもありました。慶應に縁のある方との出会いも多く、その広がりには驚くばかりです。

武内研究室(青山学院大学)の1期生と研究室旅行に出かけたときの1枚です。

共同研究者とともに。医学部皮膚科との共同研究の成果を発表しました。

最後に

東海大学工学部応用化学科では、年に1度研究室対抗のソフトボール大会がおこなわれます。ピンクのユニホームを揃えて参加した年の集合写真です。

大学入学後には数多くの分岐点があり、その都度たくさん悩みながら進路を選択してきました。大学入学時点で思い描いていた将来とは少し違う道をすすんでいますが、それぞれの選択に間違いはなかったと感じています。子供がまだ5歳と小さいため時間に追われることが多いですが、周りの助けを借りながら仕事を続けられることに感謝するとともに、家ではなるべく子供との時間を取るように心がけています。

プロフィール

毛塚 智子(けづか さとこ)
(東京学芸大学附属高等学校 出身)

1999年3月
慶應義塾大学理工学部化学科 卒業

2001年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科化学専攻修士課程 修了

2003年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻博士課程 中退

2003年4月
青山学院大学理工学部化学科(現 化学・生命科学科) 助手

2003年10月
慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻 博士(理学)

2006年4月
東海大学工学部応用化学科 助手

2014年4月
東海大学工学部応用化学科 准教授

現在に至る

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