はじめに

私にとっての慶應義塾での9年間は、良き恩師や友人との出会いや、研究の面白さを感じさせて頂いたとても有意義なものでした。つくばの研究機関に就職して15年ほどになりますが、学生時代の教科書を見返すこともたびたびです。

志望動機

小学校5年生頃と思いますが、当時、米国の天文学者カール・セーガン博士の監修による「コスモス(宇宙)」という科学ドキュメンタリー番組がテレビ放送されていました。小学生の私には、科学的な説明はよくわからなかったものの、“宇宙のビッグバン”や“相対性理論”についての多彩な映像に強く興味を持ちました。当時の小学校の先生から「宇宙に興味があるなら、将来、大学で物理の勉強をするといいよ」という話を聞き、漠然と“物理というものは、おもしろそうだ”と感じていました。

高校3年生となり、指定校推薦にて慶應大学理工学部に出願するチャンスを頂きました。高校の物理担当の先生に相談したところ、「慶應の物理学科は、良い先生方がいるよ」とアドバイスを頂き、I系(機械・電気・計測・物理)を志望しました。

理工学部時代

授業の内容・進め方が高校までとは、大きく異なるため、入学当初は、正直かなり戸惑いましたが、クラスの友人達と互いに分からないことを教えあったりしながら、徐々に大学の講義にも慣れ、2年時より、志望の物理学科に進級することになりました。課外では、「水泳やるとダイエットになるよ」と誘われた理工学部体育会水泳部(銀泳会)に所属して、週に数回、授業前に大学近くのスイミングクラブでの朝練習に参加してから大学へ行くという生活でした。あまり練習熱心な部員でなかったためか、ダイエット効果は現れることなく、残念ながら体重はその後も“単調増加”しています。

3年生となり、日吉から矢上キャンパスに移ると、物理学科の講義が中心となり、授業の質・量ともにレベルアップした印象でした。特に、物理実験では、夕方過ぎまで実験したり、レポートの作成に苦労することもありました。物理学科は、1学年45名程度と少人数で中学・高校の1クラスのような雰囲気があり、物理学科の先生方との距離感もぐっと近づきました。4年進級時の研究室配属では、「レーザー分光学」の上原研究室を志望し、上原先生・佐々田先生のご指導を頂き、「半導体レーザーの雑音分光」をテーマに卒業研究を行いました。「研究」と言っても、当時は、右も左もよく分からず、旋盤やボール盤などを使って機械加工して実験装置の製作をしたり、先生の指示で実験するのが精一杯な状況で、あっと言う間に卒業研究が終わってしまいました。

卒業研究当時の上原研究室にて。上原先生の誕生日祝いのケーキを囲んで。(前列右端が上原先生)

大学院時代

大学院では、引き続き上原研究室に所属しましたが、上原研究室と協力関係にあった理化学研究所(埼玉県和光市)のマイクロ波物理研究室において、粕谷主任研究員及び、築山研究員のご指導の下、真空紫外・極端紫外領域の高励起状態分子のレーザー分光研究に取り組むことになりました。当時、マイクロ波物理研究室には、物理や化学を専門とする研究員をはじめ、慶應大学、東京理科大学、東京工業大学、千葉工業大学などの学生・院生が研修生として多数在籍しており、研究員の先生方や他大学の研修生との様々な交流を通じて多くの貴重な経験をさせて頂けたと思います。修士課程の研究を進めるうちに、“研究者”という仕事に強く興味を持つようになり、博士課程へ進むことを決めました。物理学科の博士課程には、同期8名が進学しましたが、新学期早々に、川村先生(当時の学科主任をされていたと思います)から、進学者に対して、「博士というのは、足の裏に貼り付いたご飯粒のようなもの(とらないと気持ち悪いけど、とったからといって食べられる(職がある)訳ではない)。世界に通じる研究を目指しなさい。」という少々厳しいエールを送られたことを記憶しています。当時は、バブル経済の余韻も残っているような社会情勢でもあり、個人的には「先のことは、なんとかなるだろう」という少々楽観的な気持ちでした。

博士課程では、引き続き、高励起状態分子の分光研究に取り組みました。ある時、レーザー光を組み合わせて、測定対象分子に入射する実験をしていると、予想とは、全く異なる強い赤外光が発生していることがわかりました。当初は、予想どおりの信号が観測されないことで、“実験に何かミスがあったのでは?”と悲観的になりましたが、その後も強い赤外光は、再現性よく観測され、結果的にこの信号は、ASE(自然放射増幅光)と呼ばれる発光であり、この発光を積極的に利用することで、高励起状態分子の状態間遷移を高感度に検出できることがわかりました。ASEは、レーザー物理などの分野では、すでに良く知られたものですが、高励起状態分子の研究ツールとしての有用性を示すことができ、これらの成果が博士論文へとつながりました。

理化学研究所マイクロ波物理研究室スキー旅行にて(中央が筆者)。

就職

博士課程3年になると、修了後の進路について真剣に考えるようになりました。指導教官の上原先生からは、「世の中には、“研究”に関する仕事は色々なものがある。学生時代の専門分野にこだわらずに、自分を必要としてくれるような仕事・職場があれば、前向きに取り組んでみなさい」というアドバイスを頂いたことを記憶しています。幸いにして、通省産業省工業技術院計量研究所(現産業技術総合研究所)に研究職として採用頂きました。

計量研究所では、赤外放射温度計や熱画像装置(サーモグラフィ)などを校正するための、黒体放射(輻射)を原理とする温度標準や赤外熱放射の精密計測技術の研究に取り組むことになりました。これらの研究では、“光を測定する”ということ以外、学生時代の研究とは大きく異なる技術分野で、研究者としては“ゼロからのスタート”という状態でしたが、職場の上司からも「焦らずしっかりと勉強していきなさい」とのアドバイスを受け、教科書を読むところから少しずつ研究を進めていきました。幸いにして、その後順調に研究も進み、入所後5年程で、初期の課題であった“常温付近の放射温度の国家標準の開発”に成果を得ることができました。

産業技術総合研究所(つくば)にて。(温度標準グループのお花見)

ちょうどその頃、水銀式、電子式に次ぐ、新型の体温計として“赤外線式(耳用)体温計”が製品化され、1秒程度で体温測定ができることから、日本国内でも病院や家庭に急速に普及しました。一方、この新型体温計は、皮膚や鼓膜表面からの赤外熱放射光を測定する新しい原理の体温計であったため、測定データの信頼性の確保が課題となりました。私どもの研究グループでは、新型体温計の性能試験や目盛校正の基準となる世界最高レベルの“標準黒体炉”開発を急ぐとともに、国(経済産業省・厚生労働省)、体温計メーカー、ユーザー、医療専門家等と連携して、新型体温計の性能試験のための技術基準となる工業規格(JIS)の作成に参画しました。それから間もなくして、アジア諸国と中心として、SARS(重症急性呼吸器症候群)が流行し、感染拡大防止が国際的な緊急課題となりました。この時、シンガポールや台湾などの国立計量標準機関の要請を受け、私共の開発した標準黒体炉や校正技術を提供し、空港や港湾における有熱患者のスクリーニング検査の一助となりました。この時の経験は、自身の開発した標準技術が社会問題の解決にわずかでも貢献した事例として、大変有意義なものでした。

在外研究

2002年~2003年にかけて、英国の標準研究機関であるNational Physical Laboratory(NPL:英国立物理学研究所)での1年間の在外研究の機会を得ました。英国滞在中は、公私ともに印象深い多くの経験がありました。私の在籍したNPLの光放射標準グループには、“研究活動をリード”する研究リーダー(Science Head)と“研究グループの管理運営担当する”グループリーダー(Management Head)の2名のマネージャーがいました。両者ともに優秀な研究者であるのですが、研究業務に関しては、Science Headがアクセルで、Management Headがブレーキの役割を果たしています。実際、私が(日本の職場の感じで)夕方の業務終了時刻以降も居残っていると、Management Headがやってきて「君に与えられている仕事が、君の能力以上のものであり、残業しないと仕事が終わらない状態になるのであれば、自分に相談しなさい。自分からScience Headに調整を行うことができるよ」と真剣にアドバイスを受けました。(勿論、私は、翌日から残業しないで帰宅することにしました。)ともすると「研究至上主義」になりやすい日本の研究環境と比較しても、大変興味深い体験でした。

英国National Physical Laboratoryにて。左:Fox氏、右:Theocharous氏

現在・これから

計量標準を専門とする研究者として、これからも放射温度を中心とした国家標準の高度化に取り組んで行きたいと考えています。標準研究では、“精確さ”を追求するアプローチが中心となりますが、一方において、産業・科学の現場での“測りたいけど、測れない”という計測ニーズを解決するための新たな計測法にも積極的に取り組んで行きたいと思います。また、計量標準の分野では、“メートル条約”を基盤とした国際的な連携・協調が重要となります。私自身も数年前から、アジア太平洋諸国の温度標準研究者による委員会の委員長を務めていますが、歴史的にも欧州が主導してきている“標準”の世界において、価値観や国情の異なるアジア諸国の多様性を強みにして、日本やアジア諸国のプレゼンスをどのように高めていけるのかなどの難題を感じています。

プライベートでは、3年程前から、一念発起して、オーボエという管楽器の練習をはじめました。ピアノを習いはじめた娘(4歳)と将来、一緒に演奏できることをひそかに期待しています。それから、メタボリックも進行中のため、大学時代の水泳部では成功しなかったダイエット大作戦もなんとか達成したいところです。

国際測温諮問委員会(CCT)ワーキンググループにて。 (左より、ロシア委員、アジア委員(筆者)、欧州委員、米州委員)

プロフィール

石井 順太郎(いしい じゅんたろう)
(東京都立白鴎高校卒業 出身)

1991年3月
慶應義塾大学理工学部物理学科 卒業

1996年3月
慶應義塾大学大学院理工学研究科物理学専攻博士課程 修了

1996年4月
通商産業省工業技術院計量研究所 入所

2001年4月
産業技術総合研究所計測標準研究部門

2002年11月~2003年11月
英国立物理学研究所 客員研究員

2005年4月
産業技術総合研究所計測標準研究部門放射温度研究室 室長

2011年6月
理工学同窓会研究教育奨励基金による表彰受賞

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