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学問のすゝめ

日本的?美術?

近藤 幸夫 (外国語・総合教育 准教授)

私たちはまるで自明の事柄のように「日本的でいい」といった表現を使っている。また、何の疑いもなく「美術」という日本語も使っている。これらは本当に自然発生的なものなのだろうか。実は「美術」という言葉が日本語のなかに初めて登場するのは、1873年のウィーン万国博覧会に新生明治政府が参加する前のことである。ドイツ語で書かれたこの博覧会の参加要項を日本語に訳す際に造語として「美術」という言葉が初めて使われた。単語がないということは概念がそれまでは存在しなかったということである。また日本人の手によって初めて日本美術の歴史が書かれるのは1900年のパリ万国博会のときであり、最初はフランス語で書かれ各国に配られた。日本語版が出るのはその後のことである。これらのことが何を意味するかというと、美術は日本が西欧的な近代国家として体裁を整えるうえで必要な条件だったということである。社会学者Anthony D. Smithが述べるように、近代国家になるということは国民とすべき小集団を統一するための共通の歴史や記憶をある程度人為的に作るということでもある。「美術」概念の導入に伴い日本美術はその特性が西欧にも理解され評価されなければならない。日本美術史の編纂の過程を見ていくと西欧の美術をよく知る者がその物差しに照らして基準を定め取捨選択がおこなわれたことがうかがえる。私たちはその延長上に立ってあたかも自然発生的に生まれたように「日本的」と言っているのである。このような西欧の他者に対するまなざしと、そのような西欧的価値基準を自己内在化することによってアイデンティティーを築こうとするまなざしをそそがれる者との関係、これこそが私にとって最近もっとも興味深いことである。
私の美術史研究の始まりであるブランクーシ研究においてもルーマニア人研究者に同様の逆照射的なアイデンティーをみることができるし、1984年にニューヨーク近代美術館で開かれた「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」展が巻き起こした論争も同じ文脈で考えるべきであり、欧米で日本の現代美術家が作品を発表したときその評論に必ずと言っていいほどみられる固定的な「日本的」という概念など、いろいろと雑駁な私の興味が最近パズルのコマのようにはまってひとつの円環がみえてきた。これこそが学問の面白さ醍醐味といえるのではないだろうか。そして、このようなモダニズムを相対化する知識が新しい美術館、いや現行の美術館という制度さえも超えるような新たな美術施設の構想や企画へとつながると考えている。そしてそのようなことに私の知識や経験が少しでも役に立てばとも思っている。

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