新板 窮理図解
医者である父の背中を追って国立医学部を目指し、大学受験に挑むも断念。
目標が定まらない大学生活を経て、4年生で研究室に所属したことが、
研究の面白さに目覚めるきっかけだったという柿沼さん。
挫折とは裏腹に、その後の順風満帆な研究生活の背後にあるのは、
自身の心の声のままに、何事にもつねに真剣に取り組んできた姿勢にあるようだ。

どんな幼少期を過ごされたのですか?
 幼稚園から高校までは、私立の一貫校という点で慶應義塾と環境が似ている成城学園に在籍していました。成城学園の教育というのは独特で、とくに初等学校は自然から学ぶことを重視していて、実際のものに触れながら、体感的に理科や数学を学ぶという教育を実践しているんですね。単に机上で勉強を教えるだけでなく、実際になぜそうなるのかということを、体験的に学ばせるというわけです。たとえば、2時間続きの「散歩の時間」というのがあって、校外を散策しながら、草木や虫を手に取って学ぶという、独自のカリキュラムなどがありました。
photo また、絵や工芸、彫塑、映像、演劇といった、芸術に重きを置いた授業もあり、これらのカリキュラムを通じて、ものづくりへの興味が培われたように思います。家でも、ラジコンを組み立て,改造するなど、機械いじりに熱中していましたね。
 実は、僕は主要5科目以外はオール5だったんですよ(笑)。今から思うと、成城学園で過ごした幼少期の経験が、ものづくりに関する研究のセンスを身につける上で、非常に役立ったように思います。
 趣味は、音楽鑑賞ですかね。母が声楽を専門としていたこともあり、幼稚園から中学3年までバイオリンを習っていました。桐朋学園の音楽教室に通っていた、というより通わされていたのですが、当時は嫌でいやで……(笑)。やはり嫌々では、身につきませんね。今は、まったくやめてしまいましたが、クラシック音楽を聴くのは好きですし、国際会議などでヨーロッパに行った際には、時間を見つけてよくオーケストラの演奏を聴きに行きます。こういう趣味を持てた点は母に感謝しています(笑)。