新板 窮理図解

最初から工学の研究者を目指していらしたのですか?
 いいえ、父が大学病院の医師であったこともあり、父の背中をみて、中学くらいから自分も将来は医者になりたいとぼんやり思っていました。しかし、成城大学には医学部がありませんから、大学受験は必須だったというわけです。そして、当時、目指すは国立医学部でした.
 ところが浪人しても,国立医学部には合格できず、もう一つの道として考えていた慶應義塾大学理工学部に入学することにしました。もっとも、幼い頃から機械いじりが好きでしたし、一番の得意科目は物理でした。実は、医学に不可欠な生物にあまり面白味を感じていなかったこともあり、浪人中は本当に医学部に行くことが良いのか迷っていました。自分が学びたいのは理工学かもしれないと感じていたのです。ですので、ポジティブに捉えれば、医学部受験の失敗は必然だったのかもしれません。最終的に自分に適した道に進むことができたのですから。
 とくに、理工学部の融合領域の研究に興味があり、その後、システムデザイン工学科に進んだのは正解でしたね。

photoどんな大学生活を送られたのですか?
 正直、学部の1年生、2年生のときはナメた学生だったと思います。当時目標としていた医学部に進めなかったことで将来の目標が定まらず、モチベーションは下がっていました。授業は好きな科目だけ出て、あとはテニスサークルでの活動や家庭教師のアルバイトなどをして過ごしました。こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、浪人時代の蓄積があったので、一生懸命勉強しなくても単位を取ることはできましたからね。当然、研究者になろうという気は、まったくありませんでした。
 意識が変わったのは、4年生になって青山藤詞郎先生(現・学部長)の研究室に所属してからです。実験を通して実際の現象をひもとくことの面白さや、自分の考えを具現化していくことの楽しさ、難しさに目覚めていきました。
とは言うものの、当初は、電気粘性ゲル(電気粘着ゲルの前身)の研究を始めたばかりで、まったく成果が出なくて、机上の理論と現実にはこんなにも差があるものかと愕然(がくぜん)としていました。しかも、自分で課題を見つけ、その解決法を自ら導き出しながら、答えが見えない問いに突き進まなければならない。研究の楽しさを感じると同時に、研究者生活というのはこんなに辛いものなのかと、身をもって感じました。
 修士課程に進学した際に、テーマを変えたいと青山先生に訴えたところ、「研究は根気」だと諭され、修士でもこの材料の研究を続けることになりました。当初は、材料を応用することが研究テーマでしたが、材料そのものを開発する基礎研究が必要だと訴えたところ、ふところの大きな青山先生は、この訴えを快く認めてくれました。そして、研究にのめり込み、その結果、修士2年の初夏に新機能材料の開発に成功し、共同研究先と特許も申請することができました。すると今度は、ここで手放すのはもったいない、応用研究のステップに繋げたい、と欲が出てきたんですね。それまでは就職も検討していたのですが、博士課程に進むことを決心しました。