新板 窮理図解
「ホヤへの興味がこれほど持続するとは思っていませんでした」と話しながら、
ますますホヤ研究に力が入る堀田さん。
子どもの頃から生物が大好きだったにもかかわらず、
すぐには研究者になる自信を持つことはできなかったと言う。
そして、これまでに「それは自分にできるのか」と何度も自問することがあった。
堀田さんは何を感じながら研究者として歩んできたのだろうか。

どんな子ども時代を過ごしたのでしょうか?
 小学校 1 年生まで愛知県東海市に住んでいました。その頃は、虫を取ったり、絵を描いたり、生物を観察したりするのが大好きでした。特に、小川からすくってきた水を顕微鏡で観察して、ミジンコなどのプランクトンを見つけては、その動く様子にワクワクしたものです。うちには立派な木箱に入った顕微鏡があったのですが、今考えると、普通のサラリーマンの父がどうして持っていたのか不思議です。
 かすかな記憶ですが、粘土で「鬼」の体の内部構造をつくって、祖父に熱心に説明したこともありました。その時「坊は大きくなったら学者になるよ」と言われたのを覚えています。 
 滋賀県大津市で過ごした中学・高校時代には、陸上部に所属して、琵琶湖岸沿いを毎日走っていました。その後、北海道大学に進学。迷うことなく基礎研究のできる理学部を選びました。基本的に生物が好きなので、獣医学や薬学、水産学なども私に合っていたかもしれないと思っています。

photoホヤには、どのようにして出会ったのでしょうか?
 北海道大学では、卒業研究としてカエルの受精に関わる研究を行いました。そのまま大学院に進学するつもりでしたが、指導教官の片桐千明教授が定年を迎えられたため、別の進学先を探さなくてはならなくなりました。そんな時、京都大学の佐藤矩行(のりゆき)教授の特別講義を聞く機会があり、佐藤研究室へ進むことを決めました。佐藤教授は、日本のホヤ研究の第一人者で、ホヤをモデル生物にまで昇華させた人です。
 ホヤという動物の存在を知った時には、「何てオタクな生き物なんだろう」と思いました。当時はまだ、あまり知られていなかったものですから……。今では佐藤教授の功績もあって、高校生用の教科書に、ホヤを取り上げているものがあるようです。
 佐藤研究室は、とても活気のあるところで、いろいろな刺激を受けました。まず、研究室に顔を出した翌日から、青森県にある東北大学の浅虫臨海実験所に行かされ、それから1カ月間ひたすらホヤの発生を顕微鏡で観察しながら、脊索細胞を集める仕事をしました。今考えると、この時に生物の発生について1から学んだのです。以来15年間、ホヤの研究をしています。

15年間でホヤ研究はどう進んだのでしょうか。
 かなり進みましたね。私は最初、脊索細胞を集める仕事をしていたと話しました。それは、地味な作業でしたが、その先には生物の進化を解き明かしてやるという大きな夢がありました。大きな転機が訪れたのは、2002年にホヤの全ゲノム配列が明らかにされた後のことでした。当時、私は国立遺伝学研究所に派遣されて、ホヤの遺伝子の解析をしていました。全ゲノム配列が決まったことで、これまでの遺伝子を1つひとつ探していく地道な研究から、遺伝子はわかっているのだからとにかく網羅的に調べあげたデータから新しい発見を見出すといった、データマイニング型の研究へと変わりました。
また、こうした遺伝子研究によってホヤがヒトの祖先ではなく「親戚」だということが明らかになり、進化系統樹が大きく変わるのも目の当たりにしました。歴史的な出来事をいくつも経験できたことはよかったと思っています。
 今は、また少し研究手法が変わってきています。遺伝子を網羅的に調べることが容易になり、種間あるいは個体間の違いなどを、高い解像度で理解することに重きが置かれるようになってきています。