大学へ入る前は、小説を書いてみたいとか、精神医学の研究をしてみたいとか、法律を学んでみたいとか、ともかく、やりたいことが一つに決まらず、入学を目指す学部もなかなか決まりませんでした。結局、高校時代に物理が好きだったことがきっかけとなって、慶應義塾大学理工学部に学門1(物理学科へ進める)の分類で入学することになりました。しかし、1年生の最後にある学科分けの際には、あっさり心変わりし、その当時関心を持っていた情報工学と、医学に関連した研究などを学べそうな雰囲気のあった生命情報学科へ進むことを決めました。

生命情報学科に入ってからは、その専門科目の勉強に打ち込んだのかというとそうでも無く、総合教育科目で受講した文系の科目の内容の方に関心を持ったりして、将来やりたい仕事というのが明確に見えてきませんでした。この時期に学んだ多くの事柄は、今の仕事に直接結びつくものではありませんが、好奇心を刺激してくれるものであったり、他の分野の知識と相互に関わって新しい物の見方を与えてくれたりと、人生を豊かにしてくれるようなものであったと思っています。私はまだまだ、人生経験の浅い人間ですが、これからの長い生活の中で何かの問題に当たった時に、その解決策を考える上で丈夫な支えとなるような、広い見識を身につけられるような土壌が慶應義塾にはあるのではないかと感じています。

研究室の山中湖合宿です

3年生末には配属される研究室が決まり、私は太田・宮本研究室で、ある酵素を大腸菌で効率よく生産させるように遺伝子を組み替える研究をすることとなりました。ここでもこれまでの例に漏れず、自分が貰った研究課題にのみ全力投球というわけではなく、定期的に行っていた文献紹介では、研究室の研究にあまり関係のないアルツハイマーや統合失調症の研究論文を、自分の興味の赴くままに紹介したりしていました。このようにあまり優等生とは言えない私にも、根気よくご指導してくださった太田先生、宮本先生には本当に感謝しております。また、山中湖での合宿や、研究の合間の同級生との雑談もよい思い出となっています。

実験中です

ここからは少し就職活動のことを書かせてもらおうと思います。既に書いたように、私は将来の仕事について明確なイメージをずっと掴めずにいたのですが、3年の半ばごろから情報系の知識に関心を持ち、情報処理技術者の資格を取得したり、PCの自作をしたりするようになりました。そういったこともあって、興味本位で4年の初めにシステムエンジニアの就職面接を受けましたが、これはあっけなく落ちてしまいました。そこで、きちんと面接で何を主張すべきかをよく考えた上で、別の会社のシステムエンジニア、さらにはゲームプログラマーの面接なども受けました。一般的には、自分のやりたいことを決めた上で就職活動をするものなのかもしれませんが、私の場合、就職活動を続けながら、就くべき仕事のイメージが少しずつ固まっていく感じでした。このように漠然としながら得られてきた将来像と、独学で身につけた情報系の知識が武器になって就職活動を切り抜けることができたのではないかと思います。

理工学部ソフトボール大会に参加した太田・宮本研ナインです

そのようにしていくつかの会社を受け、面接に受かり入社を決めたのが、現在勤めている日立製作所です。情報系といってもさまざまな職種、仕事があり、現在行っているWebアプリケーションプログラムの開発をずっと続けていくかどうかははっきりしません。これまでのことを考えると、広範囲のことに興味を持ってしまって、他の人よりもその選択に時間がかかってしまうというのが私の性分のようなので、これから様々な経験をしていきながら、さらに細かく自分のやりたいことをはっきりさせていこうと考えています。その中でもきっと、慶應義塾で学んだ経験が生きてくるものと思います。 最後になりましたが、若輩者で、大学であまり優秀な成績を収めたわけでもない私に、このように立派な諸先輩方が書かれている場所で執筆させて頂く貴重な機会を与えてもらったことに感謝して、筆を置くことと致します。

卒業しました

プロフィール

酒井 航(さかい わたる)
(市川高等学校 出身)

2005年3月
慶應義塾大学理工学部生命情報学科 卒業

2005年4月
株式会社日立製作所 入社

現在に至る

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