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理工学部HOME > 塾員来往 > [第75回] 都留 典孝 日産自動車株式会社

塾員来往

[第75回] 都留 典孝 日産自動車株式会社

 私はメキシコに生まれ、中米のグアテマラという国に12歳まで育った、いわゆる帰国子女。父は私を国際人に育てたいと思い、日本人学校ではなくアメリカンスクールに入れました。しかし、実は戦後20数年しかたっていない中で、学校ではアメリカ人に「ジャップ」といじめられながら本当につらい少年時代を過ごしました。

都留 典孝氏

 そういう中でも、私の子供心に純粋な熱狂と感動を与えてくれたのが、かっこいいクルマ達でした。ショッピングセンターやゴルフ場の駐車場でマスタング、カマロ、マーキュリー/クーガーなどのかっこいいクルマ達に目と心を奪われました。そして「将来はクルマを開発する仕事をするのだ!」と子供心に決意しました。

1968年型フォード・マスタング

1968年型フォード・マスタング

 小学校高学年で日本に帰ると、日本もモータリゼーションが急成長する時代、トヨタのセリカ、日産のスカイライン、三菱のギャランGTOなどのクルマにも熱狂し、また三菱のミラージュの様なコンパクトカーにもデザインの美しさを感じました。イタリアのジウージアーロのデザインにも心を打たれ、単にスポーティでかっこいいのではなく、実用性も兼ね備えた機能美を重要視する価値観を育みました。

中学時代に描いた、ケンメリ・スカイライン(鉛筆画)

中学時代に描いた、ケンメリ・スカイライン(鉛筆画)

 慶應義塾高校に進学し、そのまま大学へ。迷う事なく機械工学科に進み、安藤常世研究室で流体工学を専攻しました。流体力学を専攻したのはパワートレーンよりも、どちらかというとデザインと機能の両立(機能美)実現に興味があり、流体力学をやっておけば車体の空力性能開発にも役に立つだろうという程度の気持ちで選びました。研究テーマは「三角翼の流体解析」を選び、湘南ではヨットを操りながらシミュレーションの検証をしました。当時の研究室の先輩だった澤田先生や、高校時代のクラブの先輩だった長坂先生からも多くを学びました。

 大学時代もクルマ中心の学生生活。同級の桑原純一郎君、長岡慎一君と一緒に中古のトヨタ・ハイエースを8万円で購入し、自分たちでバニング・バンに改造、夏休みは「お金がなくなるまで」北海道一周旅行をしました。

北海道一周旅行

中古のトヨタ・ハイエースをベースに改造した愛車ロリーポップ号で北海道旅行したときのスナップ

 1982年に修士課程終了後、日産自動車に入社。車体設計、エンジンルームレイアウトなどの分野を担当、S13シルビア、R32スカイラインGTRなどのプロジェクトに参画しました。その後、欧州の開発センター、European Technology Centerを立ち上げる第一陣メンバーとして英国に赴任し、現地でプリメーラ、マーチの英国現地化と、ミストラルの現地開発を担当しました。

S13 シルビア(1991年)

S13 シルビア(1991年)。
プレリュードとセリカに対抗して開発し、大ヒットした。

 帰国してからはRVの車両開発を担当しましたが、海外展開縮小を決めた会社の方針に失望する中、当時のオペル・ジャパン代表の井沢敬氏外部サイトへのリンクからの強い引きに負けて、外資系のGMジャパンに転職しました。技術系からマーケティングという未知の世界への転身でした。当時、GMのドイツ子会社オペルの車を日本に売り込もうと、日本で自動車会社初のインターネットホームページを立ち上げ、高城剛さん外部サイトへのリンクにお願いしてフランキーオンラインというネットエンターテインメントを展開しました。

フランキーオンライン

1996年に高城剛さんとのジョイントで展開したフランキーオンライン

 ある日、オフィスのある恵比寿ガーデンプレイス27階のタバコエリアで喫煙している時に、ドイツ人の紳士と立ち話を始めました。私が「日産の開発部門で車体設計と車輛レイアウトをやっていた」と話すと、いきなり「名刺をくれ」と言われ、翌週にはオペルの開発センターからスズキとの合弁プロジェクト「AGILA」のチーフエンジニアをやってくれ、とのオファーが来ました。その紳士は当時のオペル開発担当副社長でした。人生は奇遇なものです。また開発部門に舞い戻ってしまいました。

 そのまま AGILA 立ち上げの為に、ドイツの開発センターに赴任、スズキとオペルの技術者とともにポーランド(オペル)とハンガリー(スズキ)での同時立ち上げを実現しました。

思い出深いスズキとの合弁プロジェクト Opel AGILA(2000年)

思い出深いスズキとの合弁プロジェクト
Opel AGILA(2000年)

 その後、日産やスズキでの経験を生かしてオペルで業務改革や、コストマネジメント改革を担当、5年間の間に3つのGM会長賞をいただきました。

GM/OPEL Chairman’s Honor’s Award

GM/OPEL Chairman’s Honor’s Awardを連続受賞
ドイツ時代でのクルマ作りでは新しい発見が多く、澤田先生のご紹介でその時の体験を日本機会学会誌に投稿 外部サイトへのリンクしたところ、
某大学大学院の入試問題にも取り上げていただきました。

 フランクフルト・モーターショーで日産を退職した時の上司とドイツで再会した事がきっかけで、9年ぶりに日産に戻ることになりました。前例のないこととの事でしたが、当時「愛しているのに別れてしまった人」というのが日産への心境でしたので、嬉しかったです。しかし、本当に人生はわからないものです。

 2004年に日産に戻り、翌年の2005年にグローバル・エントリーカーの開発主管(Chief Vehicle Engineer)を任命されました。これは収益の出せるコンパクトカー商品群をグローバル規模で開発する壮大なプロジェクトでした。2009年4月まで4年間に及ぶ苦しい開発を担当しましたが、今年ついに商品群の第1弾、タイ初の政府認定エコカーとして新型日産マーチ外部サイトへのリンクが発売されました。順次、世界展開の予定です。新型マーチは燃費を含む全ての性能を大幅に向上させながらも、重量を大幅に軽減し、街中でスイスイ走れる抜群の取り回し性と、ドイツのオートバーンでも安心して走れる高速安定性を確保した素晴らしいクルマに仕上がりました。

インドのAUTOCAR 2009年12月号の記事

インドのAUTOCAR 2009年12月号の記事

 現在は車輛プロジェクト購買部を担当、世界中の日産車のプロジェクト・コストマネジメントを担当しています。
 クルマ一筋の人生を送ってきましたが、慶應義塾時代に自由な風土で感性を磨き、機械工学を学び、人と人との繋がりの大切さを学んだ6年間のおかげで、なんとかここまで来られたという実感があります。

 やりたい事をやり抜く事によって、世の中に貢献する事が人生だということを感じています。慶應義塾に学ぶ後輩諸君には、「やりたい事」を見極めて、将来のビジョンを結晶化して実現に向かって邁進して欲しいと思います。

朝日を望む Vision Explorer(創造レンダリング 2004年作)

朝日を望む Vision Explorer
(創造レンダリング 2004年作)

プロフィール

都留 典孝(つる のりたか)(慶應義塾高等学校 出身)

1980年3月

慶應義塾大学 理工学部機械工学科 卒業

1982年3月

慶應義塾大学大学院 工学研究科 機械工学専攻
修士課程 修了

1982年4月

日産自動車株式会社 入社

1996年7月

日本ゼネラルモーターズ 入社
オペル・ジャパン事業部 配属

1997年7月

Adam Opel AG International Technical Development Center 赴任

2004年7月

日産自動車株式会社 入社
現在に到る

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