社会人になって早や20年以上の年月が経ちましたが、その間、慶應義塾での学生生活ぬきでは考えられないほどの、多くの素晴らしい出会いと経験をさせていただきました。特に2005年には、「仕事と音楽活動を両立している」という点で評価をいただき、理工学部同窓会から表彰いただきました。

理工学部同窓会基金から表彰された時の記念講演の様子

振り返りますと、私が理工学部電気工学科の南谷研究室で生体電子工学を選択した理由は、もともと医学に興味があったので、研究室公開で人工歩行器の筋肉の研究用にカエルの足がぶらさがっていたり、医学部と共同で実験されていてとても興味深く感じたことからです。「視覚」の研究テーマがあったので、最初は、私の大好きな音楽に関する「聴覚」の研究もあるのかと思っていました。残念ながら「聴覚」そのものの研究こそできませんでしたが、南谷先生が私に与えてくださったテーマは「生体リズム」でした。「リズム」というと音楽の重要な要素であり、人間、医学、工学、音楽の接点を研究テーマにさせていただけるということに何か運命的な幸せを感じました。実際、医学部に行って、先輩と一緒に深夜の研究室でラットを解剖し、ラットのリンパ管の運動を画像解析していたのですが、ラットの微小な内臓の動きが60秒、24時間、30日というような宇宙のリズム、つまり、月の満ち欠け、潮の満ちひきというような自然のリズムと連動していることに気づいたのです。生物が自然の一部であり、生物の営みの何と深遠なるものかということを実感しました。研究室では、個性的でおおらかな先輩や同僚ばかりで、紅一点の私は、その居心地の良さについつい学問以外のことで張り切ってしまいがちでしたが、それも今思えば楽しい学生生活の1ページでした。

研究室の合宿・・・夏の伊豆海岸

卒業後、私は松下電器の音響研究所に入社して、音響心理、音響生理をベースとした音質評価と、新規事業開発を担当しました。音響生理では、音を聞いたときに、脳波や皮膚電位、心拍、呼吸数などにどのような変化が起こるかという、まさしく学生時代の取り組みの延長線上で仕事ができ、毎日朝7時から夜12時までの忙しさにも辛さを感じたことはなく、好きなことに取り組んでいるという充実感でいっぱいでした。そんな中で、「胎内回帰本能」と「生体リズム」からヒントをえて、「低音の心地よさ」を再生する最高級カーオーディオを開発しました。こういった会社生活での成果も、「生体リズム」を研究した学生生活あってこそでした。

一方で私は、大学在学中にジャズ仲間との出会いがあり、同好会でバンドを結成したのが、クラシック以外の音楽活動の始まりです。3才からクラシックピアノを習っていましたが、インプロビゼーションが好きでジャズピアノにのめりこんでいきました。ジャズを演奏するうえで最も大切なことは、スイング、リズム、ソウルです。音楽を演奏していて、人間の「生体リズム」が「音楽のリズム」に共鳴するからこそ生きる力がみなぎるのだと実感できます。私が得意とするハーレムストライドスタイルは、左手の低音部を独特のスイング感でドライブしていく奏法ですが、まさしく古代エジプト時代から、低音のリズムは呪術に使われたほどに魔力をもつといわれてきたように、祭りの和太鼓、ジャズクラブのベースドラムの低音などにも、本能的な生命力を揺さぶる効果があると思います。

社会人になったらジャズは趣味程度に細々と続けられればいいと思っていましたが、音響研究所での私の上司が日本のニューオリンズジャズの草分けといわれる、ニューオリンズの名誉市民でもあるジャズドラマーであり、この出会いを機に趣味程度の活動がどんどん広がっていきました。1997年アメリカツアー実施、2003年全米でのCDリリースに至り、幸運にもこのCDが英国のジャズジャーナルインターナショナルという専門誌で、批評家投票・新譜部門の第1位に選ばれました。

全米CDリリースしたときのメンバー

2005年愛知万博では、塾の村井純教授が発足されたWIDEプロジェクトの実証実験にジャズピアニストとして参画しました。オランダと愛知にいるジャズミュージシャンが同時に演奏して、それをハイビジョンで撮影して映像と音をリアルタイム双方向で光伝送する、というものです。地球の裏側とセッションすることで発生する遅延をコントロールできるインターネットメトロノームというツールを使って、見事に普通のライブハウスセッションの感覚を体験することができたのです。  素晴らしい方々との出会い、そして各地の三田会で演奏させていただく機会に恵まれ、塾に支えられて今日の私があると感謝しております。

小川理子さんのホームページ

プロフィール

小川理子(おがわ みちこ)
(大阪府立大手前高校 出身)

1986年3月
慶應義塾大学理工学部電気工学科 卒業

1986年4月
松下電器産業株式会社 音響研究所 入社
開発研究所、マルチメディア開発センター

2001年
eネット事業本部へ異動

現在
クロスメディア開発グループCGMチーム リーダー


[楽歴]
1997年
アメリカ各地のジャズフェスティバルに参加

2003年
Arbors Recordから全米リリース
英国Jazz Journal International 批評家投票1位

2006年
ビクターエンタテインメントからCDリリース

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