幼稚園の卒園文集に書いた将来の夢は「手品師になりたい」でした。小学生になると、「化学者って手品師みたい。物の色や形、性質まで変えられるんだ。」と化学者にあこがれるようになりました。材料の研究員になった今の私が、もし子どもの頃の私に化学実験を見せてあげられたら、「わぁ、不思議。面白いなぁ。」と喜ぶに違いありません。

慶應義塾大学へ入学したての頃は、快活でパワフルなキャンパスの雰囲気に圧倒されるばかりでした。まずは安心できる居場所を見つけようと、こぢんまりとした室内楽のサークルに入りました。サークルでは、他学部の話題に耳を傾ける時間が好きでした。私には難しすぎる話も多かったのですが、理工学とは異なる学問の香りにワクワクしました。

1年生の夏、長野県原村にて。慶應義塾大学バロックアンサンブル部の夏合宿中の練習風景。(私は中央でバイオリンを弾いています。)

1年生の時に理工学部の日仏交換派遣研修に参加し、フランスの理工系大学Ecole Centrale de Nantesへ行きました。当時の研修プログラムでは、慶應の学生と同大学の学生が1対1の組になり、お互いの家庭にホームステイすることになっていました。2年生の夏休みに、フランスでお世話になったマリオディールさんという学生さんが、私の家にホームステイしました。彼女とは20年以上経った今も文通が続いていて、育児をしながら企業で働く女性技術者同士、国境を超えて励まし合う仲です。

1年生の時、フランスのナント市にて。慶應義塾大学理工学部とEcole Centrale de Nantesの日仏交換派遣研修の懇親会風景。(私は右列手前から3人目です。)

学生実験では、毎週提出する実験レポートと、考察不足等で書き直し指示が出た再レポートにげんなりしました。早くレポートの嵐から脱出したいなぁと思っていましたが、その後現在に至るまで、報告書作成に追われる生活は続いています。あれは卒業してから困らないようにするための訓練だったんだなぁと、今はありがたく思い返しています。

卒業研究では、昨年退職された仙名保教授のご指導のもと、セラミックスの粉体特性に関する研究をしました。実験は好きでしたが、プレゼンテーションとディスカッションは緊張するのが嫌で及び腰になってしまいました。仙名先生の前で筋道立ててきちんと説明できず、度々先生の雷が落ちました。「真面目に実験しているのになぁ」といじけた日もありましたが、その後会社員として働くうちに、なぜあの時叱られたのか、次第によく理解できるようになりました。厳しくも熱意溢れるご指導で鍛えて戴きましたことに、改めてお礼申し上げます。現在は管理職になったこともあって、発表技術や会話技術の重要性をますます強く認識するようになり、苦手意識を返上するべくこれらの技術の研鑽にも励んでいます。

卒業研究時。窓の外に見えるのは日吉キャンパスの森。矢上の丘は眺望良好です。

仙名研究室と韓国・慶北大学趙研究室合同の夏合宿。慶應義塾大学蓼科山荘にて。研究発表会の合間に、日韓対抗ソフトボール試合を楽しみました。前列右端より、仙名教授と趙教授。前列左端より、当時助手だった磯部先生(現在准教授)と私。

今の会社へ入社したきっかけは、3年生の春休みに参加した応用化学科工場見学旅行です。中国・九州地方の工場を何カ所か見て回り、その1つが電気化学工業(株)大牟田工場でした。その時に実直な社風が感じられたことと、そこで見た高機能のセラミックス製品に興味を持ったことが、入社を希望した理由です。

入社後6年間は、卒業研究で学んだことも生かしながら、セラミックス材料の研究開発をしました。現在は、社内の全製品を対象とする物性解析グループに所属しています。総合化学会社なので扱う製品は幅広く、電子材料、樹脂、有機化学品、無機化学品、セメント、医薬品などです。応用化学科で有機化学、無機化学、物理化学、量子化学、生化学、化学工学など、広い範囲を一通り勉強しておいて本当に良かったと思います。大学で学んだ学問や技術が会社の実務で役立つのは、とてもうれしいことです。

今年2月、電気化学工業(株)の海外拠点であるシンガポールのトアス工場にて。この工場は、大牟田工場と並ぶ世界トップクラスの半導体封止材用溶融シリカの生産拠点です。弊社の溶融シリカは、独自の製造技術により半導体の高集積化に対応しており、マーケットシェア世界1位です。

今はやりたい事とやるべき事が多すぎて、優先順位付けと時間のやり繰りに常に悩んでいます。材料の世界も技術進歩は非常に早く、勉強時間はいくらあっても足りません。一方で、家族や近隣の方々と過ごす時間も大切にしています。現在4,7,9歳の子どもは3人とも、生後3ヶ月または4ヶ月の頃から保育所や家庭福祉員さんにお世話になっています。子ども達が小さかった頃は、会社へ毎日行くこと自体が綱渡りでした。ピンチの時、特に夫の単身赴任中は、ファミリーサポートセンターの援助会員さんをはじめとするご近所の方々が応援して下さいました。その他にも多くの方が支えて下さるからこそ私は共働きを継続でき、感謝の気持ちで一杯です。健康で働けるうちに、仕事や地域活動を通じて恩返しをしたいと思っています。今41歳で働き盛りの年齢ですが、子どもがいなかった頃のように長時間会社にいられませんので、時間効率を高めて生産性の高い仕事をすることが、私の重要課題です。

去年の夏、長野県小諸にて。ボーイスカウトの夏キャンプで、カブ隊(小学3~5年生)の少年達と、木材と荒縄だけを使って通信塔を組み上げました。(私は前列左から2人目。)私をここまで育てて下さった大勢の方に感謝するとともに、この子ども達の世代も、思いっきり遊び、思いっきり学べる世の中であって欲しいと、心から願っています。

高校生の時は、実験室に籠もって独り黙々と実験する未来の自分を想像して、理系を選びました。しかし、企業で働き始めてからは、技術職も成果を出すためにはコミュニケーション能力が必要であると痛感しています。慶應義塾大学では、自由闊達な学風の中、柔軟で社交的な学友から大きな影響を受けました。あの時代の体験が、今私が働く上での土台となっています。

プロフィール

引馬(岡井) 尚子(ひくま(おかい) なおこ)
(フェリス女学院高等学校 出身)

1991年3月
慶應義塾大学理工学部応用化学科
工業物理化学研究室(仙名研究室) 卒業

1993年3月
東京工業大学総合理工学研究科材料科学専攻修士課程 修了

1993年4月
電気化学工業株式会社 入社
総合研究所無機系基礎研究部配属

現在
同社 中央研究所構造物性研究部物性解析グループ
グループリーダー 主席研究員

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