新板 窮理図解

photo研究の世界に入られたきっかけは?
 私のアカデミックキャリアの原点は、大学4年生で配属された森島績教授の研究室です。当時から、生命現象を分子レベルで理解する生化学と、分子軌道で反応性を記述する錯体化学に興味がありました。森島研ではヘムタンパク質の構造機能相関という、タンパク質と金属錯体の境界を扱った研究をしていたので、私の両方の興味を満たしてくれました。それに加えて、研究室を見学した際にお会いした森島先生の姿は、今でも鮮明に覚えているほど強く印象に残っています。大きな椅子にゆったりと腰を掛けて、パイプをくゆらせながら、ヘモグロビンの反応性をヘムの分子軌道で熱く説明してくださったのには感激しました。
 森島先生が、HOMO/LUMOを提唱して1981年にノーベル化学賞を受賞した福井謙一先生の弟子にあたりますので、私は孫弟子ということになります。残念ながら福井先生にお会いすることは叶いませんでしたが、研究にかける情熱には並々ならぬものがあったと森島先生からよくお話を伺い、感銘を受けました。研究室では、生化学・分光学・熱力学などを学びながら、タンパク質の電子移動反応を研究していました。森島先生が放任主義だったので、自分で考えたことを自分で試すような研究をしていました。研究の難しさや辛さも経験しましたが、研究室の至る所に置かれているホワイトボードにあれこれ書きながら先輩や後輩と議論する毎日は本当に充実していました。また、当時の助教授だった石森浩一郎先生には、学術論文に限らず、文章の書き方から研究発表の仕方まで、自分の考えを他人に伝える作法を徹底的に教え込まれ、そのおかげで今でも研究を続けることができていると感謝しています。

大学卒業後はどのような進路を?
 
実験して、議論して、発表するということに夢中だったので、企業への就職は全く頭になかったですね。気がついたら博士課程3年の夏。来年からどうしようかという危機的な状況でしたが、多くの先生の勧めもあって、銅シャペロンの研究で活躍されていたノースウェスタン大学のトーマス・オハロラン教授のもとに留学しました。銅シャペロンについて研究するうちに、タンパク質と金属イオンの相互作用を明らかにできれば、いろいろな生理現象や病気の発症について理解できるかもしれないと考えるようになり、現在の研究につながっています。
 「自然の摂理は常にシンプルであるべき。でも、シンプル過ぎてはよくないんだ」とアインシュタインの言葉をオハロラン教授はよく言っていました。現在は、別の研究プロジェクトでも活躍されており、斬新なアイデアを次々に生み出すその能力には全くかないません。「新しい考えを生み出すことを恐れずに楽しみなさい」とも助言され、研究をもっと楽しもうと考えるようになりました。
 その後、理化学研究所の貫名信行先生の研究チームに加わりました。貫名先生は、神経変性疾患の発症をタンパク質の構造変化で理解しようとされる、当時では数少ない神経内科医で、現在も基礎研究を非常に大事にされています。培養細胞やマウス・ラットといった、これまで扱ったことのない実験モデルや、高価な実験装置を自由に使わせていただき、自分の実験技術に磨きをかけることができた最も充実した時期だったかもしてません。
 振り返ると、師事した全ての先生には非常に恵まれました。どの先生も科学を、そして人生を楽しんでいて、私のよい「ロールモデル」になっています。