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理工学部HOME > 塾員来往 > [第63回] 佐野 和夫 (財)日本水泳連盟

塾員来往

[第63回] 佐野 和夫 (財)日本水泳連盟

佐野 和夫氏

 私は、昭和34年4月、慶應義塾高等学校から慶應義塾大学工学部に進学いたしました。専攻は、当時設立間もない計測工学科第6期生として、日吉で教養課程の1年間終了後、3年間武蔵野の緑薫るのどかな小金井キャンパスに通学したわけです。キャンパスの小金井正門には、「慶應義塾大学藤原記念工学部」と墨書された木製看板が掲げられており、校舎は工場跡地の面影漂う平屋建ての木造校舎群でありました。私が計測工学科を志望した動機は、当時、学科の紹介記事に「計測なくして科学はない」、そして「計測と制御は科学の両輪である」と世の中に"計測"の重要性・不可欠さを説かれた計測工学科中興の祖、真島正市教授の言葉に惹かれたことであり、今でも強い印象として思い出に残っております。

 小金井生活を終え、昭和38年3月、水島三知研究室を巣立った私は、計測技術が最も駆使できる可能性が高いと自分なりに判断した分野、鉄鋼産業に身を投じることを決め、日本鋼管株式会社(後のNKK、現JFE)に入社しました。配属は技術研究所物理研究室、計測技術の緻密さとは、およそかけ離れた高炉(溶鉱炉)内部の熱計測を主体に、テーマ研究にとりかかりました。6年間の会社研究生活駆け出しの時代を経て、米国ペンシルバニア大学院化学工学修士課程に2年間の社命留学後、工場での研究業務に復帰、担当分野が製銑・製鋼・圧延と拡がった中からの一つ、「連続鋳造プロセスにおけるモールド溶鋼レベルの計測制御」をテーマに論文をまとめて東京大学工学部に提出し、昭和60年11月、工学博士の学位を取得することが出来ました。

 一方、話は学生時代に戻り、小金井キャンパスでの生活では、青春を大いにエンジョイすることも忘れませんでした。幼少の頃から水泳を親しんできた私は、小金井時代に水泳部が存在しないことに物足りなさを感じて、同志とともに工学部体育会に水泳部を設立しました。ニックネームは藤原銀次郎先生の一文字を戴いて"銀泳会"と称し、第1期生4名でスタートしたわけです。その後、後輩の部員達に恵まれて活動は引き継がれ、来年(平成22年)、水泳部銀泳会創立 50周年を迎える伝統と歴史を作り上げることができました。

 ここで、文武両道を奨励された福沢諭吉先生の教えを強く受け継がれた、小泉信三 先生(編集注:元塾長1933~47、経済学者)のスポーツに対する心、"スポーツが与える三つの宝"を後になって知り、深い感銘を受けました。この機会に改めてここに紹介させて頂きたいと思います。

 第一は「練習練磨の体験」  無数の不可能を可能にするものは、ただ黙々として続けられた練習のみである。これ即ち"練習は不可能を可能にす"の名言であります。

 第二は「フェアプレー精神」  果敢なる闘士で、そしていさぎよき敗者であれ。

 第三は「友は人生の宝である」  これを持ち得た者は、人生の最も大きい幸福を得た者と言うべきである。

 加えて日本水泳連盟の結成に尽力された法学者、末弘厳太郎氏の「練習10則」のうちの最終則である第10則「良き練習は良きコーチによってのみ行われ得る。しかし、コーチのみに頼って自ら工夫することなき選手は上達しない」は誠に味わい深い言葉であると思います。

 これらの言葉は、スポーツ選手のみならず、人生の目標にチャレンジする若人に対する最善の指針と言えることであります。  私の水泳へのチャレンジは、会社生活においても途切れることはありませんでした。昭和38年4月日本鋼管入社時から、仕事が終わると工場の防火用水プールに足が向いていったのは、水泳の魅力に惹かれていたからだと思います。次第に両足がはまり込んだ水泳部監督時代に掲げた三つの選手育成ステップ目標が、『日本新記録の樹立』、『オリンピック代表選手の輩出』、『チームの全国制覇』でありました。関係者の絶大なるご支援をいただき、またすばらしい協力者を得て次々と達成できましたことは至福の限りでありますが、監督生活が30余年に至りました。

 選手育成と並行して日本水泳連盟の活動に参画経験させていただいた最大のイベントが、『第9回世界水泳選手権大会福岡2001』であります。史上最大の参加選手数2,450人、参加国134カ国地域を集め、大会収支約45億円となった巨大プロジェクトを福岡市と日水連が二人三脚で実現し、大会事務局長・ゼネラルマネジャーとして大成功裡に水泳史の1頁を飾ることができました。  また昨年(平成20年8月)は、北京オリンピック日本水泳選手団団長を拝命し、競泳・飛込・シンクロの選手42名、役員27名、計69名の水泳"チームジャパン"を編成し、"センターポールに日の丸を!"を目標に戦いました。結果は、北島康介選手の超人的な活躍もあり、金メダル2個を含む6個のメダルを獲得出来ましたことは生涯の宝であり、皆様からのご声援ご支援の賜物と深く感謝いたしております。

 いよいよ本年(平成21年)4月より、日本水泳連盟会長職を務めることになりました。微力ながら、日本水泳界の益々の発展を目指して邁進していきたいと考えておりますので、折に触れて皆様方のより一層のご支援をいただければ幸いであります。

2002年4月 FINA世界短水路水泳選手権大会(ロシア・モスクワ)

2002年4月 FINA世界短水路水泳選手権大会(ロシア・モスクワ)。古橋慶之進名誉会長とともに

2003年7月 第10回FINA世界水泳選手権大会(スペイン・バルセロナ)

2003年7月 第10回FINA世界水泳選手権大会(スペイン・バルセロナ)。日本水泳選手団団長として参加、北島康介選手と初の金メダル獲得に喜びを分かち合う

2004年11月 アテネオリンピック祝賀会

2004年11月 アテネオリンピック祝賀会。日本選手団役員として成果報告(新高輪プリンスホテル)

2008年8月 北京オリンピック日本水泳選手団 団長として参加

2008年8月 北京オリンピック日本水泳選手団 団長として参加。背泳200m種目においてオリンピック2回連続銅メダル獲得を達成した中村礼子選手(神奈川県出身)とともに

プロフィール

佐野 和夫(さの かずお)(私立 慶應義塾高等学校 出身)

昭和38年3月

慶應義塾大学工学部計測工学科卒業

昭和46年6月

米国ペンシルバニア大学院化学工学修士卒業

昭和60年11月

東京大学工学博士

昭和38年4月~
平成12年9月

日本鋼管㈱〔NKK~現JFE〕在職

平成12年11月

(株)裕生 入社 監査役 現在に至る

昭和42年~
平成12年

日本鋼管(NKK)水泳部監督、総監督を歴任

平成7年4月

(財)日本水泳連盟 理事就任、以後常務理事、専務理事を歴任

平成13年4月

神奈川県水泳連盟 会長就任(~平成21年3月)

平成20年8月

北京オリンピック日本水泳選手団団長

平成21年4月

(財)日本水泳連盟 会長就任 現在に至る

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