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理工学部HOME > 塾員来往 > [第3回] 宮本 博幸 千葉工業大学情報科学部教授

塾員来往

[第3回] 宮本 博幸 千葉工業大学情報科学部教授

宮本博幸氏

世の中に「いい大学」はたくさんあっても、自分に合った大学に入ることの大切さを改めて実感しています。大学の良さというのは入学前によりも、むしろ卒業してわかるからです。
工学部(現理工学部)学生として入学し、日吉での2年間の基礎教育の後、それぞれの学科に配属されました。おかげで広範囲の工学に触れることができ、その後、どのような分野の問題にも対処できる基礎を築くことができました。と同時に、学科に分かれ、社会に出てからも今日まで関係が続く多くのクラスメートに恵まれることになりました。

宮本氏在学当時の矢上校舎

宮本氏在学当時の図書館・研究棟。現在の創想館はこの場所にできました。

私の場合には電気工学への興味以外に、30歳前に外国に出ていろいろな体験をしたいという夢がありました。大学に入って選択したフランス語はその後の私の進路に大きな影響を与えることになりました。慶應では伝統的に語学教育に力を注いでいますが、理工系ではその重要性が増していることは誰も疑わないでしょう。大学4年次に、インターンシップ制度を使ってフランスの工場で実習をしたことから、フランスに留学したいと考えるようになりました。何よりそのとき面倒を見てくれたエンジニアの姿に、科学技術が国を支えるという自負を感じたからです。その後、塾工学部の先生方の助言を得てフランス政府給費留学生試験を受け、留学する機会を得ました。この留学制度はフランス政府が世界各国の若者に提供しているもので、日本には1931年から門戸が開かれています。留学先の授業料も生活費もすべてフランス政府が面倒を見てくれる代わりに半年ごとに厳しい審査があります。一方、研究面ではフランス人も外国人も区別なく、ただ、努力する者だけが生き残れる世界です。言葉にハンディがあっても容赦なく文句が来る代わりに、成果を上げたときには、きちんと評価されます。自分の意見を主張しない限り、望む研究環境は得られない、当たり前のことですが、実際に言葉で伝えなければ何も手に入りません。

宮本博幸氏

25年前フランス留学中の宮本氏

しかし、当初予定した2年間の留学期間では博士論文を書きあげるには時間が足りないことがわかってきました。もともとフランス人でも最低3年はかかるといわれているものです。思い切って、政府に給費延長のお願い状を書いたところ、許可されて、3年目に突入。当時、フランス全土で分散して進められていた身体障害者を支援するロボット開発(スパルタカス計画)の一部が私の研究テーマでした。

絶対的に時間が足りず、深夜まで実験を繰り返す一方、朝はまず研究室に行き、ひと仕事して、東の空が明るくなる頃、大学近くのカフェで朝食にありつくという毎日が続きました。大きなカップに入ったカフェオレを飲みながらその日の実験計画を確認。帰宅前にはフランス語で研究日誌をつけるようにしました。もっぱら研究室と学生寮と大学食堂を結ぶ三角形が私の日常的な行動範囲だったのです。時には留学生対象の催しにも参加し、世界各国から来た学生との交流のチャンスをもつこともできました。ある時は1台の貸切バスで2泊3日の旅行。50人ほどの参加者なのに26国籍という超インターナショナルな経験もしました。言葉も宗教も習慣も異なる人たちが意見を交わすことの大切さを感じたときです。中南米やマグレブ諸国(北アフリカ)からの留学生。中東からやってきた若者、ポーランドから来た研究者。ベルリンの壁が存在していた当時、東欧というのはとても遠くに感じました。日本には世界中のニュースが入ってきていると思っていたのは幻想で、初めて聞く異次元の世界。社会制度は異なっていても研究者がめざすところは同じ。そのポーランドも今年5月にEUに加盟しました。

帰国が近づいたある日、指導教授が打ち明けてくれました。「おまえが研究を続けるかどうか迷っていたとき、自分は腹を決めた。師としてノンということは簡単だが、弟子と一緒にリスクを負うことも師の務めだ。見込み違いはなかった。」決して平坦ではなかった3年間の留学生活でしたが、この言葉はその後、大学で後進の指導にあたることを決定づけました。

帰国して25年の歳月が流れ、いまでは定期的にフランスに行く機会があります。学会、共同研究や学生交流の打ち合わせ、そして今回はフランス政府の依頼で 2020年に向けてフランスの科学技術政策を討議するため。3年間お世話になったことに対する「ささやかで心地よい義務として」。シャルルドゴール空港に降り立つときいつも感じる「懐かしさと新鮮さ」。世界で一番多くの留学生を受け入れているのは米国ですが、学生に占める外国人の比率ではフランスが上回っています。私が単なる外国経験ではなく、フランスという国を通して世界を見、世界の人々と交流を深める糸口を見つけたのは慶應義塾においてです。そして、いまでは慶應理工学部はフランス有数の工科大学と交流を進めており、数多くの学生諸君がそれぞれのキャリアをデザインしています。
大学とは与えられるのを待つところではなく、自ら探求し、創っていくところ。他人とは違った世界を切り開くために。

プロフィール

宮本 博幸(みやもと ひろゆき)( 出身)

1974年

本塾大学工学部電気工学科卒業

1976年

本塾大学大学院工学研究科修士課程修了

1976年

フランス国立ロレーヌ工科大学大学院博士課程(フランス政府給費留学生)

1979年

同大学院修了(Docteur-Ingenieur)

1980年

東京女子医科大学医用工学研究施設 助手

1989年

フランス国立健康医科学研究所 外国人上級招聘研究員

1989年

千葉工業大学助教授

現在

同大学情報科学部教授、本塾大学理工学部非常勤講師、科学部門フランス政府給費留学生の会会長

受賞

マルチメディア・メビウス国際賞(1997年パリ ユネスコ本部との共同研究)

受章

パルム・アカデミック勲章(1998年フランス共和国)

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