新板 窮理図解
町の電器屋さんの長男として、
幼いころから電化製品やパソコンに慣れ親しんで育ったという青木さん。
一方で、学生時代は柔道やラグビー、バンドなど、部活動でも大活躍。
勉学にスポーツに趣味に全力で取り組み、研究でも多くの成果をあげてきた。
学生からも絶大の人気を誇る青木さんは、どのようにして研究者になったのだろうか。
その生い立ちと研究者人生について聞いた。

ご実家は群馬県高崎市の電器屋さんだったそうですね。
 ええ、両親で店をやっていて、学校帰りには店に立ち寄ることがほとんどだったので、電化製品に囲まれて育った感じです。父はいわゆる「電気バカ」というのか、家でも電化製品のことばかり話すような人だったため、私も自然と電化製品に興味を持つようになりました。しかも父は新しいモノ好きで、当時、何百万円もするような出始めのプラズマテレビを店に置くような人でした。地元密着の電器屋とは言うものの、かなり時代の先端を行く店だったのではないでしょうか。
 なかでも進んでいたのが、いち早くパソコンを扱い、2階のワンフロアをパソコンスペースとして開放し、各社のパソコンを並べて、ソフトも自由に使えるようにしていたこと。学校帰りに近所の小学生と一緒になって、『べーシックマガジン』を見ては、ゲームのプログラミングを打ち込んで遊んでいましたね。その頃から、自分は将来、理系に進むんだろうなぁと漠然と感じていました。
 一方で、スポーツも大好きで、小学生時代はサッカーと水泳を、中学に入ってからは、悪い先輩にだまされて(笑)、バレーボール部に入部し、最終的には部長までやりました。いや本当に、入ってみたら不良ばかりでビックリしたんですよ。これがきっかけで、悪い奴らとの付き合い方を身につけた感じでしょうか(笑)。

高校は早稲田の付属に進学されたんですね。
 実は、一瞬、早稲田大学本庄高等学院と慶應義塾志木高等学校のどちらにするか迷ったのですが、自分はどう考えてもバンカラの早稲田キャラだろうと思い、早稲田に進学したのです。だから、まさか今こうやって慶應義塾大学の先生をやることになるなんて、当時は夢にも思いませんでした。
 高校では付属校ということで大学受験がないため、部活三昧の生活を送っていました。先輩と応援部を立ち上げたり、柔道部で活動したり、軽音楽部ではドラムをたたいたり。文化祭では3つもバンドを掛け持ちしたうえ、後夜祭では応援部のステージに出て、大忙しでしたね。ちなみに、バンドではフルメイクをして聖飢魔Ⅱのコピーバンドをやったことが印象に残っています(笑)。
 そうは言っても、いちおう勉強もやっていましたよ。ちなみに高校の卒論のテーマは、「21世紀へ向けてのエネルギー:化石燃料代替エネルギーの必要性と太陽エネルギー」。当時は、21世紀初頭にはすでに石油は枯渇していると信じていましたからね(笑)。